5/19
朝7時半発の高速鉄道で大連に移動。
移動距離としては、660〜680km程度(東京からなら鳥取県や青森県あたり)。
乗車時間は3時間45分。
ハルビン〜長春と同様に荒野や田畑がメイン。
時々、大きな街で停車。
瀋陽。個人的には旧名の「奉天」の方が聞き馴染みがある。
(瀋陽(奉天)の歴史)
柳条湖事件、満州事変の現場。
時間があれば少し寄りたいところだけど、今回は残念ながらスキップで。
大きな湖?があったがgoogleマップでは出てこなかった。
無事、大連駅に到着。
外に出ると…
ビル街!!!
左手の道に進み振り返ると…
大連駅舎。
大連駅舎は満州国時代から変わらないようだ。
程なくして本日のホテルへ到着。
まだ12時だがチェックインさせてくれた。ありがたい。
バスルームを含め4部屋もあり広々。
朝食付いて一泊8000円程度。
中国のホテルは本当に当たりばかりだ。
昼を食べに街を散策。長春に続き、この日も生憎の雨。
大連は港町なので海鮮料理が美味しいらしい。
この店が良いとネットで見たので。
とりあえず、勧められた貝と一品。
そして大連ビール。
大連ビールは少し薄味?個人的にはあまり。
貝は貝殻を皿に見立ててそれで料理をつくった感じで。
白滝とか入ってる。
中華風に仕上がった食感の良い新鮮な貝はとても美味しかった。
一つ500円位。
ただ、問題だったのがこちら。
店員の「オススメ」から選んだひとつだけど。
海鮮の何かだと思って楽しみに食べたら、まさかのスイーツでした。そしてこの量。
ドリアンのクリームが入ったお菓子らしい。
ごま塩がかかっているのか甘塩っぱくて確かに美味しいけど。
だけど、流石に昼の13時位に来て、一人でこんなにスイーツ食べるわけないわ…1500円もしたし。
店員も空気読んで注文の段階で俺を止めてくれ!中国語通じないから面倒だったのか…
対応した中年女性の店員とは早々に会話を諦め、何故かハンドサインでやりとりしていた。(これ、グット?グッドだよ。じゃあ、一つ。みたいな…)
頑張ったが半分残した。
その後歩ける距離にある「大連俄羅斯風情街」へ向かう。
(大連俄羅斯風情街。歴史、みどころ)
ロシアによる大連の都市開発はこのエリアから始まったとのこと。
ロシア風の街並みが残る!
昔の建物が38棟あるらしい。
通りの入り口にある右の建物が1902年に帝政ロシアにより建設された元「東清鉄道汽船会社」の建物とのこと。
ただし、 オリジナルの建物は取り壊されており、現在のものは、1996年再建のレプリカ。
格好良いです。
通りの中に入ると多くの歴史ある立派な建造物。
本当に次から次へと言う感じで圧巻でした。
あまり期待しないで来たんですけど、とても良かったです。
そして、一番奥の広場に鎮座していた建物(右)が、1898年にロシアにより建設された元「ダーリニー(大連)市役所」の建物。
1905年に日露戦争後に大連が日本の管理下となると、初期の「南満州鉄道(満鉄)本社」や「初代大連ヤマトホテル」、その後は「満州資源館(満蒙物質参考館)」として使用された。
戦後は長らく「大連自然博物館」として市民や観光客に親しまれていたが、1995年に博物館が別の場所へ移転した後は空き家状態が続いているらしい。
確かにこの建物だけ劣化していてまだ修復がなされていないようだった。
満足して、次は少し遠出。
タクシーで「大連博物館」へ。
入場料無料。事前予約は無しでOK。
4階建ての建物。
大連の歴史がしっかりまとまっていてとても勉強になりました。
ここでも、日本軍による地元住民の虐殺描写があり日本人としては複雑な気分です。
ただ、この博物館の入場の際スタッフが、「ここ、なまえ、でんわばんごう」と入場記録の記載方法を簡単な日本語で説明してくれたので少し安心した。
