上野の夜~朝まで生討論6 | 三上祐一のブログ

三上祐一のブログ

 独自の日本大改革案を掲げる三上祐一のブログです。 なお私はこのブログの著作の一部がウィキペディアの「三上祐一」の項に投稿されることを認める。 http://yuusukeueno.blog40.fc2.com/

 勇介「どこかの国の党が党の綱領において、修正すべき点は、『資本主義社会は<搾取体制>であるから暴力を使ってでも打倒しなければならない』ということと、一切の宗教を認めないことである」
一郎「どこの国も民主主義にならないかなぁ」

 勇介「『資本主義社会は<搾取体制>であるから暴力を使ってでも打倒しなければならない』という文章が存在する限りにおいて、私は無条件で、共産党を認めることは有り得ない、そしてこのような著述が存在する、という点で、その党の現実的姿は大方予想できることである、それは幸薄い状況である」
一郎「とにかく暴力革命・唯物論は間違ってる。モノによって崇高な精神・心が出来上がっている、というのがある」

 勇介「■歳出総額は昭和60年代あたりから見て、倍ぐらいになっている、それは本当に国民の利益となっているのかは検証されなければならない。そして、政府は事業請負企業に、多く支払いすぎていないかは、点検・検証されるべきである。消費税の導入をやるならばそれを行って、芳しい成果が出ないときなのではないか?そして政府は斬新な新規事業案を創出する能力を持たなければならないのではないか?」
一郎「いや。消費税を導入しなければ国家的な危機は回避できないだろう」
勇介「まずは徹底的な歳出削減を行うべきだ、ゆるキャラだのいらぬ施設だのは多すぎる」

 勇介「世界的に行われるべきことは、国家における、軍隊の武装解除である、そして、国々は自衛隊だけを戦力として持つべきである、戦後72年間日本は国家としてはまるで非常識である武装解除を余儀なくされた、そして日本は東アジアにおいて、軍隊を保持すること無く、周辺諸国は兵力を持っている中で屹立することを余儀なくされた、そこでは日本は真の勇気が試された、そこにおいては東アジアには平和が生まれた、その平和は維持されることが、東アジア地域の共同の利益である、日本はそれを主張する権利がある」
一郎「まあ当分の間は無理だろうな、イスラム国もあることだし・北朝鮮もあることだし」
勇介「其処においては武力削減の詳細なプロセスが必要だろうな」

 勇介「シリアのアサドは、最低限、自国の軍隊に、しっかりと命令しなければならない、‘国民と争ってはならない’と。そこにおいて、シリアの反政府組織が、平和的にデモを行っているだけでなく、実質的には、武力行使を行っていることが、事実として見出すことが出来たならば、そのときには、シリアの軍隊は、その勢力に銃口を向けることは許されるが、そうでない場合は、反政府組織がどういう経緯でそうなったかは不明であるが、武力行使は一切止めなければならない。シリアにおいて、反政府組織の武力行使を強いられることは、シリア軍の武力行使が原因だとするならば、反政府組織の武力行使は罪としては裁くことはできない、しかしこれは、独裁国家に民主主義を持ち込むことであり、本来はそれは完全に素晴らしいことなのかは問われねばならない、もっと良い整った制度を持ち込むべきである、ということは考えられることである、シリアの反政府組織が民主主義を導入することを選択したのであれば、シリアの反政府組織は、民主主義とイスラム教の維持、ということを行わなければならない、それはその国においてはかつて無かったことである、しかし周辺諸国においては、導入されたことである」
一郎「シリアには民主主義になってもらいたいよな」

 勇介「日本において、人間と動物に差は無い、とした文化は良い文化であっただろう」
一郎「まあ人間を自然と対立させ、人類第一主義にもまあ意義があると言えばあるが、人間はそれによって動物と人間に互いが同じ立場に立つことが出来ない一線を引いた。そこから人間は野獣の肉を食うことを肯定した、それは価値が低いことだ」

 勇介「韓国は日本から産業を盗んだのであれば、それは北朝鮮に盗まれる可能性は考えられる」
 一郎「だけど韓国はほとんど欧米の植民地だからな」

 勇介「消費増税法案は可決される、ということだ、私は基本的には消費税に反対する党を応援する。消費税に反対するからには、代替案を持たなければならない、代替案は基本的に歳出が充てられている事業を全て検証することと、事業請負会社に高い金額が支払われていないかの検証を行うことである」
一郎「それ全てやるのは難しいゾ!」
勇介「だからそれはネット議会による直接政治でやるんだ」

