「最後の審判」という言葉を聞くと、
私たちは無意識のうちに“善悪の点数表”を思い浮かべているのかもしれません。
 
良い行いは加点、悪い行いは減点。
その合計で天国か地獄かが決まる――そんな分かりやすい構図です。
 
しかし、もしその発想自体が人間側の思い込みだとしたらどうでしょうか。
 

私たちは日常生活の中で、努力すれば報われ、ルールを守れば評価される世界に生きています。

その感覚をそのまま信仰に持ち込むと、「これを守れば安心」「ここにいれば大丈夫」という空気が生まれます。

 

けれど聖書が見つめているのは、表面的な行動よりも、人間の内側にある根本的な問題です。

 

善人と呼ばれる人も、そうでない人も、同じ問いを突きつけられるとしたら、

裁きの基準はどこに置かれるのでしょうか。

 

放蕩息子のたとえが示す視点は、私たちの常識を静かに、しかし確実に揺さぶってきます。

読み進めるほどに、「本当に問われているものは何なのか」を考えずにはいられなくなるでしょう。

 

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