犬猫を可愛がるが、牛豚鶏魚を食っている人間の動物愛護とは、おためごかしである。
世界中のほとんど全ての宗教は、死後・神を見たことがない人間が作ったフィクション小説である。
人間は死後無意識となり、次の生物に生まれ変わるまでタイムスリップする。死後あらゆる生物に生まれ変わる。人間に生まれ変わる可能性は限りなく低い。
私は弱い。死にたい、安楽死で。でも安楽死は認められていない。何なんだ!私は今にでも死にたいのに、死ぬことで、苦しくない方法が一つもなく、死ねない。私は毎日毎日生きているのがつらい。うつ病で苦しい。私が生きていることに意味が見いだせない。毎日生きているのがうつ病でつらいのに死ねない。生き地獄だ。だが安楽死は認められていない。これからも認められないだろう。私はつらい人生を送り、最終的には餓死するしかない。でも私の気持ちはまるで無視される。私に生きることを強要する人間は、それは止めてくれ。実際に苦しい気持ちが有って、生きることがつらいのだから、その気持ちの方を尊重してくれ。人はなぜ生きていること自体がつらい人間に生きることを強要するのか?そんなの間違ってる。生きていることがつらい人間に安楽死を認めろ!
いつもの番組を止めて前後の番組のスペシャル番組をやったり、ことあるごとにNHKなどはニュースの時間を延長して、予定している番組をやらなかったりするが、要らぬことはするな!
濡れた指で洗面台に落ちていた髪を一本拾い、ゴミ箱に捨てようと思って指で弾いたら、もう一本の指にくっついて、その毛をもう一本の指で弾いたら、もう一本の指にくっついて、それを30回ぐらい繰り返してもまだ駄目で、ゴミ箱に落ちていたティッシュにくっつけたら、ようやっと、髪の毛が捨てられた。苦しい。
「いいいじゅー」の始まりの地球が回っている映像が流れなくなった。「内脂サポート」の最後の夫婦役の女性の口を開けたシーンが流れなくなった。「パスコの超熟」の「キャベツいるー」と言っているおばさんの最後にパン食べて美味しそうにしている映像が流れなくなった。世の中どんどん悪くなっている。
アマゾンで服を買おうと思うのだが、いい服がない。トランクスのパンツは高い値段のばかりになっていた。
生きているのがつらい人間に安楽死を認めろ。認めなければ社会にアダするゾ!
人間色々いる。弱い人間がいる。弱い人間は人生において失敗をすると鬱病にかかることもある。鬱病では生きていることがとてもつらいことがある。そのような人間にも安楽死は認められるべきだと私は思う。しかし常識では、人間を同じ能力に扱って、一括りにして扱う。人間には弱い人間がいる。人間は皆平等に扱う。それはいいこともあれば悪いこともある。弱い人間のことはそのように扱って、それに見合った処置を行うべきである。これは常識からは一歩進歩した意見だ。
私はコンピュータープログラミングの請負会社に在籍していたことがある。そこで大手会社に派遣されていた。派遣先には同じ会社から超絶かわいい子も派遣されていた。その子とは皆とカラオケに行ったりしたが、次の日の朝、彼女から話しかけられ、その話が長く、私はブルってしまった。それで話は終わってしまった。今思えばとてつもなく後悔している。私は弱く、勤務を休みがちだった。ある時に派遣会社のそこに勤めていた上司に勤怠状況が悪いと指摘された。私は暫くしてまた勤務を休んだ。すると親会社からクビにされた。私は勤務の最後のときにその女子を見た。何とも思っていないような素振りだった。私の彼女に対する気持ちは、今思えば、愛だったんじゃないかと思う。その痛手が今でも思い出す度に心が激しく痛い。私はその帰りの電車でポロポロ泣いた。それを同じ電車に乗っている女子が見て、どうしたの?といったような表情をしていた。
今日床屋から帰って来たら、母親がアマゾンの段ボールとユニクロの段ボールとユニクロの紙袋勝手に整理していた。私は何がどこに行ったか分からなくなりそれについて苦情を言っても、母は一向に聞かない。ユニクロの段ボールがどこかに行ってしまった。ユニクロの段ボールどこにやったのか、母に聞いたら、映画見て終わったら探すだって。私は床屋に行って、しなければならないことが終わって、解放感に浸りたかったのに、母が映画見ていて、ユニクロの段ボールどこか、まだ探さないから、解放感に浸れずにいる。母親は、自分のやることが常に正しいとして、人の意見を全く聞かない。ふざけんな!こんな母親とはおさらばしたいが、母に先に死んでもらいたくなく私が先に死にたい。だから死にたい。私はうつ病で苦しい。毎日苦しくて生き地獄だからこんな世の中今にでもおさらばしたい。毎日生きるのがつらい人間に安楽死を認めろ!大体生きているのがつらく生きて行くのに様々な障害があり、将来餓死しかない人間に、生きて行くことを強要するな!安楽死を認めろ!
