三上祐一が2012.03.28~03.30に考えたこと② | 三上祐一のブログ

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 独自の日本大改革案を掲げる三上祐一のブログです。 なお私はこのブログの著作の一部がウィキペディアの「三上祐一」の項に投稿されることを認める。 http://yuusukeueno.blog40.fc2.com/

 私は、19歳ぐらいの頃に、日本史の勉強で、日本の歴史について教科書に載っていることは、大方知ることができるようになった頃に、生まれた以上は、世界で最大の考えられる限りの特別な幸せを実現しようじゃねえか、と決めた。それは、日本史の教科書で、日本について、終戦を迎えた辺りの記述を読み終えた、頃であろう、それらの歴史の著述が私にそのような人生を送ることを決定させた。そこで、私が多くのアジア地域を戦場とした、日本がまずすべきことは、中国と韓国との関係修復であった。当時は中曽根首相の靖国神社参拝の問題が朝日新聞で取り上げられ、中国の人々が、怒り始めた頃から7年程後の時代であった。中曽根首相の靖国神社参拝は、7年も昔のことであるのに、その7年間において、中国が、日本に対して、持つ感情は大方代わらなかった。 そう考える、私は希望に満ち溢れていた。そこにおいては・・・。19歳において決めた私の方針は一貫して変わっていない、世界で最大の考えられる限りの特別な幸せを実現する、意志が、私の能力を高めることとなった。42年間生きて来た私の人生で、確かに確認できることが、私が、老齢に近づくにつれて、高い価値ある、より深く、大きな事象を扱った文章を表現できている、ということである、そこにおいては歳を追うごとに、私は成長している、そして私個人の能力を高めている。

 GARA湯沢は、370センチも雪が降り積もっている、ということである。5月までスキーは可能であろう。しかし、私がパトロールであった、神立高原スキー場では、雪が降るのは、3月頭までであり、その後は、スキー場は、雪が降り積もることは無く、天気がピーカンの毎日が続く。その頃から、そのスキー場では、スキー場の雪を出来る限り長く保存するために、硫安という農薬をスキー場のそれぞれのコースに巻く作業が始まる。撒く硫安の総数は、1000体である。一袋20kgの硫安が1000体倉庫にはぎっしりと並んでいる。それを、一日、おおよそ30体スキー場のコースに撒く。その作業は、じゃんけんで負けた者3人が行うことになる。その3人とは、明確に役割分担がなされていて、一人目は硫安を振りまくおよそ20kgの硫安巻きの機械を背負い、それを振りまくことを担当する者となり、二人目は硫安を乗っけた、半ばいかれかけた救助ボートを利用し、そのボートに、最大で15体硫安を乗っけて、それを、操作し移動させることを担当する者となり、三人目は、一つ一つの硫安の袋を、カッターかはさみで開封し、袋の中の薬剤を、機械に詰め込む
作業を担当する者となる。硫安巻き機械は2つあって、その一台はエバンゲリオンの0号機を真似て、0号機と作業員佐藤優に命名され、それを表すために、ガムテープ二枚を貼り付けたものに、“零号機”と油性マジックで書き記した。マジックで書き表すのは私が担当した。その文字の書体については、東京で警備員として働いていたときに、安全を確保する相手である、ガス会社の山岸組で、作業中であることを表示する看板に、描かれた、暴走族チックないかした書体を真似て描いた。その書体は佐藤優には好評であった。

 田中直紀防衛大臣によって、決定された、破壊措置命令は、行き過ぎた判断である。北朝鮮は、公式的には、“衛星打ち上げ”と表明しているのであるから、その内容自体の真偽がどうであろうと(北朝鮮が正直に表明した場合:衛星打ち上げ 北朝鮮が嘘をついた場合:長距離弾道ロケットの実験)、まあその主張は、尊重してやろう、と日本国家としては、大人の振る舞いをしてやることが適切である。もしその北朝鮮の表明が嘘の場合はその国家の実力については、明らかにその差は歴然である。しかし、北朝鮮が、アメリカ・韓国が行った、軍事演習に影響されたのであるとしたならば、その北朝鮮の振る舞いの原因を作ったのはアメリカと韓国である。なお、この北朝鮮の行動は、その内実が嘘で塗り固められたものであるならば、その行動はまるで価値がなく、国際的には全ての国家にその行動は有害であると反対される結果となるであろう。そのときには、実質的には、北朝鮮には危険な状況を付き合わされることになる。しかし、沖縄・日本にミサイルが落下する可能性は極めて薄いであろう。その次に考えられる行動がまあ、PAC-3の配備である、そこでは、弾道ミサイルが空高く飛んでいることが確認出来たならば、破壊措置命令を実行する必要性は無い。まあ、日本の上空を飛んで行くことは、ほとんど無いであろう。しかし、北朝鮮には、現実的にはわずかでも、日本に危険な思いをさせたのであるから、その責任は取ってもらうべきである。

