日本において、恵まれた人間同士でお互いを褒めあっているような状況は、世界には、はっきり言って認められないだろう。それは日本の芸能人とかで、実質的にはくだらない奴ばかりが、なぜか評価され、贔屓されたりすることであったりする。しかし日本の芸能界においても確実に価値が高い人はいる。多くのドラマのせりふのやりとりがレベルが低い、私はそのやり取りに辟易している。そしてなぜ、そのような、実質的にくだらぬ作品が選ばれ、採用されるのかがふに落ちない。そう感じる者が、善意をもって、それらを彼らに伝えても、彼らは決してそれを受け入れず、やはり、小さな仲間達でぬくぬくと生きて行こうとすることが予想される。まずは、ある程度の日本人には、当人が、当人自身をレベルが低いと感じていると、本当に価値がある者は決して評価せずに、自分に近いくだらぬ人間達を高く評価する、幸薄い特質がある。それらの状況は、世界中の人々には小ばかにされていることであろう。
江戸時代とは、身分制度があり、ある少数の人間達だけが優遇され、その富はその限られた層の子孫にだけに受け継がれていた、という面では幸薄き時代である。多くの江戸時代の事象の描かれ方が、時代の特質に忠実では無い。それらの多くが現代チックに描かれているが、そのようなものは、当時には存在しない。
そしてある程度の日本人が、本当に価値がある人間を、一生に一度も評価することなく、自分に近い人間達だけで互いを褒めあって慰めあっているという見るに見かねる悲しい状況で、人生を終える。
「お前に俺の何がわかるんだ!」と勝手に相手を評価するセリフもレベルが低い。
そして、そのような日本人の駄目な部分は、多くの子供達にまで浸透している。まず必要以上に、実質的に価値がまだ低い子供達を褒めたりすることは価値が低く弊害ばかりが目立つことである。そして、ある程度の日本人が、器が小さく、現実を直視することができない。
多くの家族が、家族であるから、ということだけで、本当に価値が高い家族と同等に扱われることを主張するが、彼らのその要求は多くを求めすぎである。
多くの日本人が、世界第二位の経済大国になったことを誇らしげに主張するが、実質的には、その経済成長の2/3ぐらいがインフレによってもたらされたことである。そして現実的には文化的に低評価されるべきことが多く存在している状況である。
まともに評価されるべき若者が評価されていない。
洋服の青山の宣伝は価値が低い。
「もう、準備できている?」そのセリフのやりとりは、実質的に価値が高い者を無視し、勝手に、現実的にはほとんど価値が高いことが何もできない者達だけで、何か特別なことができるような面をした越権行為である。
笑っていいともで、給仕されることは好きだけど、給仕することは嫌である、と言っていた男のその発言に、そこにいた多くの客がドン引きしたが、彼はそのことに気付いていない。多くの場所でもてはやされているが、私はその男を見なければならないことに耐えられない、その男に何の価値があるというのだ?そして私は高く評価されることは一切無く、その価値が低い者が選ばれていることを、見なければならない不幸を強請されている。
多くの日本人が、金持ち一家に、金を多く持っているということで、神聖視し、靡く。そして収入が低い者を内心小ばかにしている。
今の、民主党内では、消費税実現のことだけに焦点が絞られ、大きく改革を行うことを主張する者は、一人も存在しない悲しい状況である。まずは、発案、意見を作り出す能力を持ち備えた民主党議員は一人も存在しない。そしておそらく、自民党にもそのような者は一人も存在しない、空虚な状況である。多くの有権者が、自分と同じ匂いのする政治家に投票するので、現実的に政治能力が高い人間が選ばれることがない。
野田は、「全力で取り組む」と主張するが、全力の状況が、自分を最大限に生かすことに結実していない。
私が、価値が高いと評価できる政治家は、一人も存在しない。どの政治家の意見も似たりよったりである。そして、似たりよったりしていることが、民主主義が大きく生かされたことであると勝手に解釈し、価値が高いことであると、多くの政治家が勘違いしている。似たりよったりしていないが価値が高いことを主張する勇気がある、政治家は一人もいない。
私が多くの価値が高く有用なことを発案しても、それは小ばかにされていて、それを実現しようとする、チャレンジ精神を持ち合わせる人間を見出すことは、できない。
多くの日本人が、常識的であることを絶対条件としている。
自動ハンドシステムの開発のために、世界の英知が集結されるべきであるのに、そのようなことは、実現することが無い。そして私の考え出した、自動ハンドシステム、というものが、評価されないのは、常識的ではないからである。
私はかなり厳しいことを言っていたが、どの人々も、その状況を克服できる可能性を持っているが、それを生かさないであろう。
競争原理を私は低く評価したが、競争しあったものは、やはり輝いている、ということがある。