ここまで、日本語を喋る中国人とは出会ってこなかった。
ただ、後から調べたら大連は中国でも特に日本人が多い都市の一つらしい。
満足して、タクシーで大連市内に戻って「東関街」へ
(「東関街歴史文化街区」。歴史、見どころ)
1905年に日本による統治が開始した後に開発が進んだ、当時の現地人の居住区。
1920年代には商業の中心地となり、「満人街」と呼ばれていた。
戦後は一時廃れた時期があったものの、2024年に再開発。そして、観光名所に。
「バロック折衷様式」のレトロな街並みが再現されているとのこと。
味がありました。
東関街に気になる飲食店があったので入った。
空いてたし、何の気なしに入ったが、人気店らしい。
ウニ餃子。
大連の特産とのこと。その発想はなかった。
6つで900円くらい。
ウニが丸ごと入っているのかと思ったら、ほのかにウニの風味のする餃子。
個人的には少し期待はずれ。
まぁ値段を考えると妥当か。
羊肉の串も頼んだが、ジューシーで美味しかった。5本で600円弱。
その後、近くのショッピングモールで土産を購入して、ホテルで少し休む。
その後、「海昌·東方水城(東方威尼斯水城)」へ。
海昌・東方水城は、中国・遼寧省の大連市東港ビジネス区に位置する、イタリアのヴェネチアをモデルに作られた広大な人工水上都市テーマパーク。
異国情緒あふれる美しい景観から、現地でも非常に人気の高いSNS映え・観光スポットとなっている。
中国の総合娯楽企業である「海昌集団」が中心となり、総額50億〜80億元(約1,000億円以上)という巨額の費用を投じて建設。また、フランスの有名な建築設計チームを招き、イタリアのヴェネチアの町並みを精巧にシミュレートして設計された。
古くからロシアや日本の影響を受けた歴史的建築が多い大連において、東港エリアの再開発に伴う「近代的な新しいヨーロッパ風観光地」として2010年代半ばに誕生したとのこと。
入場自体は無料。特に検問があるわけでもなく、どこからでもこの区画に入れる(大きさは約40.36万㎡で、東京ドーム8.6個分)。
とりあえず色々と圧巻すぎて…
まぁ、ここは男一人で来るところではない。
妻子が一緒ならより楽しめただろう。
ただし、全部歩いて見てまわるだけで1時間はかかったので、妻子がいたら半日コース…?
大連は海鮮が美味しいと言うので、露天の串を買ってみたが…
小を頼んだのに、大が出てきた(35元。約800円)。
もちろん定員は中国語オンリー。
圧倒的な量…
タコ、イカなどのフライだが、残念ながら鮮度が良いわけではなく、味はそこそこ。
とてもじゃないけど食べきれなかった。
その後、タクシーでホテルに帰って23時頃就寝。
この日は長春からの移動、そして大連観光で歩き回って疲れた。
翌日は大連から車で一時間の距離の旅順の一日観光。
翌朝に起きれるか不安になりながら就寝。
5/20
無事に起きれて、タクシーで旅順へ。
一日観光。
ある意味ここがハイライトなので別記事で。
5/21
最終日。
午前。大連市内を散策して見れていない史跡を訪ねてまわる。
タクシーで「日本風情街」へ。
(日本風情街。歴史、見どころ)
1905年〜1945の日本統治時代に、この南山の麓一帯は、主に南満洲鉄道(満鉄)の幹部や高級官僚の社宅街・邸宅街(当時の地名は「楓町」など)として開発されていた。
案内板の地図。
「日本風情街」ではあるが、google mapのコメントにも見られたように、私も特に「日本」を感じる街並みとは感じなかった。
ここだけは確かに日本かな?
力道山…
中心の広場。人魚?
綺麗な桜だ…
と思ったらまさかの造花。
本物の木に造花を巻き付ける嗜好は日本人には理解できない。
と思ったが、私の考えが古い??
