エジプトの旅行会社 トライウェイズトラベルです
アメンエムハト3世への一時の熱は落ちたものの
ファイユームのハワーラにあるアメンエムハト3世のピラミッドへは、
ずっと行きたかったのです
やっと来れた~!!!
有難いことにファイユームの同僚の家族に連れて来てもらいました
ファイユームに住むけど、ここへ来たのは初めての同僚、ママ、兄、
学校の遠足にも組み込まれないそうです。
エジプト人あるある
入り方を間違えたのか、4WDでないと険しい道のりをセダンで、ズンズン進み
見えてきました
立派だ~
カイロの南東約100キロに位置するファイユーム。
ダハシュールにあるアメンエムハト3世のもう一つのピラミッド、
黒のピラミッドと同様、泥レンガで出来ています。
レンガでつくられ、石灰岩で覆われていたそうです。
レンガの一つの重さは約10キロ
喜々と持ち上げる同僚のママ腰、壊さないでね。
『エジプト人は力があるのよ!』と得意げです
2つの山が連なっているように見えなくもありませんが
このピラミッドは、高さ58メートル、一辺100メートルだったそう。
アメンエムハト3世は、約45年間の治世でした。
ラッキーな王様で、エジプトの経済状況の改善と耕作地の量の増加の波に乗ったファラオでした。
アメンエムハト3世のヒエログリフも見られます。
建設に役立つさまざまな素材の採掘にも興味があって、
シナイでのターコイズの採掘活動が彼の統治期間を通じて大きく繁栄した理由だそう( ..)φメモメモ
父センウセルト3世のおかげ(ヌビアを支配下に置くことに成功)で、安定した王国を維持できました。
エジプトの北と東に位置する近隣諸国との平和的な政治的条件を達成するなど治世中に大きな成果をあげました。
ハワーラのピラミッド
ダハシュールにある黒のピラミッドは、アメンエムハト3世の事業が成功する前につくられたもので、
建設中に障害が発生したため、けっして満足していなかったそう。
黒のピラミッドの反省を活かし、ハワーラのピラミッドに労力を注ぎました。
落盤を防ぐため、黒のピラミッドより低い角度のピラミッドをつくったそう。
複雑な構成らしく、下部のピラミッドの上に?小さなピラミッドがあり?(←どういうことだろう)
下部のピラミッドの計画とデザインは、サッカラの階段ピラミッドの影響を受けたそうです。
内部は、墓泥棒を防ぐ、複雑なつくりにしたにもかかわらず、
結局、破られ、金銀・財宝は盗まれてしまいました
このピラミッドの特徴は、古王国時代に建設されたピラミッドとは異なり、
ピラミッドへの入口を南側に作ったことです
残念ながら、ピラミッドの内部へは入れません。
なぜなら、水没しているから
ピラミッドの玄室は、最初は岩から長方形の形に切り取られ、
その後、大きな単一の珪岩が埋葬室の空洞内に置かれました。
構築プロセスの最後に、この珪岩の断片を非常に慎重に除去して、
ピラミッドの最も重要な部分である玄室を構築しました。
これにより、4つの壁があり、各壁の厚さは0.5メートル、高さ7メートル、幅2メートル半の部屋になりました。
ピラミッド内部は、水が侵食していて、入ることが出来ません。
イギリス人のエジプト考古学者フリンダーズ・ピートリーが、発掘に従事しましたが、潜りながらで大変な発掘だったそう。
ピラミッドの横には、アメンエムハト3世の葬祭神殿もあります。
この神殿は、ヘロドトスほか、考古学者たちにラビリントス、迷宮と呼ばれるものでした。
それは、かつて大きな城壁があり、天井のある12のホールがあり、そのうちの6つが北に、
残りの6つが南に位置し、300を超えるさまざまな部屋があり、
その半分は地下にあり、地下階はまだ発掘されていませんが、
地上の柱の一部を除き、地上部分にはほとんど残っていません。
ピートリーいわく、葬祭神殿は、大きな神殿3個分の大きさだったそうです。
現在は、ポーランド隊が黒のピラミッドとともに
ハワーラのピラミッドも調査しているらしいのですが、
ピラミッド内部の水を抜く作業、発掘、
そして、葬祭神殿の全容解明まで、まだまだ時間が掛かるのでしょうが、
ロマンがありますね