カイロでスフィンクスの次に感動したのがこの水道橋でした。
車から見ると何も感じないかもしれませんが、
初めて水道橋を見たのは、歩きながらでした。
目に入ったときはその大きさに感動したの覚えています。
なんといっても、周りの現在のレンガ造りの民家より、
古い水道橋のほうが立派だったことに驚いたのでした(^▽^;)
付近は橋をくぐると超庶民街。
普段は動物の皮をなめしているのが見られ、強烈なにおいがあたり一面に広がっています。
においがきついため、ラマダン中はやっていないのでしょうか。。。見かけませんでした。
水道橋はそもそも14世紀初め、人口の増加に伴い、より多く水が必要になり、
ときのスルタン、アル・ナーシィル・ムハンマドによってつくられたのが最初です。
シタデル(現在、ムハンマド・アリーモスクがある)まで水を供給するためにつくられました。
その後、1827年現在の水システムが導入されるまで利用されました。
水道橋の始点。ここは上から見ると六角形の形をしていて、
中にサキヤ(水を地上にあげる動力部分)があり、牛によって動かしていたようです。
6つの水車でナイルの水を橋の上にあげていました。
アル・ナーシィル・ムハンマドの治世時にサライッディーンの壁部分までつくられ、
その後、スルタン・グーリーによって再構築され、約2.2キロから3.4キロまで拡張されました。
サイエド・アイシャという街あたりまでは、途中埋もれて見えなくなったりするものの、
これが水道橋の名残であろうと思えるものが見られます。
時を経て、1727年、アブディーン・べクによって修復され、
1810年には、ムハンマド・アリーによって、支流が延ばされました。
周りは墓地が広がるアル・イマーム・アル・シャーフィモスクあたりまで拡張。
そのモスクの近くには彼の家族のお墓もあります。
当時、水が必要な施設があったのかどうかわかりませんが、なんのために
水道橋が延ばされたのか気になるところです。
文字どおり墓地に水が必要だったのかな!?
水道橋のゴールはこのあたり!? シタデルのふもと。
水道橋は19世紀半ばまでカイロの水システムに必要不可欠でした。
始点からたどっていくと、徐々に埋もれていくのが見られます。
始点から少し進んだところでは橋が一部破損していて、その水路を見ることができます
当時、どのくらいの水が運ばれていたのか想像力がかきたてられます(*^-^)b