ナンバーレスカードだって、世の中どんどん悪くなって行く。
成長が見込めないところで、開発しようとするから、今までオーソドックスで良かった商品やサービスがいらないものが付いてどんどん悪くなって行く。そして行政も、事件が起きる度にどんどん締め付けを大きくしたりするから、世の中どんどん息苦しくなって行く。
食べ物を噛むと歯の噛み合わせが悪く、歯が痛い。だからもう食べ物が食べられない。だから死ぬしかないのだが、苦しまないで死ぬ方法が無い。だから餓死するしかない。この困った状況でも安楽死が認められていない。私のような状況に安楽死を認めろ!安楽死を一切議論しない岸田はどうかしている。
陳建一の父の陳建民、「料理は愛情」だって、料理なんて愛情が無くたって出来るは!どうしてこういうどうでもいいことが世にまかり通っているんだ?
世の宗教もどれもが間違っている。死後はモノになって、モノの間はタイムスリップし、様々な生物に生まれ変わる、ということが真実の可能性が高いことだ。
日本人は仏教を信じていないのに、世の中に合わせて仏に手を合わせて冥福を祈っている。そんなの効果が何もなく無意味だというのに。そう言っても、誰もそれを止めようとしないだろう。逆にそれを指摘する私が煙たがられるだろう。
成長が見込めないものを開発し、要らぬこととなったことの一つが、歯ブラシがほとんど小さいものしか無くなったことだ、私は昔の普通のサイズの歯ブラシで歯を磨きたい。
インド人の多くが菜食主義者だという。それは大いにリスペクトされるべきことだが、あまり大きくリスペクトされることがない。
牛・豚・鶏・魚の肉を好きなだけ食っている動物愛護主義者はおためごかしだ。
エホバの証人を見ていると、人間は、何かを信じたがる欲求があるものなのかもしれない。人間はその劣った性質を克服しなければならない。信じるものは科学宗教である。
日本では、心理的作用を及ぼすものは酒しか認められていない。しかも酒は心をローテンションにするもので、ハイテンションにするものは何一つも認められていない。日本ではビールの宣伝を多くやっているがビールなど、どうでもいい。コカインぐらいやってもいいんじゃないか?
覚醒剤は、耐性が付いて、そして普段の気持ちにも悪影響を及ぼす、という。ならば覚醒剤を打ち続ける、というのはどうか?そして耐性はどこまで付くのか?一定量以上やったならば、それ以上は耐性が付かないのかどうかの研究もなされなければならない。しかし幻覚・幻聴の問題があって、それによって殺人事件なども起きるから、それは一筋縄では行かない問題ではあるだろう。
では覚醒剤を、刑務所に入った人間に許すというのはどうだろうか?でもそれでは犯罪率が大きくなって問題があるだろう。
それでは、覚醒剤をやるものは外界から遮るというのはどうであろう?それ以前に覚醒剤で幻覚・幻聴を見る者を事前に検査する方法を確立しなければならないだろう。
そうやって、覚醒剤も普通に利用されるようになればいいなと思う。
陳建一の父の陳建民が中華料理の神様、と言われている、というようなことだったが、料理なんて、誰が作っても同じ様なものではないか?
民主主義ではマイナーな悩みが一切解決されないことが問題である。それは安楽死の問題であったりする。
保険証の廃止に反対する。河野太郎はどうかしている。
ことわざは大体あることわざには反対のことわざがある。大は小を兼ねる、は、過ぎたるは及ばざるが如し。急がば廻れ、は、思い立ったが吉日、である。
誰かのために、と言う人がいるが、ならば、自分の金を誰かのためにあげればいいと思うがそういうことはやっていないみたいだ。
日本人は皆おとなしいから、力のある者が否応なしに無理を要求することがあるのではないか?それはわさびの大の容器が硬くなり、最後までわさびを捻り出せなくなっていることとか、保険証廃止だとか、レジ袋有料義務化などである。
中国人同士で戦い無意味に血を流すことを嘆き、徹底抗日を目指し、ショウ介石を軟禁し、国共合作を実現した、張学良は敵ながらあっぱれだったと思う。