グレコローマン博物館で知るクレオパトラが愛した都アレキサンドリア | エジプトの旅行会社 トライウェイズトラベル

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アレキサンドリアは、エジプト第二の都市で、

アレンサンダー大王がつくったまちで、

古代エジプト最後の王朝プトレマイオス朝の都でした。

映画や小説になったクレオパトラが過ごした場所。

 

お写真お借りしています。

 

・・・なのに、アレキサンドリア以外の各地で見られる古代エジプトの遺跡がない

神々に捧げられた巨大な神殿はいずこへキョロキョロ

 

なんでだろうはてなマーク

なぜ、アレキサンドリアの遺跡だけないんだろう。

 

スフィンクスが残るポンペイの柱はローマ皇帝へ捧げ298年に

建てられたものだそう( ..)φメモメモ

プトレマイオス朝が終わったのは紀元前30年ごろ。

 

初めて疑問に思いました滝汗

これまで興味がなかったアレキサンドリア

一気に興味をもたらしてくれたのは

リニューアルオープンしたグレコローマン博物館を訪れてからですラブ

 

 

修復を経て18年ぶりに再開した博物館を初めて訪れました。

多くの彫像、モザイク、当時の家、ソベク神殿の復元されたものや、

陶器、ミイラ、棺、この時期に新たに作られた神様セラピス神、ミニチュアのさまざまな女性像

壁画の一部、2時間見てもまだまだ見切れないくらいありました。

 

その中で特に惹かれたのが、

クレオパトラ7世

小さな像もたくさんありました。

本当にいたんだおねがい

アントニウス

荒い作りに思えるけど、こんなお顔だったのでしょうか。

 

ライトの反射がひどいのですが、上の2つの像はこんな展示でした目

中央のアントニウス、この頭の大きさの像が立っていたと思うと、

クレオパトラが国民にアントニウスの存在を植えつけたかったのかなキョロキョロ

 

それらの神殿や王宮が度重なる地震や津波により海に沈み、

お写真お借りしています。

 

2009年海のエジプト展展示された海底遺跡を見に行ったり で

お写真お借りしています。

 

頭の片隅にはあったけど、この博物館のおかげで、

当時のプトレマイオス朝の街並みはどれほど素晴らしかったのだろうと思えたのでしたデレデレ

 

現在のアレキサンドリア図書館あたりの海沿いに王宮があったみたいです。

 

博物館の中庭に再現された女神様と柱

薄暗い博物館から出たところで目に入り、立ち止まってしまいました。

 

なぜプトレマイオス朝に惹かれるのか、

曲線やドレープがざっつ・古代エジプトと違って、柔らかさが見え、

より人間に近く身近に感じられるからです。

これまで意識して王朝別で、遺跡や遺物を見てこなかったので、

これから見ていくと別の感想を持つかもしれません。

 

イシス神

 

ギリシャ人(マケドニア?)によるプトレマイオス朝は

それまでの古代エジプトへ敬意を払いながら、踏襲出来るものは倣い、

エジプト人に寄り添った王朝だったようです。