NHKは、競争原理が働いていないと駄目になる典型例だ。古畑任三郎と刑事コロンボは似ている。
スポーツで勇気をもらうというのが分からない。スポーツに勇気の要素は一切存在しないのではないか?
商品開発では、もう開発の余地が無く、飽和状態なのに、もっと儲けようとして、商品に付加価値を付けようとして、いらない機能を付けて売るから、普通なオーソドックスなものがなくなってしまいがちで、いらないものが多く高い値段で流通している。普通でオーソドックスなものを安く売れ!
ドラマではモノでぶったり、刃物で斬ったりして、すぐに人が死ぬがそう簡単に人は死なない。
フジテレビの女子アナは最近はあまりいい女子が入らない気がする。あまりいい女子だと、すぐにフリーになるからそれを阻止するため、というのはもしかしたらあるかもしれない。
靖国神社なんて必要ないだろ。
櫻井よしこのいちいち中国に突っかかる主張は何も有益なことがない。
愛国心とか地元愛とかいうものは、総合的に見れば、あまり良いものではないのではないか?
競走馬は、成績が悪いと安楽死させられる、というが、どうなん?
牛・豚・鶏・魚の肉を好きなだけ食っている人間の、動物愛護とは、おためごかしである。
俳優とは、見た目がいいだけで、人間性は全く重視されない、どうでもいい存在だ。
小説家とは、実在しない、大勢の人々が魅了されるストーリーを思い付き描くだけで、現実の世界のことを解決することには、繋がっていず、その意味で、意味が無い。そうやって見ていくと、人間とは結局どうでもいい、ということになる。私の場合は、若い頃は違ったが、今は生まれたから、生きているに過ぎない。
日本人とは、一回もお上に歯向かったことがなく、お上に従順と言うことで、日本人はそれは、日本の美質として語るが、その何がいいのか私には分からない。だから天皇陛下のことは、私は実はどうでもいいのだが、象徴天皇制だし、昔からあるものだから、まあいいか、といったところだ。日本人は、昔からあるものをほとんど受け入れ、現実世界に沿った生き方しかしなく、他のところで、いいものが出来たら、それを受け入れ、今では、先進国で、オリジナルの良い物事が出来たら、それを真似するだけで、生きていて、日本国内にオリジナルのいい案を出す人間を輩出することをほとんど全く加味せずに社会が回っている、と見受けられる。
人間中心主義は、そんなに素晴らしいものではないが、現実世界に沿った、今実際に生きている人間にとっては、まあいい内容の主義であろう。でも人間は死後、モノになり、モノである間は意識が無く、次何に生まれるか全く分からないために、その点から見れば、人間中心主義は不十分であろう。
宗教も既存の宗教は全て間違っていて、唯物論も舌っ足らずな説明しかしていない。なぜなら、モノである人間は、自我~己~が存在しているからである。
議会では、参議院が必要ない。昔参議院は必要である、と思っていたが、今その理由が思い出せない。そもそも議会では民意が反映されない、私の様な少数派の。
現代では多くの人々が嫌々ながらの仕事を余儀なくされている。それなのに世の中がひっくり返らない理由が分からない。明確なビジョンが無いからか?一つの答えがある。それは、人類の全ての労務をAI・全自動作業ロボットにやらせ、その経費を全ての利益から差し引き、残った利益を、資本家から、奪取し、それを全ての人々に平等に分配することである。