本当に高校生の部屋なのだろうか?本棚に並んでいるのは、「宇野弘蔵」「梅本克己」「梯明秀」といった経済学者・哲学者・哲学者の本だ。
「古代奴隷制・中世封建制・近代資本制、そして現代はカオスの時代だ。労働者階級が資本制社会を打ち倒し、社会主義社会やがて共産主義社会を作り上げる。これは歴史的必然だ。だが、社会現象を自然現象の様な因果律で説明する事は出来ない。社会現象ではなく私達が主体的に関与参加してゆく社会運動だ。議会制民主主義は広範な国民大衆を結集する為に必要な制度だ。」
全く問題ない。議会制民主主義を否定していない。
「労働者であれ、経営者であれ、今自分のしている仕事が大事だと思う。政治活動は仕事から離れた時間にすればいい。宗教活動も同じだ。スポーツも芸能活動も。」
その頃の明雄は一度教会に行き聖書を読んだ事がある。だが、「神」という人間ではない、人格的な超越的存在を、それ以降も信じる事は出来なかった。だが、「神」を信じているという人をある程度理解はできるし、精神の高揚を感じ、いわゆる人間の仕業とは思えない事を見聞きした時には、「神」の想念を概念を理解できる事はある。クラシック音楽でも、名曲は天才音楽家・作曲家が作ったとも言うが、神と作曲家、神と人間の関係から生まれたと言われれば、そういうものだとも思う。
翔のような人間は大学へ飛び級で入学して、経済学や哲学を研究すればいいと思うのだ。

明雄は翔の書いた評論を読んで、とてもショックを受けた。17歳の同期生の中に、こんなに論理的で高いテンションのまま、原稿用紙で20枚程もの内容を表現している人間が存在する事に。教科書の論説文などと同等の格調を感じたし、雑誌の評論などと同等の問題意識を受け止めた。大学生だってこんなに集中した緊張感を感じさせる文章を書く人はそんなにいないのではないだろうか?
「言いたい事は書き言葉で表現しているので、何が言いたいのかを聞いても、とは思うけど、、、」
翔の部屋の中央には、スチール製の本棚が2列並んでいる。その一角に20ページの処女作が表紙付きで並んでいる。
「逆に、君の考えなり、思っている事なりを話すのがいいと思う。僕は脱力感の中にあるのだから」
僕にとっては、アルバイトをするようになって大きな変化が訪れていた。「新聞の折り込み広告」を運ぶ仕事。広告を見た人が買い物をして企業の売り上げが伸びる。企業の売り上げからやがて広告費が支払われ、それが印刷所に届く、こうしてそこからバイト代が支払われる。このサイクルの中に組み込まれてしまうと自分は翔のようには飛べない人間なのだと思う。僕が考えたのはこういう事だ。
「アルバイターも企業主も同じだ。実業だ。一方違う仕事もある。政治・宗教・芸能・スポーツに携わる人々だ。この違いが僕には重要だと思うのだ。生きるという事は何か一つの事をする事だとも思うが、多くの事に関わって生きてゆく事だとも思う。そのあたりが良く解らない。」