サッカーワールドカップで日本がドイツに勝ったが、私にとってはどうでもいい。生きていること自体が苦しいんだ。私には笑顔も全くない。うつ病で幸せと思える能力が無くなってしまった。とにかく世の中は、人間は幸せな人間だけである、というふうにして回っているが、生きるのがうつ病でつらく、幸せを感じることができない人間がいることもそろそろ考慮してくれ。生きているのがつらい者に安楽死は、LGBT問題よりも率先して行うべきことだ。
私は一日一食しか食べない。いつもは晩御飯に肉気の物が二品出ていたのだが、今日は、豚バラ大根・厚揚げ・白子のお吸い物・キムチ・納豆・生卵だって。豚バラも脂身ばかりで肉気がないんだろうな。今日は腹減って寝られそうにない。死にたい。でも餓死のときはもっと苦しいんだろうな。私には将来餓死しか残っていない。うつ病で生きているのがつらく、将来餓死する運命しかない人間にも安楽死を認めてくれよ。
星野源がなぜ歌手なのかがわからない。星野源の作った歌をいいと言う人間はいるのだろうか?星野源の「どらえもん」は最低だ。耳に入って、こんな歌作って歌ってよく恥ずかしくないな、と思えて来る。私が作った歌の方がよっぽどいいと思うが、世の中にはそれを発表する場さえ与えられていない。前発表する場があって、発表していたが、反響がまるでなかった。
とうとうパソコンの蝶番とモニターのつなぎ目が両方とも壊れた。今はやっとのことで、パソコンの画面が倒れないようにバランスを保って、入力している。今倒れた。いつまで使えるか分からない。
晩御飯で肉団子の甘酢あんかけも出ることになった。ヤッター!
肉団子でなくて鶏唐揚げの南蛮甘酢あんかけだった。でも、見た目骨付きみたいだ。骨付きは世の中の無駄なものだ。骨付きは世の中から無くなってくれ。骨付きで食いづらく、手が汚れるだけで、他に何のメリットがあるのか?
私が住むマンションから、用事を足しに行くときに、最寄りの駅を使わなければならないが、そこに行くまでに、長い階段がある。帰りにその階段を登るのだが、足の筋肉が限界で、息が切れて苦しい。今日は床屋に行ってから2日立っているが、足の筋肉痛の真っ最中だ。
鶏唐揚げの南蛮甘酢あんかけの袋を見て商品名を確認しようと思ったが、ゴミ箱には袋の端っこだけ捨ててあって、袋の本体が無かった。私の周りでは色々不思議なことが起きる。
鶏唐揚げの南蛮甘酢あんかけが出ることになって、そしてナムルの残りも出ることになって、厚揚げが出なくなった。
歯磨き膏が残り5本丁度になったら、アマゾンで買い物する、あと2週間後だ。アマゾンでの買い物は、パソコンの蝶番が壊れていてそのバランスを維持することが大変だということと、買う商品をメモらなければならなく、値段も付けなくてはならず、商品の色とサイズを記入しなければならない。一度アマゾンで購入ボタンを押したら、買えずにもう一回購入したこと。同じ商品で違う色を買う場合、その都度購入しなければならないこと。購入したいだけの量を買えるか?重複して買わないかが心配なこと。クレジットカードを2枚登録しているのだが、使う予定のクレジットカードを選べるか?商品の配送が2つに分けられて届くと思うが、それを受け取るのが大変だということ。買う当日に商品の在庫が無くなって買えなくならないか。アマゾンで3万円程買うが、代引きは使えず、クレジットカード使わなければならず、母の子としてのクレジットカードしか持てず、それを使うために、母の銀行口座から引き落とされるために、母に3万円支払わなければならず、その時に母は、3万円買ったことが買いすぎとして文句を言うだろうということ。などが相まって、今から苦しい。これらを大したことがない、と思う人はいると思うけれど、うつ病の私にとっては苦しいのだ。
うがいしてるときにゲロりそうになった。
私はフジ病だ。昔お笑いの立役者はフジテレビだった、ということで、面白い番組がやっているわけではないのに、テレビを付けるときのチャンネルをフジテレビに設定している。