以前のブログ『イスラム地区にあるリファーイーモスクのちょっといい話』が
読まれているみたいですヽ(*・ω・)人(・ω・*)ノ
ありがとうございます!!
今回はそれに関連した内容です。
リファーイーモスクを毎年訪れるこの女性、ファラハ・ディーバ。
イランのかつての女王。
6月末に発売された日本の女性誌で宝石と彼女にまつわる話が取り上げられていました。
たしか、ヴァンクリーフ・アーペルのティアラについて。
この上の写真でかぶっているティアラだったと思います。(間違ってたら、ごめんなさい。)
いまでも話題になる女性。
身に着けているティアラも素敵ですが、
彼女自身が年を重ねても尚、美しいことに目が奪われます。
そんなファラハを撮ったドキュメンタリーを見つけました。
『The Queen and I - Interview with Farah Pahlavi』
立場が違うものの、同じ国籍を持ち、革命に翻弄され、
亡命を余儀なくされたふたりの女。
インタビュー形式のドキュメンタリー。
右がファラハ。
その中でインタビュアーの女性が聞きます。
『この建物を見ると何が思い出されますか?』
『甘くて・・・苦い思いが混じった思い出ね。』
ここに初めてきたとき、シャー(王)はすぐ病院に入院しなければならなかったわ。
彼の容態は日ごとに悪化し、どんどん弱ってきて、
医者は子供たちを呼ぶように言った。
彼の死に備えて、
シャーを信じた人々のためにも私には強さと力が必要だった。
シャーが息を引き取り、
医者が彼の結婚指輪を抜き取り、渡してくれたわ。
それをずっと着けてるのよ。
彼があのとき亡くなったのは運命だったのかもしれないと思うの。
私たちの国で何が起こっているのか注目してもらうためにも。
・・・翻訳家にはなれそうもありません!(´Д`;)
この立派な建物はエジプト、カイロにあるコッパー宮殿。
元は、ロイヤルファミリーの所有、現在は迎賓館となっています。
ナーセル大統領が好んでここに国賓を迎えたそうです。
シャーとファラハはサダト大統領の元、
1980年の3月にエジプトに入り、このコッパー宮殿で暮らしました。
そしてシャーはその年の7月に亡くなりました。
エジプトはシャー最後の亡命国になりました。
ファラハが41歳のときでした。
国葬に付された彼の葬儀には,憔悴しきったファラハの姿が見られます。
エジプト部分は1時間半の中で1時間から10分の間。
コッパー宮殿を自宅のように歩くファラハ。
街を移動するときは警察がつき、サイレンを鳴らして走ります。
もちろん!?ピラミッドエリアも貸切で観光。
彼女が話せるアラビア語は「ショクラン(ありがとう)」のみ。
アラビア語とペルシャ語はまったく違うのですね。
ファラハ、現在76歳。
ハスキーボイスで現在の活動とこれまでの人生を語っています。
赤裸々に話す彼女。
それをフィルムに残していいものか葛藤する様子も。
いまでもシャーの未亡人として存在する意義を感じ、活動している彼女。
これまで光と影の中を歩んできた、笑顔が美しいひと。
その存在は、いまも華があります。
いま一番お会いしてみたいひとです( ´艸`)