二日間のニブロールワークショップが終了。


デザイナーの矢内原さんはとても物腰の柔らかい人。

「日常と非日常の境界を曖昧にする」をブランドコンセプトとしているだけあって

普段は硬くなりがちな発想も矢内原さんの一見適当に思える一言で

広げる事が出来たし、非日常的な意見、ありえないようなことを自分の中に取り込むことによって

いつもだったら考え付かないような発想をする事が出来た。

それに色々な分野からの人の参加があったため、発想の段階からある程度の形にするまでの段階がとても多角的な眼から見つめる事が出来た。客観性は大事だと再認識。


ニブロールのショーのクリエイションを見せてもらうことにもなったし、展示の話も貰えた。

まだまだ練り上げていかなければ。

今回の経験が卒制にも生きてくる事だろうと思う。

こんなに発想とは自由で、楽しい作業である事を忘れていた。

最初から複雑に考えすぎていた。

自分が飛び込もうとしている世界は身体が基準。それを頭の中で考えても始まらない。

先ず自分が動いて、自分の身体と会話する。

そして人と話し合い、混ぜる。

また服を作るのが一段と楽しくなった。


何処にも行かない自分を創りたい。

同時に何処へでも行ける自分でありたいと思う。



大分期間が開いてしまった。

いけないいけない、これからはしっかり更新していくつもりでいこう。


この暫くの間色々な事があった。

学生最後の芸祭は終日酔っぱらい、台風の接近にもめげず楽しんだし。

朝霧JAMでも音楽聴いて食って酔って寝て聴いての繰り返しの

それはもう快楽の極みの様な二日間を過ごしたし。


呑んでばかりだけど…。


今月は忙しくなりそう。

衣装制作、ワークショップ、イベントのDJ。

月末は他校の芸祭三連発。


締めるところは締めて、抜くところは抜きまくる。

これでよいのだ。

とりあえず今から、頑張る事にする。


9月21日


今日は店作り。


やっぱり気分が盛り上がってくるなぁ。

ま、全然完成してないんだけど。


今年も芸祭は雨の様子。

大学入学してからというもの3日間晴れだった芸祭は一度も無い。

去年から時期が変わったけどやっぱり雨。


でもそんな中で

雨の中、小さい粗末な店に人がみっちり詰まって。

下らない話から真剣な話まで、知らない人やら部外者まで集まって。

酒飲んで、泥相撲して、風邪ひいて。

朝まで外でぶっ倒れて。

雨じゃなきゃ芸祭じゃない、雨だから楽しいんだな、きっと。


そんな芸祭も今年で最後。

「最後」という言葉は何時だって淋しい。

辛い課題だろうが嬉しい出来事だろうが。

だから今振り絞る。


今年も濃密な三日間にする。


9月20日


朝から買出し。

俊雄を迎えにいって、市場へ行く。

市場は活気がある一方、シャッターの閉まったままの店も多い。

昔はここにも何かしらの店があって人が集まっていて…なんて思ったり。

モノが積み上げられているスーパーより、市場の雰囲気が好きだ。


夜は大庭君の誕生日会。

秋の味を堪能しようなんてことで秋刀魚、鰹、キノコ、豚汁、それに炊き込みご飯。

あとビール。美味い。

何と言っても極めつけは千加の作ったチーズケーキ。やっぱりこれが一番。

皆も喜んでいて、頑張った甲斐があったね。良かった。


一人500円だったけど、とても贅沢をした。

これも仲間のおかげ。


大庭君 誕生日おめでとう。

9月19日


本日から芸祭週間のため学校が暫く休み。

夏休み終わって一週間でまた休みなんてうちの学校は何を考えているんだか…。


まぁ今年は最後の芸祭なので心置きなく呑みたい。


今日は吉祥寺のハモニカ横丁で呑む。

ジンギスカン美味かった…。

明日の誕生日会のケーキを作るため千加は徹夜。

うまいケーキが作れると良いな、楽しみ。

9月17日

国分寺のcafe slowでの「倍音楽 DE お月見会」に行って来た。

いつものメンバーと新メンバーピヨ子(不思議なあだ名だなぁ…)とのったり歩いて現地へ。

cafe slowはスローフード中心のカフェで、内装は珪藻土と藁で出来ているらしい。

フェアトレードを推進していて、雑貨や楽器なども置いてある。

このカフェの前は以前から良く通っていたんだけど全然気づかなくて。

今回が初上陸。

演奏はガムラン奏者のデュオと、女性の薩摩琵琶奏者、8人編成の口琴オーケストラ。

どの演奏も素晴らしかった。

音楽が人間に与える影響は多大で、心理はもとより生理にも影響する。

腐ったような音楽が生産される今日にこうした音楽を聴くことは大きな価値がある。

太古ににも聴かれていたであろう「音」を聴く事によって空間は変わり

そのエネルギーを身体に取り込むことによって活性化する。