 勇介「尖閣上陸を果たした、中国のある反日団体は、そのブサイクさ加減から、中国人からは、拒絶される。であるからして尖閣上陸を果たした中国のある反日団体の日本に対する反応も拒絶されることとなる。ほとんどの中国人は反日の中国をもはや求めてはいない」
一郎「実際はそうとは言えないゾ!」
勇介「日本は中国の反日映画はデタラメだと、中国政府に伝えることが考えられる、そして首相の靖国参拝は戦争永久追放の考えの元に首相が靖国神社にお参りに行くのは、単に英霊の慰霊のためだけと、中国に伝えれば、中国人もある程度は理解してくれるものなのではないか?そして中国人はA級戦犯が合祀されていることを主張しているが、A級戦犯はアメリカがレッテル貼りをしていて、その呼称は相応しくないことは伝えるべきであろう」

 勇介「人は永遠の命を持ったならば、遭遇する可能性が多くなることが、自分よりも有能な生物と遭遇し、悲劇の最後を遂げることである、自分よりも有能な生物と遭遇し悲劇の最後を遂げないためには、自分の命が永遠の命となったならば、それだけの実力が伴わなければならない、そのための実力としては、実質的に有益なことを多く行うことが考えられる。実質的に有益なこととして考えられることの一つが、全ての人々に利することと言えるであろう、その延長上として考えられることが、全生物に利することと言えるであろう」
一郎「それが難しいんだよ具体的に言ってくれよ」
勇介「それはまずは世界の悪の政治を一掃することだ、そして『人類の労働からの解放』だ!」

 勇介「リーダーシップを持つためには、自己理解力・共感力・突破力が必要である、ということであるが、突破力は必要でないリーダーシップの取り方、というのも考えられる。共感力よりも必要なことが問題解決力である、それは“じゃあどこが、不満なんだよ”、と聞いて“じゃあ、こうしようぜ”と提案することであったりする。自己理解力などどうでもいい、ということがある、頑張れば誰もが東大に入れる、というのがあるし、誰もがある程度“為せば成る”、ということもある」
一郎「リーダーシップとは新世界秩序が持つことになるのだろうな」
勇介「その新世界秩序が問題なんだよ、新世界秩序は世界人類の奴隷化を計画しているらしいじゃねえか」
一郎「ドナルド・トランプは反新世界秩序でFRBを国際銀行化しようとしているらしいゾ!」
勇介「それ、いいねえ!」

 勇介「一族で農家と漁師と畜産業などをし、後の代の者が大都市に進出し、農家と漁師と畜産業者がそれらの生産品を直に料理店に納品し、料理店を営むのであれば、料理店で価格安を実現することは可能である、価格安を実現し、競争に打ち勝ち、料理店である程度の利益を達成し、その料理店での利益を元に、チェーン店を出し、更なる利益を得、それを、一族の後の代の者の実業の資金とし、実業を運営し、利益を生み出し、それを他の実業の資金とし、他の実業を運営し、更なる利益を生み出し、それをまた他の事業を運営する資金とする、ということで多くの実業を運営するというやり方は考えられる、その場合、実業として経営するものは、オリジナルで有益なものであればあるだけ良く、他の企業と競争することは出来る限り避けるべきである。そのような経営スタイルを行うと、料理店での格安競争が生み出され、物価が下がり続け、最終的には、一番格安で一番有益な多くの事業を統合して運営しているもの一人が勝つ、ということは考えられる、その場合は事業運営者の儲けは出来る限り抑えられることが考えられる、そして事業で出た利益を一族の者達に分配する、という方法はまあ考えられる、それを一族でだけでは無く、多くの人々で協力しその体制を作り出せば、それは一つの社会主義モデルとしては考えられることではある。しかし漁業と畜産業は、出来る限り、模造肉製造会社に取って変わられるべきである、とは考える」
一郎「ベンチャー企業って大変だよな、ベンチャーとかで、もろに成功したのは秋元康や楽天だろうな」

 勇介「“諦めない限り負けじゃない”、その精神は独りよがりである可能性がある、大体においては、大きなチャンスは多くても一度しか与えられない」
一郎「人生に一度のそのチャンスをそれと感じずに無駄に捨て去ってしまう人もいるからもったいないよな」

