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いよいよムジェロ

いよいよムジェロ・・・というか、シーズン前にはムジェロには未勝利であっても盤石なマシンで臨んでくると予想していた赤いバレも、アッセンでやっとGP11.1を投入。天候のせいもあって、最後の最後でベースセッティングを見つけたようですが、多くのファンがロッシに期待するものはアッセンのレース結果ではないはず・・・。
しかし、ムジェロが本当に楽しみです。


GP-11.1という超ウラ技には流石に意表をつかれましたが、ドカは天才M・タンブリーニが手がけた916-996時代のスーパーバイクのほうが個人的には好きです。当時、鉄フレームで王者に君臨するなんて、タンブリーニは本当に天才なんだなと思ってました。
ドカもMOTO-GPにデビューしたころは鉄フレームだったのに・・・。
これまで、ストーナー以外は散々な最近のドカ、個人的にファンのランディ・ド・プニエが可哀そう過ぎるので早くまともなマシンに変えてあげて欲しいです。



あと、アッセンでも某タイヤは外れまくりでしたね。
「タイヤの優劣」や「タイヤに合わせたセッティング」が勝敗を決めるレースなんて、誰が見たいんでしょうかね。オフィシャルサプライヤーなら、ライダーの安全を考慮して、もっと多くのコンパウンドを持ち込むべきだと思います。これ以上、欠場でグリッドが空いたり怪我するライダー、温度が上がらない状態での転倒を見たくありません。
スタート直後は抑えていくべきなのか、1週目から攻めたシモンチェリの攻めの姿勢が本当に悪いのか・・・。1週目から攻めたライダーが責められるようなタイヤだったら、早くMやDやPに戻ってきて欲しいものです。


開幕前テスト
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アッセン♪
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しかし、スピーズのアッセンでの勝利は見事でした。ロレンソが転倒してなくても勝てたかが見たかったポイントではありましたが、予選でも上だったし。今後、ヤマハのエース争いが楽しみになってきます。
しかし、シモンチェリは出る杭は打たれるという見本みたいになってますが、自滅しすぎ・・・。
早くストーナーを止めて欲しいもんです、しかし転倒後に一人で押し掛けして再スタートしたのを見たとき、本当にびっくりしました。あの体格だと押し掛けできるんだ・・・あせる

金曜のフリープラクティスから決勝まで、目が離せないです。





V・ロッシ WGP初優勝1996年ブルノ

今シーズンのバレの不調ぶりには涙が出るばかりですが・・・
ロッシをもってしても、GP11はシビアというか、ピンポイントなんでしょうね~あせる
まぁ、フレームが無い、カーボンのリアスウィングアーム
先日も宮城光氏が解説で、フレームとエンジンを留めるボルトのトルクを変えて、車体特性が変化してセッティングするってな話をしていました。フレームに剛性が求め過ぎるってのも某メーカーが過去にハマッた例もありましたが、それすらもイジれないってのはよほど厳しいということなんでしょう・・・

次戦のアッセンあたりから、ロッシがオーダーしたパーツが投入されるようなので期待したいです。
しかし、ムジェロに100%の状態には間に合わないでしょうねあせる


今回は、記念すべきロッシ伝説の始まりというべき、125ccでWGP初優勝した1996年のブルノです。
この年にデビューして17歳でしたね。この1996年は、鈴鹿でノリックが優勝し、125ccでは上田、坂田、青木、徳留、眞子選手など日本人全盛でした。なんとあのマルチネスが現役で最終ラップに抜いての優勝でした。
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ムジェロでは徳留選手に確かぶつけられてリタイヤしたロッシですが、チェコで初優勝です。
翌1997年ではムジェロで独走で勝って、タイトルもとる訳ですが・・

この初優勝時に、太陽と月のヘルメットがとてもカッコよく見えたのを記憶しています。
そういった意味で歴代で一番印象深いデザインかも・・・
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インタビューのロッシは、こうやってみると若いですね~。











