エジプトの旅行会社 トライウェイズトラベルです![]()
コンコルド広場に立つオベリスク
ルクソール神殿に立っていたラムセス2世のオベリスクです。
ムハンマド・アリーがフランス王ルイ=フィリップ1世からの贈り物である
時計台の返礼に贈ったといわれています。
ムハンマド・アリーは、オベリスク一本なら・・・と思ったのか![]()
ヒエログリフを解読したシャンポリオンが遺跡保存の嘆願書を
ムハンマド・アリーに提出するくらい頓着していなかったそうです![]()
今、タハリール広場に立っている小さく感じるオベリスクでも、高さ20メートル、100トン。
パリに立つオベリスクの高さは約23メートル、重さは220トン以上ですって![]()
当時の技術では、運ぶのにさぞかし苦労したでしょうね。
カイロにあるムハンマド・アリーモスク
モスク手前の時計台が見えるでしょうか![]()
これを贈られた代わりにオベリスクをフランスへ贈呈したという
(20年前のガイドさんの)話をずっと信じていました。
こちらのサイトを見るまでは・・・
『フランス政府はオベリスクをエジプトから入手することを考え、ジャン・バプティスト・アポリネール・ルーバというフランスの海軍技官が1年間かけてエジプト総督のムハンマド・アリと交渉し、ルクソール神殿前のオベリスクを入手する許可を正式に得ました。1831年6月8日のことです。当初はルクソール神殿の正面に立つ2本を両方とも運び出す計画でしたが、ヒエログリフを解読したシャンポリオンの助言もあって、左右のうちで比較的に保存状態が良かった右側のオベリスクが、まず最初に運び出されることになりました。そして1836年10月25日に、国王ルイ・フィリップ臨席のもとに、パリのコンコルド広場の真ん中に立てられ、ここに大事業はついに完結したのです。
このオベリスクの移築に認可を与えてくれたムハンマド・アリに対しては、国王ルイ・フィリップから大きな時計が返礼として贈られました。その時計はカイロのシタデル(城塞)にある、ムハンマド・アリモスクの中庭に面した時計塔にはめ込まれて今も残っています。』
話がまったく違います![]()
フランスが交渉の上、オベリスクをもらったお礼にエジプトへ時計台を贈ったんだ!
残りの対のオベリスクは、エジプトとフランスの関係が悪化したため、
持ち出されることなく残ったそうです。
2本とも持ち出されなくて良かった!
ルイ=フィリップ1世(在位1830-1848)
エジプトとフランスの関係悪化が、どのタイミングだったのか![]()
オベリスク入手にまつわる期間、
2度に渡るエジプト・トルコ戦争(1831-1833年)(1839-1840年)がありました。
ルイ=フィリップ1世は、エジプトを支持して地中海地域への影響力の強化を狙ったけれど、
イギリスをはじめとする列強にこれを阻止され、ヨーロッパでは東方問題をめぐって国際的に孤立。
1840年11月イギリス軍がアレキサンドリアへ上陸、ムハンマド・アリーは降伏しました。
ムハンマド・アリー(在位1805-1849)
ムハンマド・アリーは、今後の後方支援よろしくね!くらいで、
自分にはまったく価値が感じられないオベリスクの交渉に応じたのでしょうか。
2本あげるはずが、1本になったのは、フランスは当てにはならないと判断したせいか。
ただ単にオベリスクどころじゃなかったようにも思います。
パリのコンコルド広場に立つオベリスクが、
こんな経緯でエジプトから持ち出され、フランスから時計台が贈られた。
ムハンマド・アリーは、モスクの完成前に亡くなっているので、
彼の目にうつったのは、立派な時計台と建設中のモスクだったのですね。
いまは時計台もモスクも砂埃をかぶり、違和感なく、溶け合っています![]()