 勇介「私は中国については、多くは批判したが、できれば互いの国は親善でありたい、というところである。中国国家は、国家主席に、事実上の資本主義導入者・反日家・親日家がなり、次の国家主席には親米家の習近平がなる、ということである。習近平が国家主席になったならば、米国とはどんな親善を実現するのかは楽しみだ。習近平が国家主席になる頃に東京都は尖閣を購入する様であるが、それは止めた方がいいであろう、国家と国家は国家主義で政治を行うことが相応しい、しかしそれが行われると同時に、それ以外の政治も行われればいいのにな、と私は思う、それ以外の政治とは…国民と人民の交流である」
一郎「とにかくは日中の敵対は国対国であって、日本国民と中国人民とはそれほど憎しみ合ってはいない、というところが現状ではないか?」

 勇介「尖閣に上陸した14人の反日活動家には、1971年に中国が勝手に言い始めたことだ、ということを教えなければならない。そして中国国家で、それはどのような経緯で言われ始めたのかが明らかにされなければならない。そこで石油権益がそこにありそうだ、ということで、それを中国人の政治家が決めたならば、その中国人政治家には一定の罪がある、そこら辺は調べれば明らかになることである、小汚いやり方だが、それをちくる中国政治家には報奨金を与えることなどが考えられる、それは小汚いやり方だからなされるべきではない」
一郎「とにかく尖閣諸島は日本のものだ!」

 勇介「鄧小平は“富む者が、貧しい者を救う”、のようなことを言っていたが、そのような状況は、見た試しが無い」
一郎「中国でも資本家は大儲けし始めているな、それに中国の資本家とは、共産党員の知り合いばかりということじゃないか!」

 勇介「誰もが自分には引き出されるべき高い価値が眠っている、と一度は考えてみるべきである、その価値が眠っていると考えられる限り、人は努力すべきである、秘訣は好きこそものの上手なれ・継続は力なり・ネバーギブアップ・適宜な批判は受け入れる精神、である」
一郎「でも多くの人々がそこいらのまあまあ人並みっていうところで満足しちゃうんだよね、俺もそのたちだしな」

 勇介「‘第三の道’というのは、私の考え方と、基本的な考え方はほぼ変わらない。そこで行われるべきことは、第一党の者が第二党の者に、‘それではどのようにすべきか’を問うことである、それによって、建設的議論は始まる」
一郎「民進党には建設的議論を構築する能力はないな」

 勇介「特異体質に生まれた者には、特異体質に生まれた者が行うべきことがある。私は特異体質に生まれた、ADHDという、そこで普通ということを多くの人々とあまり共感できない、という面が元々ある、そこにおいては、ある程度の孤立は止むを得ない。しかし孤立する者には価値が無いと決まっている訳では無い。そしてある程度の孤立をへとも思わない者もいる、その者はできれば常識的思考も持ち合わせ、必要なときには、必要な分人に合わせることは必要であろうが。そして孤立しがちな者に価値が無ければ、基本的に人から迷惑がられる、それは避けなければならない。しかし世の中の状況が悪い場合は、価値が低いということで、変な仲間意識が生み出され、自分達は価値が高い、ということにしてしまえ、と考え、本当は価値が低いにも関わらずに、自分達を正当化し、それを高い価値とし、その偽りの価値に甘んずることを恥とせず、調子に乗る奴もいる、そしてそれらの者が一定の勢力を持つ場合がある」
一郎「愚衆制だろ、最低だな」
勇介「そういった奴らにはどうすればいいか、誠の正論を言い続けるのである、そのうち感化される人間が生じ、世論も正しい論を支持するようになって行くであろう。しかし悲しいのは現在の日本政治である、自由民主党は不正ばかりやっているのに民進党がだらしないから自民党がずっと支持率を維持し続けている」

 勇介「民進党が行うべき政治として考えられるのは、金持ちの党か貧乏人の党かをはっきりさせることである、貧乏人の党であるならば、累進課税を金持ちからは90%取り低所得者に再分配することが考えられる、それは10億円以上の高所得者である」
一郎「でも海外に移住してしまうことが考えられるゾ」
勇介「まあこれも考えなければならないことではあるなあ」

 勇介「小虫は字が読めないから、文字の羅列がうざいために、それが消えることを望み、それには体当たりを食らわして来る可能性がある、そして体が大きい者に対する羨みの気持ちがあることも考えられる。」
一郎「そんなことあるか~?!」
勇介「ある、それは実際に俺の部屋で起こっている」

