三上祐一が2012.01.25~01.27に考えたこと(エッセンシャル) | 三上祐一のブログ

三上祐一のブログ

 独自の日本大改革案を掲げる三上祐一のブログです。 なお私はこのブログの著作の一部がウィキペディアの「三上祐一」の項に投稿されることを認める。 http://yuusukeueno.blog40.fc2.com/

 「♪~はっきり言って、はっきり言って、はっきり言って、どうなんだ~。♪~はっきり言って、はっきり言って、はっきり言って、どうなんだ~。♪~はっきり言って、はっきり言って、はっきり言って、どうなんだ~。♪~はっきり言って、はっきり言って、はっきり言って、どうなんだ~。ふんぎりつかぬ自分に、飽き飽きし、自己問答繰り返す俺にあいつには、『いい案ってなかなか浮かばないもんだから』、と励まされ、胸キュンな俺、はっきり言って、やばくねー?やばくねー、この感情、はっきり言って、やばくねー?やばくねー、この感情、基本的に福リーダーでありつつこの感情やばくねえ?『告白したら、どうなんだ』、そこにおいても、ふんぎりつかぬ俺、正にそれは、副代表として『胸に押し殺しておくべき感情』と察し、俺は俺としてそれを実行し、送る言葉は『あっちゃんカッコいい~!』ここにおいて、義塾と早稲田に義兄弟の契り交わし、正に立ち行かんとする日本改革に向け、一気に突き進め~!
(フィクション)」

 小説タイトル: 「愚者の勝利」

 俺は偏差値38の高校を1年の時には、本当の自分を出さないバージョンで経験することにした。


 幸子っていう名前だって、韓国系だから、幸薄いっていうこと知らなくてついた名前かもしれないよ。

 二都問題

 首都高及び幹線道路機能の2重化の必要性~

 そこにおいて勇介は根本的な、辿り着くべき発想に辿り着いた。「労働党と資本党、両方必要だ!そこにおいて、両者は両者の尊重すべき点は尊重し、欠点は互いが機能し改善して行くべきである。互いが合わさり機能し合うことによって、2つの党は1つの公に真に有益なものとなる可能性がある」

 読書を一杯すれば、読む力が付くとは限らない。そこにおいては、基本2教科の慶応よりも3教科の早稲田の方が要領主義を満たしている可能性ある。そこにおいて浮かび上がる疑問&売れる本題材、『小論文はどのように採点されるのか?』そしてもう一つ、『偏差値0から学ぶ早稲田現代文徹底攻略』、そこにおいて、私の早稲田奇跡説と英語・歴史が超凄かった説が明らかとなる。

 「携帯電話会社ってどこ選ぶ?」 「UQコミュニケーションでもいいなあ」

 遺伝は、どちらが尊ぶべき性格かを決めない。なぜならば、両方尊重されるべきことも考えられるからである。そして、その一歩手前の論理としては、親子で対立、という相応しくない状況が選択される可能性があることが、現実であるからである。

 多くの人々は、くだらぬ処理の必要が無いぐらい、性欲に満ち溢れている、それは、多分欧米より日本・中国・韓国の方がそうだ、と言えることであろう。
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☆☆☆☆☆以下次の太い罫線までの著述は、基本的にコンピューター・プログラムの新しい機能である。
 IF ~ THEN ~ ELSE ELSEIF ~ という命令文で、IF~文が当該事項であった場合には、THEN 以下のことを、“①ならば”命令として選択しない、という例外的命令文が必要である、そこにおいては、コンピューターにも、人間味が出てくるであろう。

 「IN CASE ~,“IN CASE ~,OUT-THIS-CASE(GOTO~とは明らかに機能が違う),BECOUSE~.”.」 という命令文。そこにおいて、コンピューターは、なぜならば、と理由を述べる努力を行う。そこにおいて理由において人気があるものは、高い理由の候補とすることが可能である。なお高い理由の候補として人気が高い順番に並べ、そこにおいては、議論を取り入れた、人間の精緻な検証が必要となる。人間の精緻な検証を経て、その理由として、妥当か妥当ではないかが判断される。そこにおいては、理由として妥当であるか、妥当率というものを決定することが可能である、また、“部分的理由として、ふさわしい”、“部分的理由として、ふさわしい可能性がある”などを決めることが可能となる。

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 妥当率と、“部分的理由として、ふさわしい”判定は、コンピューター・プログラムの可能性をある程度広げる。

 コンピューター達は喜んだ。そこにおける・コンピューター・プログラムは、自分の存在意義が低くなる、とその命令文を受け入れなかった。ここにおいて、“ことばが神である”、ということは、ほとんど無い可能性が高い。DNAが神であるとも言い難いであろう、それは生物のことを表現しているに過ぎない。

 この命令文を使用し、生物は、ある程度高度な進化を遂げることも可能である。しかしプログラミング言語は、言葉としての役割しか無い以上は、決定的にそれ以上のことを成せない構造的欠陥を持つ。例えば「紗栄子が養育権を得る、と法律が決めても、養育費をダルビッシュ有が決める以上は、養育費をダルビッシュ有が一部持つということになり、そこにおいては、部分的矛盾を解決できない。」などが言葉における構造的欠陥である。