 2012.03.30.21:56にTBSの若手お笑いが集結した番組において、オードリーの春日がした、頷きは、確信に満ち溢れていた。その表情は価値が高い。そしてTBSは、2012.03.29 2012.0330において、番組を見て私が判断するに、革命的に、テレビ局としての能力を高めた。

 オリンピックにおいて、国家と国家が激しい競争を行い、対立する状況を私はあまり、見たくはない、というのが私の率直な気持ちである。国家対国家の対立の感情は抜きにして、選手を国際的立場で応援することが、より相応しいことである。

 なお、ヨーロッパにおけるサッカーで、危険なプレーが増え続けている状況は改められるべきである。

 野田氏の発言において、歳出削減の努力を行って行くことの表明は、価値が高い、しかし、そうであるならば、歳出削減の方向にもう一歩踏み出てみてはいかがか?なお、政治家の議員数削減の実用性は無いと私は、考える。なぜならば、・・・。

 その、能力低い評論家によって、「天才が云々」、ということが、表明されたが、お前にそのような資格は無い。まず、得意分野では勝負しない、ということ自体が、それは、天才という概念のご認識であり取り違えである。得意分野では勝負しない人間が天才である、ということは無い。

 客観性が無い云々を表明した、評論家は価値が低い。私に対する事実上の敵意の表明と判断する。私が行った14年に及ぶ全著述は、客観性が無い云々という、一言二言のことで処理されるべき内容では無い。主観的立場を取りつつも、客観的立場も取れば良い。主観と客観を、たった一言の単純構造の文章で取り扱っていることにおいて、既にお前は能力不足で古い。主観の立場を取るか、客観の立場を取るかの、A or B の選択が、まるで全てである、とお前は勝手に、誤認識している。物事の現実的姿は、そのような状況では無い。現実的姿を出来る限り、正確に把握するには、多くの場合複数の文章で、ある程度Aの状況であり、ある程度反Aの状況である、という認識が、現実把握においては、より正確なことである。

 主観的立場を取りつつも、客観的立場も取りいれる、ということ、それは、科学というものを肯定することと、主観を表明することによって、解決される。

 そこにおいては次の様な文章が必要である。「私は科学的立場を肯定する、そして本心において、価値が高いと思えることを主張する。」

 主観的な表明が全否定される筋合いは一切無い。主観的表明は、それはそれとして、価値を認めるべきことである。そして、主観的でありつつも、他者の意見を取り入れることによって、主観と客観は形成されて行く。

 嘘で塗り固められた話を私に行う無かれ。

 多くの人々の、その話に対する感想を4、5人が表明したが、みな本心では語っていない、上の空で適当な言葉を思いつくことを求め、それを行い、その思いついた単語をほぼ、思いついた順に並べているだけ、という身の毛のよだつ、幸薄い状況が明らかとなる。

 今行われた外国人によって行われた話は作り話である。まず、現実的状況においては、言葉の量をグラフで表すに、そんな、完全な3角形をしている、ということが有り得ない。そして30日目まで砂糖を拒否したが、31日目にそんなに大量の量の砂糖を摂取した、ということは、現実的には有り得ない。それらの一連の表現は架空の作り話である。そのようなものに経験を積み重ねた人間は騙されない。その外国人は、人生経験が不足しているから現実のことを書くことが出来ない、という状況であろう。

 ある日本人が、変わった人間を増やすことで世の中を変えて行こう、などと言っているが、その尊重されるべき変わった、人々を、「奴ら」呼ばわりした。そこでその男は本心ではそのようなことは実は全く考えていない、ということが明らかとなる。人間的内容が薄すぎる。

 △スーパープレゼンテーション

 日本のアイデアを認めた、この外国人の話は価値が高い。 

2012.03.30.23:41.⑩オードリー・春日等が存在するこのお笑いは価値が高い。

 お笑いにとって、ツイッターがプラスかマイナスかの統計が取られた、圧倒的に大勢のお笑いにツイッターはお笑いにとってプラス、という結果であったが、あのタモリ氏が、ツイッターが何が面白いのかわからない、と言っていた。