その後、道なりに歩き、他の史跡を見ながら、現在でも大連の街の中心である「中山広場」を目指す。
途中、元「満州大連医院」の建物を見物して(現在も「大連大学附属中山医院」という総合病院として機能)
「満州大連医院」は満州国時代に南満州鉄道株式会社(満鉄)が建設・運営していた「東洋一(アジア最大級)」と謳われた伝説的な総合病院らしい。
かつての「東洋一」という称号に恥じない威容にびっくりしました。
敷地は東京ドーム1.9個分らしいです。すごい。
写真は割愛。
途中で見かけた郵便箱がオシャレ。
その後、南満州鉄道株式会社(満鉄)の本社跡を見に行く。
(満鉄とは)
単なる鉄道会社にとどまらず、炭鉱開発、製鉄、ホテル経営、都市建設、さらには最高峰の調査機関(満鉄調査部)を抱え、日本の満州経営(植民地支配・経営)の中核を担った「巨大複合企業」。
今さっき見た総合病院の前身である「満州大連医院」は、これも満鉄が経営していた。
(満鉄と関東軍のつながり)
最後は関東軍に良い様に使い潰された。
そして「中山広場」に到着。
ここは、昔の建物が多く残る謂わば「屋根のない博物館」という。
インドのコルカタの屋根のない博物館も良かったが。
2026/4/1② B.B.Dバッグ、ティウ・スルタン・マスジッド 、マザーテレサ・ハウス | 歴史好き感染症科医の旅行ブログ
まぁ、ハルビンも長春もそんな感じだったし、中国は古い建物を大事にする。
日本の支配時代の生き証人としての役割や、観光資源として等それなりの打算もあるそうですが、それでも歴史的な建物が残っているのは本当に貴重。
中山広場。
もっと高い位置から撮っているが中山広場の古写真。
似たようなアングルをネットで拾うと。
まぁビルがニョキニョキですね。
(中山広場。歴史、見どころ)
日本統治時代に基礎が完成した。
現在でも大連の中心。
この広場沿いにぐるっと周りを見ながら歩いてまわると、昔の建物がしっかりと残っていて感動する。
大連のヤマトホテルだった建物。
ヤマトホテルは「満鉄」の直営。
満鉄は、鉄道だけでなく、病院、ホテル経営と本当に手広い。
先程、満鉄の本社と経営していた病院は見た。
そして旅順のヤマトホテルは前日に見た。
こちらの大連ヤマトホテルも溥儀が泊まったが、他にも色々な著名人が泊まったらしい。
リットン調査団。夏目漱石。戦後の日本の歴代首相…
その後、中山広場をぐるっと回って周辺の歴史的建造物を見て回りました。
満足して、宿に戻ることに。
最後に大連駅の方へ伸びる天津街(Tian Jin Jie)を歩いてホテルに戻る。
天津街(通り)は、100年以上の歴史を持つ大連で最も古い老舗商店街(歩行者天国)で、大連駅のすぐ近くにあり、地元住民から観光客まで多くの人で賑わう大連を代表する繁華街・ショッピングストリートとのこと。
1909年に作られた大連の商業発祥の地で、日本統治時代には「浪速町(なにわちょう)」と呼ばれ、当時から街の中心的な商業地として栄えていた。
新旧が混ざり合う店舗が並び、歴史ある老舗専門店から大型デパート、お土産用の雑貨を売る露店まで多彩な店舗が集まっているというが…
私が歩いたのは真ん中から西側だけですが、とりあえず、思っていたのと違う。
昔ながらの雰囲気は全くない。
完全なビル街で、周りの高層ビル群に圧倒されて大連駅に着いた。
ホテルで急いでパッキングして、タクシーを呼び、「大連水周子国際空港」へ向かう。
30分程度で到着し、600円。安い…
最後で空港で昼食。
店員さんが日本語を喋れて安心したこともあり、ぱっと中国元と日本円の換算ができず、買ってからこのヌードルがバカみたいに高いのに気付いた。後悔…
そして味はあまりだった。
ANA。
機内食が出てきた。
日本食。
中華食べた後だと味が薄く感じる。
日本は人と同じで食べ物も自己主張が弱いと感じた。
でも、じわじわと染み渡るように慣れた味が口に広がるので、ああ日本だなと安心した。
無事に成田に到着。
電車に乗り込み20時位に自宅に着いて今回の旅は終了。
8日間で、ハルビン、長春、大連、旅順と観光しました。
日本が関連した戦争関連の史跡が多かったので、日本という国を違った視点から見つめ直す良い機会。
とても勉強になりました。
とりあえず、行かせてくれた妻子に感謝です。
中国が比較的安心できる国とわかったので、今度は妻子を連れて、北京、上海、西安あたりにいつか行きたいなと思います。

























































































