こんにちは〜!
アンです![]()
自己紹介![]()
・アン(アラフォー)
・夫・娘(小5)・息子(小1)の4人家族
・ナリ心理学®認定心理者養成講座を受講中
※ナリ心理学®認定アドバイザーではありません。
※質問&相談はお受けできません。
抵抗があった理由
少し前まで、娘や息子の友達が
我が家に遊びに来ることに
正直ちょっと抵抗があった
来るとなれば、家の中を掃除して
キレイにしておかないといけないし
遊びに来たら来たでガヤガヤうるさい。
リビングでくつろいでいると、子どもたちが入ってきて、「私のくつろぐ場所がなくなる〜!」と、内心ちょっとモヤモヤ
さらに、帰りの時間も気にしなきゃいけない。
「家に他人がいる状態」が落ち着かない。
それが、以前の私の"現実"だった。
気持ちの変化
でも最近、その気持ちが少しずつ変わってきた。
娘ももう、小学校高学年。
放課後に自由に遊べる時間は限られてきたし、
周りの子も塾や習い事で忙しく、気軽に遊べる相手も減ってきた
だからこそ、今は
「遊べる時間を大事にしてほしい」
そう思えるようになった。
しかも、他のお家に行くよりも、我が家で遊んでもらう方が安心。
子どもたちの笑い声や様子が見られるのも、なんだか嬉しい
"家に友達が来ること"を、少しずつ
受け入れられるようになってきた。
幼少期の体験
思い返すと、私は小さい頃
「友達を家に呼ぶ」
という経験がほとんどなかった
家はいつも散らかっていて、物も多く、母は片付けが苦手だった。
だから、私はずっと思っていた。
「人を家に呼ぶには、完璧に片づいていなきゃいけない」って。
思春期の恥ずかしさ
思春期になると、その思い込みは
"恥ずかしさ"に変わっていった
・部屋が汚い
・オシャレでもない
・家を見られるのがなんとなく嫌
「うちは、他の家みたいにキレイじゃない」
「うちは貧乏で、可愛い部屋にもできていない」
そんな引け目を感じていた
友達の家に行くと
キレイな部屋や可愛い雑貨が並び
お母さんはお菓子やジュースを出してくれる
その光景が"愛されている子"
の象徴のように見えていた。
外の目を気にしていた私
だから、娘や息子の友達が家に来る時
私は無自覚にこう思っていた
・散らかっていたら、恥ずかしい
・ちゃんとしてない親だと思われるかも
それは、子供時代に植え付けられた
前提だった
人を呼ぶ→家の状態で自分の価値を試される
親を見られる→自分の振る舞いが評価される
私はずっと"外の目"によって
自分の"良し悪し"を決めてきたのかもしれない。
でも今は、少し違う。
たとえ部屋が散らかっていても
お菓子やジュースを完璧に出せなくても
娘や息子が友達と楽しそうに笑っていれば
それで十分だと思えるようになった
完璧な家じゃなくても
子どもたちにとっては
"楽しく過ごせる場所"があればいい。
そう思えるようになった今、子どもたちが
「今日〇〇君(ちゃん)と家で遊んでもいい?」
と言うと、
「いいよー!今日遊べてよかったね!」って、自然に言える自分になってきた
「外の目を気にする生き方」から
「自分の心が心地いい選択をする生き方」へ
完璧じゃなくても、大丈夫。
子どもたちの笑い声が響く家って
それだけで充分しあわせだなって思う
最後まで読んで頂き
ありがとうございました
(おわり)