 勇介「誰もが諦めがちだからといって、諦めがちなことに合わせる必要は無い。それは悪い型の民主主義における、多くの人々の実態であることがある」
一郎「でもそこそこで諦めて仕事始めないとな」
勇介「まずは社会がこんなもんなんだから俺っていうのは大した評価されていないわけでそこそこで諦めて実働しないとなーと多くの人々が社会の流れに乗ってしまうからダメなんだ!そして最終的には、みんなで協力していい世の中を作り出すんだ!」

 勇介「私は、それぞれの人々の愛を認めている、私一人だけが、自分で愛を持つことを自制している、ということもある、それは裏を返せば忘恩であるから」
一郎「それは極東アジアの偏った考え方だゾ!」
勇介「いや、東アジアでは夫婦の絆よりも親と子の絆の方が尊ばれているしそれは理に適ってる」

 勇介「多くの人々は、単に偏差値が高いことに価値がある、としがちであるが、偏差値が低くても、その分多くの価値が高い経験を行っていれば、偏差値が低くても価値がある」
一郎「でもそれって経験したことってある?」
勇介「俳優って偏差値が低くても高くても長ゼリフ覚えられるでしょ、それって価値が高いことだと思うよ」

 勇介「韓国人は自分達の国は儒教の国だ、のようなことを言っているが、本気で儒教に取り掛かろう、という気など、毛頭無い、しかし国民を一括りに扱って、その国民性がどうのこうのと言うこと自体が古い。そして韓国国民とは、無意味に対立したくは無いところが本音だ」
一郎「韓国は欧米の植民地のようなものだからそれは救われねばならない、というのはあるだろ」

 勇介「ちっぽけな島を不法占拠して、それで満足ならば、安上がりだろ。竹島(独島)の領有は、何度主張しても、占拠する領土そのものは、ちっとも増えることは無い」
一郎「韓国のやっていることってある意味無意味だよな」

 勇介「ある韓国人は、ゾマホンが怒っていたのに、わけがわからない、の様なことを主張していたが、それは、無意識の黒人差別に由来する」
一郎「韓国人の黒人差別って凄そうだなあ、だからカリフォルニアだので暴動が起きたんだろうな」

 勇介「“桐嶋部活やめるってよ”は、価値の低い上の世代の者と価値が低い下の世代の無意味な結託で生まれた駄作である、部活とは所詮部活だ」
一郎「日本の映画の売りは純愛ものとかばかりで、スケールは欧米とかなり差があるよな」

 勇介「中国の新聞に、日本の挑発に乗ってはいけない、のようなことが書いてあったらしいが、日本が挑発したことは一度も無い、しかし中国政府が、柔軟な対応もすべきである、のようなことを言っていたことはなかなかいいこと言うな、と思った」
一郎「勇介は日中で友好になりたいんだろ?そのためにはどうすればいいと思う?」
勇介「まずは日本は靖国神社参拝は英霊に対する慰霊に特化した物であり、永久戦争追放の意志をもっていることを伝えること、そして日本が中国国家に反日映画は事実と反し遺憾である、と伝えること、そして日本人と中国一般人とのやり取りができる機会が与えられること、そしてこのまま中国が軍事費を伸ばすならば、日本も軍事費を伸ばし、核武装もすることを伝え、そこから中国の軍事費増加を止めること」

 勇介「韓国は、‘独島は我が領土’、と主張しているが、その根拠を示してもらいたい、そこに一定の価値が見出せたならば、それを認めよう。明治38年の日本領への移入は年代から言って、私は不可解に思っている、日本政府は、竹島の存在を認識していたならば、順当であれば、明治の初年に、島の占有を宣言すべきであった。それを扱うマスコミが一つも存在しないことは残念だ」
一郎「そう言えばそこら辺のところははっきりしないところだなぁ」
勇介「日本が独島を奪った、というのならば、それは返すべきだが、韓国が独島を手に入れるときに多くの日本の漁民を殺害したことは遺憾だ」

 勇介「私は子供批判を行うが、子供も、ましな方の人間と、駄目な方の人間に分けられるだろう、そして私が単に見出していないだけの素晴らしい子供はいる可能性はある。しかし宣伝・広告に出て来る子供達は一様に価値が低い。まあ芦田愛菜ちゃんと加藤清史郎君はいいとは思うが」
一郎「子役って生意気になってしょうがないみたいだぜ」
勇介「それは親・スタッフの管理がなってないからだ」