1996年 TBCビックロード500cc

パソコンの不具合などであせる久し振りの更新です汗

しかし、赤いロッシがいまひとつマシン開発も進まないようで・・・(しかし、怪我のせいもあると思いますが、フレームに手が入るの遅過ぎるのでは・・・)
いろいろ雑音もでていますが、信じております♪

しかし、前から疑問でしたが、エッジグリップ追及のタイヤってのも正しい姿なんですかね~あせる
持ってくる(用意した)タイヤが外れるとキツイですね、怪我人続出の今シーズン・・・これ以上怪我人がでないよう願っています。


今回は、1996年のTBCです。
この年のエントリーは凄いです。
GP組だけでも、M・ドゥーハン(H)、A・クリビーレ(H)、ノリック(Y)、S・ラッセル(S)、伊藤真一(H)、岡田(H・Vツイン)というメンバーで、WGP250ccの青木宣篤がカネモトから500ccのオーディションをかねて参戦しています。
もう、既に96年には全日本は500ccが廃止されており、スーパーバイクがメインレースになっていましたので500ccが鈴鹿のGP以外で日本で観れるという嬉しいレースでした。


しかし、豪華メンバーの期待と裏腹にドゥーハンはやる気なし、ノリックはなんと1週目に・・・、個人的に好きだったラッセルもリタイヤと残念な感じでした。



S・ラッセル このメットはカッコ良かった♪
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カネモトから500ccのオーディションをかねて参戦、一時はトップを快走した青木宣篤
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この年の鈴鹿でGP初優勝したノリックの走りが楽しみだったのに・・・
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という感じでネタバレしてしまいましたが、優勝(ラスト)は驚きの展開です。




追悼:若井伸之1993年ヘレス125cc坂田優勝

91年からWGPに参戦、94年と97年に125ccで2回の世界タイトルを獲得した坂田和人選手が念願の初優勝は悲しい若井選手の追悼レースでした。片山選手以降は、日本人とって果てしなく遠かったWGPタイトル。
チーム竹島の畝本・高田選手が道を切り開き、上田・坂田・若井選手がそれに続いて当時は日本人選手が125ccを席巻していたのが今では信じられませんねあせる
坂田選手はポールハンターといわれるくらい最速を誇っていましたが、参戦当初は転倒が多くカズート(イタリア語で「転倒」の意味)の愛称で呼ばれてましたね音譜
レース後の坂田選手のインタビュー、事故の起こったピットロードに別れの挨拶をするノビーには胸を打たれてしまいます(TT)

この年1993年は原田選手が250ccで、翌1994年坂田選手にはアプリリアに移籍した坂田選手が125ccでタイトルを獲得することになります。いずれ感動の両タイトル獲得の瞬間にもふれたいと思ってます。


若井選手の独特なフォーム
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今でも本当にカッコいいですね
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追悼レースで初優勝のゴールラインをガッツポーズで通過する殿
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追悼:若井伸之1993年ヘレス250cc原田優勝

若井伸之選手が亡くなったのは1993年5月1日のスペイン・ヘレスです。
もう18年も前・・、前年代役でスポット参戦した250ccにステップアップ、スズキのRGV250Γを貸与されたプライベートチームからフルエントリーしてました。ラツキーストライクカラーのワークスチームには500ccのロバーツチームから移籍してきたJ・コンシスキーがライディングしていました。

とにかくヘルメットのカラーリングがカッコよく、個人的に歴代NO-1って感じです♪


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そして、若井といえばトレードマークのフラミンゴですね
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決勝を翌日に控えた予選2回目のピットレーンで飛び出してきた観客と衝突、頭部を強打し緊急手術するものの帰らぬ人となってしまいました。

決勝は原田選手が気合の走りで優勝を若井選手に捧げます。
表彰式はありません、原田選手は「今日は親しい友人だった若井の為に優勝した。このスペインGPを心をこめて彼に捧げる」という声明だけを残して、全てのインタビューを拒否しました。
このヘレスは125ccも含めて本当に記憶に残る素晴らしいレースです。
当時、冒頭の追悼映像は涙なしに見れませんでしたね汗汗


坂田選手が涙にくれる初優勝を遂げる同レース125ccをまた近日中に・・・