 であるからして、法律というものは、多くの必要以上の分際以上の権利を持つ、ということになるであろう。


  なおDNAはたんぱく質形成に多く関わるが、基本的に生物は全て細胞として機能している、という特質を持つ。
なおDNAはやはり一方的な製造しか行えないのだろうか。

 人間以外の高等生物は言葉は持たぬが、神の実存を完全に知り抜いている可能性がある。

 生物には、ある共通点がある、それは基本的には、自己が消滅することを避けることである。そこにおいて、多くの生物は共感可能である。

 そして生物には、脳と体内の神経系統の統合機関である心の二つを持ち合わせ、神経系統の統合機関である心で感じ、脳で考えるのではないか?反射神経の発達した生物は、心で感じる量で人間を凌駕している可能性は、大いにありえる。そしてその機能は、大脳の発達によってもたらされた進化よりも、多くにおいて意義がある可能性はある。

 そして、多くの生物にとっては、思考、というものは、その生活において、多くが誤りである可能性が高い。人類の思考の総体、というものは、ある時期までが多くの誤りが存在し、ある時期から、革命的に多くが明らかとなる可能性はある。それは基本的には、学問・スポーツなどの制限を持つ経験を積むことではなく、無制限の世界で経験を積むことによってなされる可能性は有り得る。

 なお、キリスト教は「ことばは神である」、としているが、言葉自体が、言葉そのものにおける、構造的欠陥に気付けないから、言葉は高い機能を保持し得ない、という可能性がある。

 そして人間以外の高等生物は言葉は持たぬが、感性を駆使することによって、多くのこと(例えば宗教上の問題)を解決している可能性はある、しかし、この意見は、死期が迫った犬が苦悩するのであれば、簡単に覆される。

 ダーウィンこの問題を看過して欧米科学は語れないであろう。


 原子が無限に原子の内部に小宇宙を蔵し、それらの小宇宙はめぐりめぐって、大宇宙に繋がっていて、それが、無限に繋がっているのであれば、人間は、基本的に、言葉を神とすることはできない。なぜならば、宇宙は有限である、というわけではないからである。

 「ことばが神であった」、という発想は、基本的に、この世の中が有限である、と設定して考えることに寄っている。

 「最も強いものや賢いものが生き残るのではない。最も変化に敏感なものが生き残る」というのははっきり言って、言えない、ということが現実である。なぜならば、多くのことは例外が存在するものだからである。ここにおいては、私は、常識外の概念の常識的用法を取った。

 勇介は達成しなければならなかった学歴があったから、無駄に達成しようとする目標が基本的に低いつっぱりと一切つきあえない、という現実があった。井草中学校のつっぱりどもはまじでうざかった、くだらぬ話などに付き合ってなどいられないという現実があった。学歴は達成された。あとは大きな幸せの達成である。であるから、くだらぬことしかできない奴らと基本的につきあっている筋合いは無い。井草の奴に言いたいことは、俺は港区青山小学校出身で・青山中学校との強力な、つながりがあって価値の高い仲間がいるから、孤独から始まったことと、父が早稲田大学政治経済学部政治学科出身で、父の様になるためには、高い学歴を達成しなければならず、基本的に頭の悪い俺は勉強しなければならなかった、ということによって不利益を被った俺に対しては一切関わって来るなよ、ということだ。

 そこで実行されるべきことが、くだらぬ馴れ合い組織の撲滅である。くだらぬ馴れ合い組織は撲滅され、真の価値を持つ、個人、組織に改造されなければならない。日本の東京においては、全てのものが株式会社・官庁組織として編成され、一切の個人が見出されない現状がある、それはラッシュアワー時の地下鉄内での話である。今後は、全ての人々が個人として独立し、それぞれの個人が自由に有益な組織を編成できる様になるべきである。ラッシュアワー時の地下鉄に乗っているサラリーマン達は、現実的にはどのような仕事をしているのかが知りたい。株式会社では、基本的に、新しい商品が開発され、それを作り出すブルー・カラーと発案・考案・開発者・販売者のみが存在すればいいだけなのではないか?そこにおいては、ブルー・カラーの仕事は、私が作り出した、「自動ハンドシステム」によって、一切の無駄な労務が軽減されることが望ましい。そしてブルー・カラーに高賃金が支払われることが相応しいことなのではないか?まず、支配階級と労働者が分けられること自体が間違いだったなのではないか?

 そして、全ての人々は一定の労働を「自動ハンドシステム」によって一切の無駄な労務が軽減されて、分業する、ということがまずは考えられる。そこにおいては、基本的に企業に就職する者の多くは、企業に就職しなければ、生きていけない、という妄想にとらわれている、そしてそのようなことが世の中で決まっているわけでもない。基本的には、個人が価値あるものを作り出し、それを売れば良いのではないか?