今回は精神的な影響というよりも肉体的な影響が大きかった気がする。

自分の口から「音」を吐き出す、それを他人の「音」と混ぜる。

その空間の「音」を吸う、そしてまた吐く。

こんな循環を感じれたら、やっぱり幸せになる。

お年寄りから赤ちゃんまで多くの客が来ていたんだけれども、

気になった光景が一つ。

隣に座っていた夫婦と、その子供(三歳ぐらいかな?)のやり取り。

演奏が始まって暫くして、子供が母親に何か催促するような素振りをする。

すると母親はおもむろに傍らから大きな布を取り出してそれを肩に掛ける。

その布は大きな袋状で、兵児帯の様なものだった。

子供がその中に入り、まるでゆりかごの中の赤子の様な表情になって

しきりに母親の乳房に触れていた。それはとても満足げで、

安堵の表情を浮かべたまま子供は自分の世界に入っている。

何故か目が離せなかった。

9月16日


充実した沈黙。

言葉のいらない、言葉を必要としない時間。

まるでお互いの心に花が咲くように。




今日の空

9月15日


今日は昼まで千加の家でのんびり。

夕方から卒制のプレゼンを控えていたのでそんな場合じゃなかったんだけれども、

近くの神社で祭りをやっていたので覗いてみたり

リブロで立ち読みしたり。

楽しかった。林檎飴食べれたし。

まぁ良い良い、ゆるゆるいこう。


家に着くと、バイクのカバーがめくれていた。

ので、雨も降りそうだから直そうと丸まったカバーを引っ張ってみると

中でボトッと何かが落ちたような音が…覗いてみるとそこには

猫が。しかも子猫。

どうやら親猫が隠していったみたい。寒さも雨もしのげるし目に付かない良い場所だったんだろう。

しかもその猫、生まれて一週間ぐらいかな、風邪をひいているのか鼻水が。目も半目だ。

触ろうとしたけど人の匂いが付くのはまずいのでそのままで少し様子を見ていた。

猫は大好きだけど、飼えない。

家を空けることはしょっちゅうだし、学校も行かなきゃ行けない。

そんな俺は飼い主になれるはずはない。

俺が猫だったら寂しさのストレスで参ってしまうだろう、だから無理。

でも、放って置けないから、もし夜までに親猫が迎えに来なかったらとりあえず引き取ろうと決めた。

自分のバイクの下で、知っているのに放っておいて腹が減ったり寒さで凍えたりして、どうにかなってしまうのは耐えられない。

ひとまずお別れ。お母さん、迎えに来て下さいと祈りつつ。

プレゼンの間も気になって仕方ない。


帰って来て、カバーの下には 子猫は居なかった。

周りにもいる気配は無かった。

安心した。有難う。良かった。


小さい頃、風邪をひいて熱を出して寝込むと母親が看病してくれた。

うちは共働きだから、ずっと付きっ切りというわけにはいかない。

それでも会社を休んだりして看病してくれた。

目が覚めて、母親がいないときのあの不安。

冷静に考えたら買い物に行っているだけなのに

朦朧とした中での取り残されたような不安と孤独。

窓の外の夕暮れが進むにつれて暗くなる部屋。

泣きそうになるくらい寂しくなったとき、ドアの開く音が。

そりゃもう、嬉しかった。安心して飛び起きた。


そんな気持ちを、子猫も感じたりするのかな。

外は寒いけれど、今頃母親に抱かれて暖かく眠る子猫を想う。



今日の空






プレゼンは無事終了。皆の反応もまずまず。

一安心。



9月14日


水曜日はフットサルの日。

前回はろくに動いていなかったせいか、

思うように身体が動かなくてミス連発。無念。それでも今回はヨネ、トミ、安八もゲームに参加してくれて、しかも千加をはじめギャラリーも多くて何時になくにぎにぎしい雰囲気で楽しかった。

これで活躍できたら文句無かったのに…次は頑張ろう。落ち着いて。


その後天平で夕飯、一杯。

泡盛を二杯ほど。

最近、全然呑んでいないなぁ。呑んでいないわけではないけれど

いつも缶ビール一本で済んでしまっていたから。

ベロベロになるまで呑んで忘我したいこの頃。


涼しくなってきてお湯割が恋しくなってきたなぁ…。



今日の空



 からだの中に  


          谷川俊太郎


からだの中に 
深いさけびがあり
口はそれ故につぐまれる


からだの中に
明けることのない夜があり
眼はそれ故にみはられる


からだの中に
ころがってゆく石があり
足はそれ故に立ちどまる


からだの中に
閉じられた回路があり
心はそれ故にひらかれる


からだの中に
いかなる比喩も語れぬものがあり
言葉はそれ故に記される


からだの中に
ああ からだの中に
私をあなたにむすぶ血と肉があり


人はそれ故に こんなにも

ひとり ひとりだ