三上祐一が2024.2.20に考えたこと | 三上祐一のブログ

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 独自の日本大改革案を掲げる三上祐一のブログです。 なお私はこのブログの著作の一部がウィキペディアの「三上祐一」の項に投稿されることを認める。 http://yuusukeueno.blog40.fc2.com/

 人類の労働からの解放のためには、その契機となる、革命的合意が必要である。そのためには民主主義が成立していなければならない。人類の労働からの解放は、第一にブルジョアの撤廃が必要である。第二に産業用作業ロボットとAIの普及と、その稼働による稼ぎを全て平等に人々に分配することが必要である。それによって新しい共産主義的平等は実現する。それが人類の労働からの解放である。そのためには人間の労働は全て、産業用作業ロボットによって取って代わられなければならない。そこまでに産業用作業ロボットとAIの技術力が進歩しなければならない。そのためにはそれらの急速な発展が必要である。それにより人々は嫌々ながらの仕事から解放され、無駄な仕事も一切なくなる。革命的合意は人類の更なる進歩発展のためのグレートリセットである。
 完全な平等を目指すと、それによって、新しい開発を担う人材がいなくなり、社会の発展が阻害される可能性がある。そうであるならば、それらを担う人々には、平均的に支払われる賃金より多い額が支払われるべきである。新しい開発は新しい共産主義的平等達成の後、全ての人々が自分が好きな仕事が可能となりそれらを行った結果成し遂げられるであろう。であるから人々は、平等に人々に分配された賃金を基本給として持ち、余った時間で好きなことをやって、それが成功したら貰える報酬の二種類の収入を持つことになる。
 共産主義的平等と言ったが、共産主義は歴史上一度失敗している。それは、その過程においては一党独裁となるべきという考えから、失敗したところで、一党独裁勢力が共産主義の意に反して、富と権力を独占したからである。共産主義的平等は、議会制民主主義の元の多数の承認によって、実現されるべきであって、革命的合意の後も議会制民主主義は存続されるべきである。それは性善説によって一党独裁によって、善政がなされるということが幻想であったからである。政治の担い手は、民主主義による衆人監視により、常にチェックされなければならない。
 既存の共産党とは古い失敗した勢力である。新しい共産主義とは“人類の労働からの解放”を内包していなければならない。

 ブルジョアの撤廃とは、全企業の企業家から企業の経営権と、企業の売り上げから必要経費を差し引いた額を、政府がただで獲得することである。その後にその財産が人々に均等に分配されることになる。しかしそうなると、ブルジョアの撤廃は、憲法29条により私有財産制度が保障されており個人の財産は守られている、ということに抵触するであろう。そうであるから、企業家及びその犠牲となる者達には、それに見合った、勲章のようなものを与えることが考えられる。

 自動化にむなしさを感じるのはそれが完全な自動化ではないからである。そのむなしさの原因は、まずは、サービスが人間がやっているときよりも劣って、その分サービスの値段が下がっているかと言えばそうではない、ということがまずはある。又、実際に働く人間が首を切られ、賃金が削減され、人間が職を失った、ということがある。そしてその分経営サイドが余計に儲けている、ということもある。これらのことを私が提唱する「人類の労働からの解放」案は、クリアしている。
 産業用作業ロボットとAIが高度に発展し、人間の首がどんどん切られて行き、それが人々の我慢の限界を超えたときに、私が言う「人類の労働からの解放」案は有益となるであろう。