━━━━【2012.07.11~07.13に随想したこと(始まり)】━━━━
マルクスの著作はブルジョアを‘かれ ら’としたり、‘われら’、としたりしている、そこで、客観的、ということを保っているようである。しかし、それと同時に、マルクスは主観的に、プロレタ リア階級を応援している、ということも同時にやっている。マルクスは経験はどの程度やったのかは、知りたい。そこで、私は若き日のマルクスの日記が見た い。そこで私が主張しなければならないことは、経験によって主観は育ち、学術研究によって、客観は育つということである。
SHAPEBEATG4で筋肉を鍛えて何の意味があるのだろうか?つらい思いをして鍛えたからこそ、そのトレーニングによって得た筋肉は、スポーツの各種目によって、光輝く。
ラジオの発明は革命であったであろう、テレビの発明は革命であったであろう。コンピューターの発明は革命であったであろう。そして自動体システムもそれが創出されたならば、それは革命である。
香川真司には頑張ってもらいたい。マンチェスター・ユナイテッドの香川真司獲得は香川真司をオリンピックに出場させないための、英国の策略か?
ズボラ飯、そこでなされるべきことは、お惣菜の価格安である。有能な妻は料理など、ほとんどしなくてよい。
神楽坂って、新宿区にあったんだ~!早稲田通り沿いだって、バンカラが通うんかえ!そういうわけでは無いだろう。
歯科の治療では、高額医療は、保険適用 にならない、それで、多くの日本国民は、高い金を払わないとセラミックによるつめものは出来ないということである。それを乗り越えるためには、セラミック のつめもののメーカーは、セラミックによるつめものの高額治療によって、儲けている歯医者の小さな利権を守ることを行わずに、基本的には‘薄利多売’で多 く儲けることを目指すべきである。そうすると自ずと保険適用になる。
生まれながらの労働者階級に生まれた者が、ホワイト・カラーの経験をして、ホワイト・カラーの無意味さを痛感するならば、その経験は価値が高い可能性がある。
「経験のない大雨」九州で被害相次ぐ。温暖化によって、利益を得るのは、ロシア・北欧・カナダなどの寒い国々である。温暖化が世界的に進んでいるのであれば、温暖化対策をなすべきである、しかしそうでないならば、温暖化対策はしなくても良いだろう。
日本は有数の火山国であるのであるから、エネルギーとして、火山の熱を利用する、というのは、どうか?
‘いじめは自殺の要因の一つ’私は小学 6年生のときに‘いじめ’を受けていたことがあった。その時は、はっきり言って辛かった、一瞬だが‘自殺’を考えたこともあった。私がいじめを受けていた 原因は、私の母が美人であった、ということと、私が‘くだらなく生意気’であった、ということだ。私は小学6年生の頃は、‘神風’という5人組みの不良グ ループを結成した。5人は‘2+2+1’に別れ、私は孤立した。その‘いじめ’から脱却するために、私は、いじめっ子のリーダーと、喧嘩による直接対決を した、そのときに、いじめは終了した。
言葉を使う人には言葉を返せ、行為には行為で返せ、銃を使う奴には銃で返せ、剣を使う奴には剣で返せ。
高田馬場、高校生の頃は、週の3分の1ぐらいは、高校の友達の大吾の家に泊まった。お世話になったなあ・・・。
高田馬場に、ミャンマー人が1000人暮らす、ということである、ミャンマーだからって‘D級’っていうことは無いだろうに、単純にそういうわけではなかった。
新大久保と大久保が韓国人の街になっていて、高田馬場がミャンマー人の街となった、そして、池袋が中国人の街となった、それはそれでいいだろう。
私は高田馬場にミャンマー人のビルがある、ということは知っていた。
伊藤英明さん、加藤あいさん、いいね!‘海猿!’
悪い部分を言ったならば、即単純に批判 的となる、ということはもう人類は卒業すべきである、人・物事にはいい部分もあるし、悪い部分もあるものである。そして長所は短所となり得るし、短所は生 かせば長所、ともなる。世間で認められている長所を持つ者は、世間で認められない短所を持つ者とは、多くの物事を生み出すことが可能となる、ということも ある、それについてはある程度までしか無理ではあるが。なお、大国のイデオロギーの対立から、国家が分断されて、対立する国家となった国は、対立するので は無く、統一されるべきである。そこにおいては、資本主義と共産主義の合体が試みられ、そのプロセスを経て、統一がなされるべきである。ある国では、一方 が議会制民主主義の国で、一方が独裁国家である場合は、独裁国家の領土をそこの首領の領土としてまずは認めることが考えられる、そして、独裁国家に議会制 民主主義も設置することが考えられる。そして議会制民主主義の国では、人々が多少独裁者となることもいいであろう。
レオナルド・デカプリオの豪邸!私はそんなものは必要無い。生涯最低賃金として4億円(税引き後)あればいい。私は家は、プレハブで充分だ。
味に自信がある主婦は料理屋か安いお惣菜屋をやれば、うまく行く。
魚・肉は基本的に高く売れ、ブルジョアジーは、きっと高い魚・肉店で魚・肉を購入してくれるだろう。そして主婦は、安い店で買え。
プロレタリアが、本格的に創出する能力 を持ち始めると、ブルジョアジーはプロレタリアに惹かれ始める。そして、ブルジョアジーはプロレタリアとの結婚を本気で考え始める。プロレタリアは元々ブ ルジョアジーには、恋焦がれていたのだ・・・。ブルジョアジー三世の宣夫は公をよく見ておこう、と思って、公立校を選んだ、それは父親のやり方に疑問を持 ち始めたからである。父親の勲はブルジョアジー同士の結婚によって、交配し、その結果としてブルジョア的に特化し能力が高まった宣夫が内心嫌いであった。 自分達の本性など大嫌いでどうでもいい。ただ、宣夫は父親の帝王学をひたすら信じた。
私が金八先生に出演している、ある私にとって特別な人をテレビ画面で見た瞬間だった、グラグラッと大きい地震が起きた。それが‘東日本大震災’だった。
愛は、同質の者同士が惹かれ始める。恋にはあまり縛られる法則は無い。
韓国では、国を挙げてアイドル・グルー プを応援して行く、ということのようであるが、そのアイドル・グループの芸能事務所に善意があるならば、そのコンサートのチケット代は、高い日本の値段に 合わせるのではなく、韓国国内の値段で日本では売るべきではないか?そうなれば、日本と韓国は、経済協力国として一体化できる。
景気が悪いのであれば、週休3日制にして、社員の給料を引き下げるべきではないか?