 勇介「TBSは‘ザ・ベストテン’を復活させるべきだ、生のそのような歌番組は子供達にとっては必要だ、そしてくだらねえグループで不要にレスペクトされる不要な連中は消えてくれ。そしてそのような番組が存在しないから、J-POPの価値は下がる、そこにおいては、競争原理にも価値が見出せる、ということとなった、そこで、過去の競争原理に価値は無い、という私の発言は撤回する、競争原理にはある程度価値がある、というのが相応しいところであろう」
一郎「でも今の時代って、いいメロディーラインがすでに残ってないっていうのは考えられる」
勇介「だから今の音楽は魅力が薄いんだろうな」

 勇介「日韓併合を全否定ということを、韓国政府が捏造し、それを韓国国民に教育し、日韓併合時代の日本を全否定する韓国国民が作り出されたならば、後々は、韓国政府は、韓国国民に、適切な歴史教育を受ける機会を与えなかった、ということが因縁となって韓国国民に怨まれる、しかし、私も基本的には、日韓併合を悪いことが多くあった、とは捉えている。まずは日本は日韓併合の国号を最低でも日本=韓国とすべきであった」
一郎「韓国では嘘の歴史教育がなされているからな」

 勇介「家族が身内で固まって、偏って、互いをほめあったり、かわいがったりしあったところで、ろくなことが無い、子供はいい迷惑だ。子供は大人になるにつれて世の中での自分達の価値を知り、結局は家族で固まる」
一郎「日本は家族主義だけど中国の家族制度否定・儒教否定にもある程度耳は傾けるべきであろう。アメリカの大資本家はFRBを民営銀行にして僅かな家族で儲けている、それは社会悪だから直ちに除外されなければならない」

 勇介「身内で片寄せあって、生きている家族は侘しい。家族は注意すべきは注意すべきである、それは年少者にとっては酷ではあるが社会に出た時に有難く思うであろう」
一郎「でもそれが中々できないんだよな、中々、きつく注意したら親は嫌われてしまい、子供は全く聞かないことが考えられる、だから子供は素直でなければならないけどこれもDNAに左右されるしな」
勇介「だから叱ったら、いいことがあったら褒めることだな。褒めることはよっぽどのことがなければないだろうから、それまでは親は叱って子供に嫌われるのは我慢だな」

 勇介「女が男にもてたいから、といって、肌を気遣うことは、女は止めた方が良い、それは女性を巡り巡って不幸にしている。女性は、男にもてることを目指すのではなく、自分自身の価値を上げることに努力して欲しい」
一郎「まあ言えるけど化粧品って儲かってるんだよね」

 勇介「基本的に価値の低い奴らが集まったならば、それを見て私は恐れるということが無い。そこにおいて価値が低ければ、後の歴史学に価値が低い行為だったと裁かれるだけ、まあ多少はへこむが」
一郎「大体において話で人とちょっと違うお前は価値の低い奴らに低く評価されることはあるだろうな」
勇介「そういうところが日本人のちょっと嫌いなところだね」

 勇介「私はシリアにおいては反政府軍を応援する。政府がデモ活動を行っていたところ、一方的に発砲してきたわけだから」
一郎「それにしてもイスラム国はしぶてえなあ」

 勇介「いじめやってる奴らに共通することは、いじめられっ子がいないと面白くない、ということである」
一郎「勇介いじめられたことある?」
勇介「あった、でも暴力でそれを終わらせた」

 勇介「私として中国に希望することは、基本的人権の尊重である、しかしこれは、短時間に思い浮かんだだけのことなので、じっくりそれは本当に正しいかは検証しなければならない。そしてマルクス主義の検証である。そして労働における負担の軽減である。そしてあくまでも一党独裁を貫きたいのであれば党内にその政策を検証する機関を設置することである。そして一党独裁の正当性を主張したいのであれば、民主主義の欠点を明らかにすることが求められる、そして民主主義よりもましな国家を導いたとしたならばそれは認める。まあ無理であろうがな」
一郎「まあ中国は独裁制の資本主義だからな、これには多くの悪い要素があるであろう」

 勇介「韓国は国家としては極めて不健康である状況が許されて来た。捏造の歴史を叩き込まれ、それをまるで疑うこともない韓国国民そのものは良民とは言えない、韓国が知らなければならないことが、どういうこともある程度悪いことがあったならば、ある程度いいこともあるということが現実世界で起きていることである、ということである。そして韓国が日韓併合で認めるべき良いこと、というものは、国はかなり裕福になった、ということである、しかし日韓併合は基本的には悪いことであった、と私は考えてはいるが、韓国に日本が求めることは、日韓併合において日本に行われたことで、不当なことがあったならばそれは具体的には何かを示してもらいたいということである、そして韓国は自分達から、日韓併合をしてくれと頼んできたことも知らなければならない」
一郎「韓国は韓国の歴史ドラマも嘘っぱちだからな」

