ナーセルの再来!? | エジプトの旅行会社 トライウェイズトラベル

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中心部の地下鉄の駅名に大統領や首相を務めたひとの名がついているエジプト

タハリール広場のある駅はサダート駅。
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ラムセス広場は以前、ムバラク駅でしたが、革命後、ショハダー(殉教者)と名を変えました。

わたしが通勤時、利用しているナーセル駅(Nasser)は、
アラビア語表記ではガマル・アブドゥル・ナーセル(جمال عبد الناصر)と書かれています。

ガマル・アブドゥル・ナーセル
エジプト共和国 第二代大統領
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今回ナーセルについて気になったのは、ワグディさんの話がきっかけ
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こちらはアブドルファッターフ・アッ=シーシー
現国防大臣兼エジプト国軍総司令官、第一副首相、エジプト軍最高評議会議長
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最近では露店でシーシーの写真が売られているのを見かけます
買う人いるのかな


なんでもワグディさんのお母さんの世代(70歳くらい)が
シーシーをナーセルの再来のように話しているとか目

ナーセルってどんな大統領だったんだろうはてなマーク
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ナーセルはサダートよりも人気があったとかビックリマーク
これはたずねる相手によって答えが違いそうですが・・・大方そうらしいです得意げ


今回もお世話になっているウィキペディア『ガマール・アブドゥル=ナーセル』のページで驚くのは、
首相やら大統領やらをいくつも就任・兼任していて紛らわしいことガーン
ほんまにひとりの人物ですかってくらい兼任してます


ナーセルは1918年フアード国王の時代にアレキサンドリアで生まれました。
当時エジプトはイギリスの保護国でした。
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フアード王

成長するにつれエジプトの開放を目指す民族運動に取り組んでいきました。
反英運動に参加し、自由将校団を結成します。

そして、1952年7月エジプト革命。
自由将校団はクーデターを起こし、当時の国王ファルークを追放しました。

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ファルーク王

翌年、王政を廃止、共和制に移行。
その際、ナーセルは副首相兼内務大臣に就任。初代大統領兼首相はムハンマド・ナギーブ。
地下鉄の駅名がべーっだ!
しかし、ムハンマド・ナギーブとそりが悪く(そんな簡単なもんじゃなかったでしょうが)彼を追放、
1956年6月大統領の座に就きました。
わずか2年間だけでした。

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大統領就任後、次々と政策を打ち出し、社会主義政策をすすめていきました。
農地改革、主力産業や銀行を国有化、止まっていたアスワンハイダムの建設再開。

エジプトの利益になると見込んだダムの建設費用のために、スエズ運河国有化宣言をします。
これにイギリス・フランスが反発、スエズ戦争(第二次中東戦争)が勃発。
エジプトが勝利に終わり、国有化の承認を得ました。

1967年にはイスラエルとの第三次中東戦争で惨敗、シナイ半島が占領されます。
このとき、責任を取り、辞任を宣言しましたが、国民が辞任を受け入れず、失脚を免れました。

国民の人気がよくわかるエピソード目

そして同年、内閣改造では、第三次中東戦争によって壊滅状態となった軍の再建を進め、官僚機構の是正に務めました。

1970年ソ連・中国などの協力により、10年の歳月をかけ、アスワン・ハイダムが完成。
しかし、国内ではスエズ運河の収入がなくなり、インフレが進行。
同年、ヨルダン内戦の仲裁、北イエメン内戦への軍事介入を行うなど多忙を極める中、
心臓発作により52歳で急死。

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ワグディさんの話を聞いて、浮かび上がったナーセル像はとにかく強いひと。
列強の介入を許さず、強行姿勢を貫いて国のために務めたひとでしたエジプト


ナーセルの時代は戦争もあり、インフレにもなり、国民にとって、けっして楽な時代ではなかったはず。
それでも、亡くなって43年経っているにもかかわらず、人気なのは、それ以上の恩恵があった証拠ビックリマーク
そんなナーセル像とだぶる姿勢がシーシーに見えるひとたちがいるってことですよね


シーシーには自分の責務をわきまえて、独裁者となることなく、
アラブの大国の指導者のひとりとしてとして、エジプトの立役者となってほしいです。


ナーセルの再来かどうか、
それが分かるのはまだ先のことになりそうです。


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