私は、ブルジョアが行うべきシナリオを 書いたにすぎない、そしてそのシナリオが実行されないのであれば、ブルジョア階級もそれまで、ということに他ならない。そしてプロレタリア階級には少々酷 なことを提案した、プロレタリア階級が私の意見に耳を貸さないのであれば、プロレタリア階級は、自ら創り出す、という喜びを手に入れられない、ということ である。
多くの人々に言いたいことは、私のことは、まず疑ってかかれ、ということである、出来ることならば、薄く疑ってかかってもらいたい、そして、利用価値がある、と見られることだけを利用して欲しい、ということだ。
私は、‘言葉の暴君’にならないように最大限に気をつける、その必要が無いというならば笑い飛ばしてくれ。言葉の暴君にならないためには、反省するということにしている。ここにも極東アジアの道徳に価値が見出せる。
‘ぼけ’と‘つっこみ’が存在する漫才がある日本は、2つのことを掛け合わせることがうまい民族である、ということをそれの存在自体が証明している。
商売人が、人の価値を見て、価値が無い 人間には高く売りつけ、価値がある人間には安く売る、ということをするならば、それもまあいいであろう、その場合には、その商売人には、人の価値を見抜く 能力が備わっていなければならない、そしてその人間評価が確かなものであれば、その商売人の商売は大いに繁盛することが考えられる。ブルジョア階級は、現 実的に、世に多くのことを実現させた、ということは価値がある。
現状の国家主義を保全することが全て価 値がある、と思っている人々は、そのまま業務を行うことがいいであろう、私の宥和主義に耳を貸すこと無く、そこで、その人々に求められることは、機能とし て特化することである。そこで、問題となることが、現状の国家主義の保全の方針を決める者が誰かである、現状の国家主義の保全の方針を決める、ということ は政治思想が関係して来る、現状の国家主義の保全の方針を決める誰かが政治思想を決める立場でないならば、そのようなことは行うべきでは無い。キャリア官 僚は、多くの場合、国家を背負うために必要な、充分な経験が足りない。
私は愛を主張しない、そして愛が男女平等の最終形だとは誰も決めてはいない。しかし私は結婚するのであれば、その後は絶対に浮気はしない。
国家は懲役刑で、受刑者をただ働きさせて、ボロ儲けしている。受刑者に与えられるべきものは適正な更正プログラムである、そこで受刑者は、全うな価値の高い人間に生まれ変わらせられるべきである。
私の兄は国語が得意であった。私は国語がどちらかと言えば不得意であった。しかし、一つ言えることは、読書を重ねれば、国語力は年をとれば自然と身につくものである、ということである。
アメリカの積極性、プッシュを尊ぶ傾向は、ときとして、短所となる。
この著書の前の方で、あることは、英・ 仏・独・韓の対立を返って深めてしまうという結果になるようである、と書いたが、その対立から仏を除く、なぜならば、あまりにも、仏のことは知らなすぎる から。それは‘バイク王’の宣伝に出ている仏女性の怖さみたいなものを感じたからだ。
世界を種類に分けると、王党派と革命派 とブルジョアジーに分けることが可能だ。しかし、分けると多くの場合は対立が生み出される、プロレタリアは、無意味な分岐を回避すべきである。革命派の幸 せは恵まれすぎている既存の最高勢力の完全な犠牲を伴って生み出される。既存の最高勢力の完全な犠牲を生み出して成立するのであるから、取って変わった新 勢力が結局は権力の私有化を要求する、という結果になったならば、いつの日かその新勢力も、次に生み出される勢力の革命の犠牲となってしまう。王党派は伝 統的正当性に価値を見出し、それを守ってきたことに誇りを感じている、しかし新しい価値の創出には、あまり積極的ではない。プロレタリアは革命を目指すの では無く、改革を重ねて行くことによって、新しい価値ある社会の創出を行っていくべきである。ブルジョアジーはプロレタリアが新しい価値あるものを創出し たならば、それに対しては積極的投資を行うことに役割がある。
フランス議会の与党である社会党は穏健的社会改革を求める人々であるのであるから、それは好ましいやり方である。
私は、愛は主張しないが、もう一つ主張しないものが美しさであろう。
少し昔は、私の敵だった者が、今日は私の味方となっている。
私は、女性のことについてだが、いつも一番いい女に手をださずに、2・3番目ならばともかく、4番目ぐらいの女に手を出していた。私の煩悩の問題解決に、1番いい女が犠牲となることは、許されなかった。
━━━━【2012.07.11~07.13に随想したこと(終わり)】━━━━
━━━━2012.07.11~07.13著述終了━━━━
END