 勇介「日本と韓国における歴史の実量を知らず、一方的に全てが悪い、もしくは一方的に全てが善い、という物差しで物事を測ることしか知らない韓国の竹島の警備員達はそれは現実的にはありえないことであるということを知ることが必要である。現実世界で起きていることを適切に把握する能力が無い竹島の警備員達は価値が無い、しかし韓国国内には、日本との関係は良好であるべきだ、と思っている人々が多くいた、その人々は価値が高い。
一郎「とにかく日韓が仲良くするにはどうすればいいんだ?」
勇介「まずは従軍慰安婦の嘘を徹底的に暴くこと、あれは韓国人には酷なことであったが地元の売春宿が募集広告を出して、それに韓国女性が乗ったもの。そして韓国が欧米の植民地政策から逃れること、そのためには、まあこれは非常識論なので面白い話としてだけ聞いてもらいたいが、北朝鮮に日本が工業技術を教え、日本は少額のバックマージンを受け取り、北朝鮮は高度な工場を設立し安価な製品を大量生産する、そして南北統一を果たす。そして韓国ではベンチャー企業を立ち上げ、北朝鮮からの輸入品を扱い、既存の韓国財閥を滅ぼし、欧米の植民地状態を脱する」

 勇介「ある時代には原始共産主義社会というものが存在していた、その場合は多が絶対とされ、少が零と評価されることだったことが考えられる、人々にとって適切なのは、ある程度の共産主義社会と、ある程度の基本的人権の尊重の共存である。原子共産主義社会では基本的人権の尊重はなかったことが考えられる」
一郎「どっちもとっぢだな」
勇介「だから基本的人権があって格差是正がなされて象徴天皇制も維持される世の中が求められる」

 勇介「ある程度の愛国心とある程度の修正共産主義(もしくはそれと近い主義として修正社会主義)は共存しているべきであろう」
一郎「そして倒すべきは新世界秩序の悪だろうな」

 勇介「どの宗教もその方法は信じることである、そして言えることはこの世の中のどの宗教も死後の世界を見、神を見た者によって作られたものはない。ところでどんな宗教でもその方法は信じることであるのは何故か?」
一郎「なぜだ?」
勇介「信じる者は救われるっていう日本のことわざからだ、これを世界の一神教信者が採用すれば宗教戦争はなくなる」

 勇介「全ての人々が出来る限り平等になるべきであろう、それは出来る限り全ての人々が特権階級になることでもある。その方法は具体的に求めなければならない」
一郎「完全な平等には弊害があるように思う、その弊害とは実力者が評価されないということだ」

 勇介「虚栄心が自由にされていることが、地方の女子が、都会の女子に対して想像することであろう、地方の女子はある程度都会の女子に憧れ、半ば憎む。しかしある程度の地方の女子は都会の大学に行って、ほとんど都会の女子の実像を知り、そんなものか、と思う、そして都会の大学に行けなかった女達にその話をし、都会の大学に行けなかった女達は多くの場合は安堵する、しかしある程度の地方出身の都会の大学卒業者は都会に染まる。しかし言えることは都会も地方も人間性の優劣はほぼ一緒ということ」
一郎「それなら都会の人口はもっと減ってもらいたいよ」
勇介「私は地方には上野と御徒町と神保町ぐらいの大きさの町があって出来れば池袋のジュンク堂書店の大きさの書店と上野のOSドラッグと同じ安売り薬店と御徒町の多慶屋と同じ安売りスーパーがあればいい、そんな地方の町があれば私には東京に住む意味がない」

 勇介「若い頃に、最小限の煩悩を満たすだけに留めておけば、年食って贅沢くしたいという気持ちは浮かばない。資本主義は多くの人々に贅沢をさせるためにあるべきではない、有益なものを創出し、子孫を充分に養うためにそれは出来る限り平等に機能すべきである」
一郎「人間とは我慢強いものだ、そして若いころに安い費用で煩悩を卒業していれば贅沢は抑えることは可能である」

