
これまでエジプトのロイヤルファミリーだったファウジィーヤに興味は持っても、
その母に興味を持つことはありませんでした。
ナズリの娘、ファウジィーヤ

彼らの宮殿のひとつ、
カイロにあるアブディーン宮殿のナズリのプライベートルームを見ることができました。

ナズリ・サブリ

1894年生まれ
フランス生まれの将校スレイマン・パシャのひ孫でした。
1度エジプトの貴族と結婚しましたが、すぐに離婚。
その後、サード・ザグルールの甥とほとんど婚約状態にありました。
しかし、その彼は1919年の革命でエジプトを去りました。
オペラを観ていたときにファード国王に見初められ、結婚。

フアードは25歳年上でした。
二人とも再婚でした。

男児を生まなければ、夫であるフアードとは別の宮殿にとどまるよう(軟禁?)
彼女は圧力をかけられていました。
そのプレッシャーをかわすかのように無事、長男ファルークを出産。
後に、彼女は夫とともにコッパー宮殿にうつることを許されました。
エジプト(実質)最後の王ファルークの母です。
ほかに4人の娘がいました。
ファウジィーヤ、ファイザ、ファイカ、ファトヒーヤ

去年7月にファウジィーヤが92歳で亡くなり、
ナズリのこどもたちはみな亡くなってしまいました。
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フアードの治世の間、彼女は宮殿にとどまることを要求されましたが、
ナズリはオペラ公演や、フラワーフェスティバル、女性のみの文化的なイベントに
積極的に参加していました。
王である夫の言うことを聞かないナズリ。
夫婦喧嘩が起こった際は、フアードに平手打ちをされ、何週間も部屋に閉じ込められたそうです。

そんな生活から逃れたかったのか、彼女はアスピリンの過剰摂取をして、
自殺を図ったこともあったようです。
1936年にファードが亡くなります。
その後、一人息子ファルークが若くして王に。

1948年ナズリは腎臓に問題があり、手術を受けるため、アメリカへ渡りました。
娘ファイカとファトヒーヤとともに

手術は成功、その後、アメリカに定住。(なぜ!?)
1959年、娘ファトヒーヤとともにイスラム教からキリスト教に改宗!
そして、ファトヒーヤは王室の相談係リヤード・ガリと結婚。

それに激怒したファルークは彼女らの不動産を没収、
そして、2度とエジプトの地を踏めないようにしたのです。

時は流れ、末娘は1973年リヤード・ガリと離婚。
1976年ナズリは娘とともにエジプトに戻れるようサダトに申請しています。
それが受理され、やっとエジプトに帰る日が来たとき、娘ファトヒーヤはリヤード・ガリに殺害されました。
ナズリは深い悲しみと重い病気を抱え、アメリカにとどまることになりました。
ファウジィーヤは母をどう思っていたのでしょうか。
助けることは出来なかったのでしょうか。
アメリカでは誰が彼女を支えていたのでしょうか。
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息子ファルークは1952年のエジプト革命により、イタリアへ亡命。
母とは違い、国外退去を余儀なくされても、
イタリアでも贅沢な生活をしていました。
そして亡命後、13年目レストランでの食事中に亡くなりました。
1965年、ファルークの葬儀はローマで行われました。

その際、ナズリは彼の葬儀に参列しています。
最愛の息子ファルーク


ファルークは母を追放後、自ら会うことはあったのでしょうか。
ナズリは国外追放され、徐々に財産も尽き、小さなアパート暮らしを余儀なくされました。
生活が苦しくなると自分の宝石を売って生計をたてたそうです。
故国エジプトへ帰国できない原因をつくった息子を一度ならず憎んだことでしょう。
その心中は想像することが容易ではありません。
それでも、息子の葬儀にかけつけました。

その葬儀の際、最初の妻、ファリダも呼ばれていました。
2人でどんな話をしたのでしょうか。
ナズリは1978年ロサンゼルスで84歳の生涯を閉じました。

ウキペディアに書かれていることが真実かどうかは分からないし、
書かれていない部分は想像するしかないのですが・・・。
そんな経緯があったことを知った上で、
彼女がこどもたちと暮らしたアブディーン宮殿のプライベートルームを訪れました。
THE QUEEN NAZLI SUITE
宮殿の500ある部屋の中で、最もエレガントにつくられたといわれるこの部屋。

部屋から愛情深いひとだったことが伝わってくるようでした。
部屋には、いくつかの写真が飾られているのですが、そのうちの2枚が印象的でした。
1枚は赤ん坊のファルークをいとおしそうに見つめるまなざし、
2枚目は美しい赤ん坊(ファルーク)を抱き上げ母としての喜びにあふれた横顔。

ベッドを見ると、身長は160センチに満たない小柄なひとだったことがうかがえます。
彼女のピアノ、こどもたちに弾き語りをしたのでしょうか。
ロシアからナズリのために贈られたといわれる精巧なからくり時計。
時を知らせる音はオルゴールの音色でした。
その音色はいまも聞くことができます。
~赤ちゃんが眠りにつくためのようなやさしい音~

幸せそうな母と子供たちの写真
ナズリがこのアブディーン宮殿の部屋に何年住んだのかは分かりませんが、
子供たちに囲まれ幸せだったころの彼女の気配がいまだに満ちているように感じられました