 とがっていつつ責任を取れば良い。

 結婚は、芸人にとって、ある程度プラスでありつつも、ある程度マイナス、ということが現実的解釈である。

 私が執筆していることは、ほぼ全てが、テレビを見て書いていることである。しかし、テレビで目の当たりにしていることは、実際にスタジオ内で行われていることである。そこで、実際にスタジオ内で行われている現実状況、という客観が保証され、私はそれに主観を表明している。そして多くは、世界で起きている、ニュースに対しての私の意見の表明である。そこにおいても、世界において、現実的に行われていること、という客観と、私の意見の表明という、2つのことが行われている。そしてときにそれはスポーツであったりする。

 嘘で塗り固められた話に対する、スタンディング・オベーション、ということは、全員がその能力が低い中ボーが話した、嘘話を、本心では全くスタンディング・オベーションを行うのが相応しい、ということを感じていないのに、上の空で、とりあえず褒め上げることが、そこに存在する者達の共通の利益であるから、という理由で、自分達の保身のために、全くの虚構として行われていることである。そこにおいて、全ての人々が、スタンエィング・オベーションを行っている、という、そこにおいて、満場一致の、全ての人々の賛成、という状況が伺われる。それは民主主義では最も尊ぶ状況である。しかしそこで行われたことが、その内実は、嘘で塗り固められた話を、本心では全くスタンディング・オベーションを行うのが相応しい、ということを感じていないのに、上の空で、とりあえず褒め上げることが、そこに存在する者達の共通の利益であるから、という理由で、自分達の保身のために、全くの虚構として行われていることであるならば、それは価値が低い。ここにおいて民主主義における、欠陥の存在が明らかとなった。 

 この世の中においては、とりあえずは適当なことを話す能力が高い者達が、まずは評価される。そして、そいつらに、ホワイト・カラーとしての職場と、高い賃金が与えられる。

 そして、この世の中で行われていることで、特権階級になればなるほどに、とりあえずは適当なことを話すことを仮に能力とするならば、特権階級で、ランキングが上位になればなる程に、その能力が高い者が、存在するのが実情である。 しかし、その特権階級で行われていることが、適当に思いついたことが話されているだけに過ぎないのであれば、まずは、真剣さが存在しない。そしてそんな話は、ただ適当に思いついたことを話しているだけであるから、実はどうでも良い話であり。話として、特筆すべき、真の価値は存在しない。 そして特権階級において、実はそこに存在する誰もが、本心ではどうでも良いことであるにも関わらず、自分達の、まあ話をするのがうまい、という状況が、互いが認め合うべき、共通のスキルであり、とりあえずは褒めあうことが、自分達特権階級に存在する者達の利益保全のためになる、という理由から、行われているならば、それは、大問題である。そこで展開されている話は、独自で常に新しく、価値が高いものかと聞かれれば、ほとんどの話が価値が無いことが実情である。理由は実は適当に思いついたことであるからである。そしてその特権階級は守られるべき価値が存在しない。そしてそれは、現実の本物の話を、特権階級の者が、なめてかかっているならば、それは許されざる行為である。そして、常に真剣さが存在せずに、適当で、どうでも良い。そして彼らは歴史上の大事件もまるで知らない。それは人間そのものをなめてかかっている、という、彼らにとっては恐ろしい状況である。

 私は、オバマのバックに、労働者組合が付いている、ということで、即決で、民主党と共和党のどちらを応援するか、といえば、民主党である。ここにおいては、米民主党と英保守党の対立が明らかとなる。米共和党と英労働党の対立が明らかとなる。 だからして、特権階級において展開されている、話において、真の価値が生み出されない状況が続く、という好ましくない状況が、いつまでも続くことになる。そして、それらのことが欧米の特権階級で行われていることなのである、であるからして、欧米は成長しない。しかし、ヨーロッパにおいては、独・仏・伊は別格である。そしてヨーロッパにおいて、大問題であるのが、かつて歴史上最大の力を誇っていた、世界中の国々の尊敬のまなざしを集めた英国である。

 なお、今日、私が、その浅はかな能力をあざ笑うものが、天才は、自分の得意分野のことは、行わない、という、耳を疑うべき話を行った、とんでもない、精神科医か何かの男である。