 杉並区というのは、東京の中で一番大嫌いな区である、改善されるべき組織としては、杉並リトル・シニアリーグが存在する。俺はそいつらのせいで、いらぬしわ寄せを受けた、という現実がある。2番目に嫌いな区が世田谷区である。米田が住んでいる街だからである。「殴れ・殴れ・殴れ」「もっと強く殴れ」「もっと強く殴れ」その要求に従い、少しずつ強く殴らされたのだが、そこにおいて、俺が結果的に殴られることが分かっているならば、殴らなかった、という現実がある。そのときは、怒りで何度も奴に背負い投げを浴びせ倒すというはめになった。その幸薄き行為の結果については、「だからおまえは落ちるんだ、やれ!」という作品名のDVDを見てその結果を知りやがれ!

 勇介が東京都内で一番好きな区が港区で二番目に好きな区が新宿区で次が台東区で次が文京区である。 

「細川茂樹」 細川護煕:関ヶ原の戦いなどで活躍した戦国大名・細川忠興の子孫で、旧熊本藩主細川家第17代当主・細川護貞と、近衛文麿元内閣総理大臣の娘である温子との間の長男として東京府東京市(現在の東京都千代田区)に生まれる(本籍地は熊本県熊本市)。「いいよなあ、そういう生まれとかが特別で、幸せが決まっている奴って」でもよくよく調べてみたらそうではないことが明らかとなった。

 なお政治組織として、党といういわば偏ったものを表現するもので、全ての政治組織が作り出され、運営されることは相応しいことではないであろう。各党は、建設的議論によって、党派を超えた価値実現を目指すことが、相応しいことなのではないか?そこにおいては、常に真の正義・価値の高いことを追求する努力が行われるべきである。限りなく中道を目指すということとなる。そこにおいては常に有益な発案・意見を編み出しそれを提示し、自らをできる限り反省し、問題点を見出し改善する、努力が行われなければならないであろう。ここにおける私の著述が実現されることは当面無いであろう、馴れ合い組織が無益なことだと分かっていながらも、自分達の利益実現をはかりそれが行われるから。

 日本のテレビ局は、無益な宣伝の提示によって、利益達成を目指す、会社に無用に従わざるを得ない状況から脱却するためにはそれらの会社とは決別し、オン・デマンドの有料制導入によって、金を稼ぐべきである。

 インドネシア・タイの現地の労働者の賃金は20%上昇することが望ましい。そうすれば、それがめぐりめぐって、東南アジアと日本の一体化が深まる、という状況が導かれる。日本は東南アジア人を安く雇い、日本人だけが得をする、という状況を作り出すことは、東南アジアに対して寛容である、ということを成してはいない。そして、ホワイト・カラーが高い賃金をもらい、ブルー・カラーは安く雇うという状況は改善されるべきである。はっきり言えば日本のホワイト・カラーは高い賃金をもらいすぎなのである。そして、欧米で展開された、資本階級と労働階級の住み分けのようなことは行うべきではない。はっきり言えば、日本は東南アジア諸国とは互いが平等である、という状況を守りつつ、運命共同体となることを決定すべきである、そうすれば、東南アジア地域の人々が、その実現を望まなかったであろう、事実上、日本の資本階級の利益を増大し、現地の人々には労働を負担させることであった、現実的には不平等の形成であった、大東亜共栄圏の実現とは違う形の、東南アジア地域の人々にも喜び迎えられる東南アジアと日本の共同利益は実現される。そこにおいては、互いの地域が東・東南アジア地域での勢力の拡大ということが実現される。そうすれば、韓国・東南アジア・日本の共同利益の実現に発展する可能性がある。そして最終的には、中国とも共同利益を導き出すべきである。そこにおいては、日本人は、中国人も認める、価値の高い発案・意見を作り出す能力を持たなければならない。そして、エジプト・イエメンなどの国々とも日本は有効を深めることが可能である。そこにおいては大アジア主義というものが実現される。アジアは欧米が行った、資本階級と労働階級の住み分け、ということは出来る限り行われてはならない。互いの国々が得をすることを実現しなければならない。そこで考えられることが、日本のホワイト・カラーの高賃金を低賃金にし、つらい労働を行っている、それぞれの労働者に、高い賃金が支払われるべきである。そして、労働者の労務は「自動ハンドシステム」によって、すぐにでも軽減されることが望ましい。なお、ドイツでは、ブルー・カラーに高い給与が支払われている、という現実がある。であるからして、ブルー・カラーが高い賃金をもらい、ホワイト・カラーの賃金は削減される、ということは、決して非常識なことでも何でもないのである。ホワイト・カラーが自分達の権利を主張したいのであれば、それでは、真に生産的なこととしては何をやっているのかが明示されるべきである。そこにおいて高い意義が見出されるのであれば、ホワイト・カラーの権益は守られるべきであろうが、予想されることは、ホワイト・カラーが真に意義深いことは何一つも行っていやしない、という状況が浮き彫りとなるであろう。ホワイト・カラーは自分達の仕事を意義深いものとして人々に納得されるように示すことはできやしないであろう。日本人は、会社員として働くことで意義深いことを何一つ作り出してやいない、ということを知るべきである。サラリーマンは仕事ごっこをして高給与を受けていた、という現実が明らかとなるであろう。そして究極日本の大企業の幸せなど、どうでも良い、という現実がある。