ぶらぶら街歩き 分厚い壁が目を引くバイバルスのモスク | エジプトの旅行会社 トライウェイズトラベル

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初めて見たとき、強固な分厚い壁に目を奪われた

二つ目の目的地に到着!

この建物がアル・ザーヒル・バイバルスのモスクだと知ったのは、

建物の存在を知ってからでした。

 

バイバルス?聞いたことがあるびっくり

 

平地にある城壁のように思ったのは、

通常、モスクにある高い塔(ミナレット)やドームが見えなかったためでした。

中はどんな風になっているのかキョロキョロ

 

こんにちはー!

こちらのモスクは開いていますか?

『閉まっているよ。』

 

いつ開く予定ですか?

『誰にも分からないよ。』

チーン

中が見られないことに

がっくりしながら、外周を歩きましたあし

 

大がかりな修復をしています。

 

 

先ほどと反対側の門にも門番がいて、入れてくれました!

なにか落ちてくるんじゃないかと思うような危なっかしい足場の下をくぐり、

中へ入るとこの通り目

一般公開までには、まだまだ時間がかかりそうです。

 

こちらのは正方形の多柱式モスクで、

壁の高さは12メートル、10000平方メートル以上の面積があります。

 

アル・ザーヒル・バイバルスはマムルーク朝の第5代スルタンです。

バイバルスは、何を成し得たのかはてなマーク

 

事績(ウキペディア『バイバルス』より)

マムルーク(軍人奴隷)としてエジプトのアイユーブ朝に仕え、

1250年のマンスーラの戦いでエジプトに侵入した十字軍に大勝を収める。

 

1260年のアイン・ジャールートの戦いではモンゴル軍に勝利し、

モンゴルのエジプトへの進出を阻止した。

 

戦後、マムルーク朝のスルターン・ムザッファル・クトゥズを殺害して王位に就き、

全シリアを併合する。

 

バイバルスの軍事的・政治的な能力により、

外部勢力の侵入に反応して成立したマムルークたちの政権は確固たるものとなった。

バイバルスは優れた精神力と体力の持ち主であり、

17年にわたる在位中に38回のシリア遠征を実施し、

うちモンゴル軍と9回、十字軍と21回にわたって交戦した。

38回の遠征において、その半分はバイバルス自身が陣頭で指揮を執っていた。

華々しい戦績のためにバイバルスは英雄としてアラブ世界に名前を遺し、

ハール―ン・アッ=ラシードやサラディンと並ぶ英雄として知られている。

バイバルスの英雄譚は説話文学に昇華され、

マムルーク朝後期からオスマン帝国期にかけての時期に現存する物語の形式が成立する。

バイバルスの活躍を鮮やかに描いた物語は、語り部を通して民衆を魅了した。

 

昔は、今ある鶏冠のような壁の上の飾りがありませんが、

強固な雰囲気は変わりません。

後に、ナポレオンや、イギリスの占領軍によって、

軍事施設として利用されたそうです。

 

建設されたときにあったミナレットやドームがないのは、

バイバルスがこのモスクを作ったときにしたように

他の権力者の建物を壊すことで、権威を示し、

その建物の材料を再利用して建てたように

解体され、よそに持ち去られてしまったためかもしれません。

 

いまは存在しないドームには、

マムルークの支配が宗教的に正しいことを確立するため、

十字軍の要塞からの略奪品が埋め込まれていたそう。

ミナレットは以下のようなマムルーク朝初期の伝統的な形で

あったと言われています。

石の彫刻部分はアクマルモスクや、

ハーキムモスクなど、いづれもカイロにある

ファーティマ朝につくられたモスクのデザインが取り入れられているそうです。

なるほど、ハーキムモスクのつくりと似ていますびっくり

 

アル・ザーヒル・バイバルスのことは、

このモスクを知るまで、なにをしたひとか詳しく知りませんでした。

知ってびっくり、軍事的・政治的に能力が高く、勇敢だったバイバルス!

人物を知り、あらためてモスクを訪れたいと思っていました。

 

英雄の足跡をたどって、

彼の祖国であるカザフスタンから毎年、訪問者が後を絶たないそうです。