こちらの続き。
2026/4 東京都 東京復活大聖堂、順天堂大学(御茶ノ水) | 歴史好き感染症科医の旅行ブログ
お茶の水駅から2駅。
東京駅で下車。前から見たかった史跡が、ちらほらあるのでこの機会に。
この前、Eくんを案内しがてら見て歩こうかと思っていたが、歴史にいくらか興味のあるEくんでもさすがに少しディープ。
一般的な観光名所で済ませたのは正しい判断だったと思う。
2026/3 パキスタン人の親戚に会う⑥ Eくんと東京駅周辺を観光 | 歴史好き感染症科医の旅行ブログ
まずは、「北町奉行所跡」
(町奉行所とは)
江戸幕府が直轄都市(江戸・大坂・京都など)に置いた、行政・司法・警察のすべてを担う総合的な役所のこと。
現代の組織に例えると、都知事、警視総監、裁判所長官、消防総監などの役割を一人(町奉行)が兼任して運営するような、極めて権限の大きい巨大官庁。
(江戸 北町奉行所とは)
東京駅を出るとこちらの案内板があるが…
案内板によれば、①のビルの位置に「北町奉行所」が存在した。
(写真は東側から東京駅を臨む。②は案内板がある場所)
巨大官庁とされた北町奉行所の跡に、さらに巨大なビルが建っているという。
時代の移り変わりを感じる。
北側からビルの合間に入ると、また新たな案内板が。
当時の様子はほぼ感じることは出来ないが、歴史の変遷自体は強烈に感じる。
近くに工事中の建物があった。何をつくっているのだろう。
格好良くて、ついつい写真を撮ってしまった。
こういう風に段々と景観が変わっていく。100年、200年後にはどうような景観になっているのか—
次は「日本橋」を経由し「長崎屋跡」へと向かう。
「日本橋川」を跨ぐ「日本橋」
「日本橋川」は江戸時代に神田川と外堀(外濠)を結ぶ運河として整備されたもので、隅田川へ至る。
向こう側に日本橋が見えた。
「日本橋」
(日本橋 歴史)
徳川家康の命により完成された。五街道の起点。
1911年に現在の石造り2連アーチ橋となり、これは関東大震災や東京大空襲を耐えた。
1963年に東京オリンピック開催に伴い、頭上に首都高が建設された。
2040年を目処に首都高を地下に移設し、日本橋に青空の景観が戻るプロジェクトが進行中とのこと。
浮世絵の日本橋は今の橋より大分大きく見えるが、ai先生はそんなことはないとご主張。
浮世絵には若干誇張が入っているのか?
気を取り直して、日本橋から北へ真っ直ぐ進む。
1800年頃の地図はこちら。
江戸時代の日本橋北の繁華街の様子。
今は高層ビル街。
(江戸時代と現在の日本橋北の繁華街の比較)
そして程なくして「長崎屋跡」に着いた。
(長崎屋とは)
長崎の出島に駐在するオランダ商館長(カピタン)一行が、将軍に謁見するために江戸参府する際の定宿に指定されていた薬種屋。通称「江戸の出島」。
カピタン一行は毎年(途中から4年に1回)江戸に参府してここに滞在していたので、西洋の最新情報をゲットするために、当時の江戸の知識人はこぞってここを訪れたとのこと。
「解体新書」の杉田玄白や「べらぼう」にも登場した平賀源内もその一人で、杉田玄白が「ターヘル・アナトミア」(「解体新書」の翻訳元)を手に入れた経緯は、小浜藩医として後輩にあたる中川淳庵がここで目をつけたものを、杉田玄白に勧めたから。
(杉田玄白らが「ターヘル・アナトミア」の翻訳を志すきっかけとなった腑分けを観覧した「小塚原刑場跡」は先日訪問済
2025/9 東京都 小塚原刑場跡(南千住) | 歴史好き感染症科医の旅行ブログ)
個人的にこの「長崎屋」は楽しみにしていた史跡でした。
地図上では向こうのビルの辺り…
新日本橋駅の入り口?
左手に何から案内板が—
あった長崎屋…
。。。。。。。。。
辺りを見渡すが…
これだけでした!!!
残念!!
「お玉ヶ池種痘所跡」と同等のがっかり感ではある。
2025/9 東京都 繁栄お玉稲荷大明神、お玉が池種痘所跡(岩本町) | 歴史好き感染症科医の旅行ブログ
想定はしていたが何も残されてないとは…
気を取り直して次の史跡へ進むことにする。


