 勇介「“利己主義的論語解釈”では、うらやんだってしょうがないじゃないか、ということになる。うらやむ、という行為は、多くの場合は貧乏人が行う、それは適切な状況ではない。多くの大金持ちの子供は、うらやみをぜいたくに変えてうさ晴らしをしている。本来は価値が低い者が行うべき行為である。うらやむくらいならば、そのパワーを他の良いことに変え昇華させるべきである、しかしうらやむ体質・立場に生まれてしまったならば、そのうらやみは表に出さずに、うらやみの対象を客観主義を装い、批判することもまあよい事ではあろう、そしてうらやみの対象は本来はその価値が無いと論破できれば気分もスッキリすることであろう」
一郎「でも自分が第一っていうのが基本だろう、自分を第一に大切にし、他者のためには余った力で行うのがいいであろう。とにかく滅私奉公というのは効率が悪い、そして無償の愛というのも実は自分が好きな者に自分の好意を与えることであるから、自分のため、ということになる。自分のためが人に好意を与えることはいいことである、それは自分の家族・親戚・友達などに向けられる」

 勇介「今の世の中では、人々は多くの場合は基本的に、人々の意見にいいね、と賛成する姿勢が求められる、それは実は生産性が低いことに繋がりかねない可能性がある、と私は見ている」
一郎「浅はかな行為だよな、でも相手の批判すべきところは批判し良いところは褒めるとなると、それに耐えられない人間にとってはそれは無理だから、それはやらない方がいい場合が多い」

 勇介「■日本名竹島、韓国名独島編入はなぜ第二次日韓協約があり、日露戦争があった明治38年に行われたかは、出来る限り明らかにされるべきである。そこで当時の日本政府が問われるべきことは、なぜ、竹島の占有を明治の初年に行わなかったかである、それは日本政府の怠慢が主たる理由であったならば、日本政府に落ち度が全く無かったとは言い切れぬ。そこで言えることは、明治38年当時の韓国が実は独島の存在を認識していず、明治38年の日本のその島の占有の宣言でその島の存在を初めて知ったにも関わらず、その島は日本政府に強奪されたと看做したとしても無理は無い。また、お互いの国がそれぞれにその島を当時から認識し、自分の国の領土である、と看做していたことも考えられる。そこで江戸時代から明治38年まではその島はどのような状態であったかは調べられるならば調べられるべきである。そしてなぜその島の占有の宣言が明治初年ではなく、明治38年だったのかは明らかにされるべきである。そして韓国の独島占有の宣言はいつ行われたのかも調べられるべきである」
一郎「これは日本は思い切って調べて白黒切りをつけるべきだ」

 勇介「冷静かつ熱心が求められる。熱心に何かをやった場合は冷却期間が必要である、冷却期間に、行き過ぎ・間違いが見つかる。冷静に何かの準備を行いそれについて熱心にやるということもある」
一郎「平常心で行うっていうのもあるよな」
勇介「でもその場合は当たり前のものしか生まれない」

 勇介「子供で大人よりも長けていることは‘かわいい’ということである‘かわいさ’と‘無邪気さ’は∝関係にある、そして無邪気さと礼節は両立がなされるべきである。一般の大人で子供よりも長けていることは諦め精神と常識の採用と慣例主義である、そしてやり遂げる力である」
一郎「大人になっても子供のいい部分は忘れないっていうのがいいだろ、でも大人ではある意味無邪気さは通用しないんだよな」
勇介「無邪気な疑問っていうのは大切なものだぞ、なぜ中心的な働きをしているのに給料が安いのかとか」

 勇介「組織においては、分業が行われる、その分業は大方が個人が本心ではやりたいと思っていない仕事であることである。組織においては、企業の効率化は生み出されるが、個人のやりたいことが実現されない、代わりに組織から報酬が与えられる。個人のやりたいことが実現され、それが企業に売られ実現される、ということは、個人と組織の新しい関係である」
一郎「お前が考えていることが『正義と人類の労働からの解放』だろ」
勇介「まあな、旧社会の弊害の罪に罰を与える行為は、私はフルフォード・ベンジャミンさんと与国秀行さんに任せて私は新しい世の中の構築を考えて行く」

 勇介「私には、愛は無いが、愛とは、こういうものなのか、とある程度は深く想像、もしくは思うことは出来る、そこで愛に対してはある程度真剣な態度で臨める、しかし、本当に愛を持っている人には、愛についてはかなわない」
一郎「お前の発想では愛よりも誠の方が価値があるんだろ?」
勇介「ああ」
一郎「俺は愛の方が価値があると思うが、それはなぜ?」
勇介「愛とは相手の欠点から長所まで気に入ることで、相手をわがままのままに甘えさせる。それよりかは、お互いの短所・長所は指摘し、切磋琢磨し、お互いが人間的に良くなることを目指すべきだ、それらを行ってきた夫婦には年老いた頃には欧米の愛とは違った、絆・仲睦まじさというものが生まれるであろう」」

 勇介「浮気・不倫するなら結婚するな!まずは離婚すれば子供が迷惑がかかる、子供が一番可哀想だ」
一郎「みんな軽く結婚するよな」

 勇介「世の中は、ある程度の資本主義と、ある程度の修正共産主義と、ある程度の国家主義と、ある程度の民主主義が適当な分混じり合っているのがちょうどいい」
一郎「そのためには?」
勇介「工場労働者が私の‘自動体システム’を100万円で買いそれで労働を行って、今まで通りの賃金を得、会社員は人工知能(AI)を100万円で買いそれを作業で使って、今まで通りの賃金を得る。そしてそのうちに40億円以上の収入の人間に90%の累進課税をかける、そして当面で考えられる経済政策は普通の仕事をしている人間には500万円、ましな仕事をしている人間には1000万円支払うことであろう。ましな仕事とは、1執筆家(文筆家・マンガ家)・2発明家・3プログラマー・4メディア産業関係者・5大学教授研究者(理工・文系)・6映画製作者・7音楽家・8画家・9芸能人・10各種デザイナー・11写真家・12政治家・13経営者(最先端事業企業家)・14スポーツ選手・15マスコミ関係者・16店舗経営者・17裁判官・弁護士・検事・18建設家19官僚等である。工場労働者・建設作業者、中小企業者には600万円支払う。普通の仕事とは、大企業のホワイトカラーである、しかしホワイトカラーのサービス残業は一切なくす。そしてネット議会で直接民主主義で国の仕事を行う」

 勇介「ある程度甘えられるのであれば、不本意ではあるが甘えさせてもらい、特大の恩返しをする、というやり方はある」
一郎「しかしそれはあまりいいことじゃねえな」
勇介「かもしれないな、自分の実力は子供の頃にある程度試しておくべきであろう」

 勇介「愛を持つ者は、ある大切なことを失う、それは無邪気さである」
一郎「無邪気さってそんなに大切か?」
勇介「まず無邪気さとは大人となったら素朴さとなる、そして素朴な疑問は解き明かされるべきである」

 勇介「マルクスは唯物史観を持っているが、確実に言える事は、心はある、ということではないか?」
一郎「まあそれは言えるよな、人間の心・精神はモノによって作られた尊ぶべき高度なものである、とは言えるであろう」

 勇介「無邪気さ、とは、多くの国々の人々が持ち備えている特質だ、極東文明日本分派の正義の哲学を主張する私は、それを大切なものと主張する、無邪気さは正直さと率直に関係する、しかし元々無邪気さを兼ね備えていなかった人々、という人々がいたであろうことも考えられる、そしてその特質を持つ人々が多くの有益な物を生み出して来たことも事実である。愛を主張する者が、無邪気さを持ち合わせている場合は、それは愛ではない、ということは、可能性の一つとしては考えられる」
一郎「愛とは相手のことを考え抜いて相手のためとなることだから、そこに無邪気さは混じり合わない」

 勇介「愛を持つ大人は、子供からすれば、魅力的では無い。無邪気さを持ち合わせた大人は、子供からすれば、魅力的である。しかし無邪気さを多く持ち合わせた者は、家族を養う収入を得なければならない。そして無邪気さはうまく利用すれば、何かを生み出す原動力、となり得る」
一郎「その無邪気さの一つとして考えられることはCMとかだろうな、もちろんそれ以上に周到で緻密な企画・計画が必要であろうが」

 勇介「子どもは無邪気さから来る疑問としては工場労働者・建設現場労働者が搾取されていることを感じることがない、大人からそれを聞かずして搾取に気づく子供はよっぽどセンスが研ぎ澄まされた子供であろう。子供たちは勉強せずに大人になって工場労働者となるとき、そういうものだと素直に諦めて工場労働者になるが、そこで諦めないでもらいたい、そして私の発明した‘自動体システム’によって救われてもらいたい」
一郎「‘自動体システム’を作り上げるには世界の叡智が集結しなければならない。」