平成最後、令和最初のGWを神話の国「出雲」へとドライブ④「有福温泉神楽編」 | サラリーマンおやじのさえずり小鳥っぷ(小旅行)

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山陰自動車道・浜田東ICから県道の細い田舎道を走ること15分、島根県江津市の三方を山に囲まれたなだらかな山の斜面に、ひな段状に4軒の宿と3つの公衆浴場が肩を寄せ合うように佇む鄙びた温泉街が、時がとまったような昭和のノスタルジックな雰囲気とレトロな趣のある山陰の古湯「有福温泉」です。細い石段の坂道が続く風情が、群馬県の伊香保温泉と似ていることから「山陰の伊香保」とも呼ばれています。

 

 

有福温泉は1360年以上前、聖徳太子の時代(650年頃)に、天竺よりこの地にやってきたひとりの聖人・法道仙人がに見つけた温泉と言い伝えられています。「古来より名湯がわく福有の里」と言うのが「有福温泉」の名前の由来です。滾々と湧き出る無色透明でなめらかなお湯は、アルカリ性単純温泉で、透き通るような美しい白肌をつくる美肌作用があるといわれ「美肌の湯」として人気があります。泉温は47度でリウマチ、神経痛、関節痛等に効果的で、日本屈指の泉質を誇ります。

 

 

万葉歌人であり石見の国の国司として赴任した柿本人麻呂は女流歌人依羅娘子を妻に娶り、有福の湯を愛したといわれます。斎藤茂吉は「有福のいで湯浴みつつ人麿の妻のおとめの年をぞおもふ」と詠んでいて、人麻呂と依羅娘子が夫婦仲良く湯に浸る姿が浮かぶいい歌です。江戸時代の朱子学者・頼山陽、郷土史家・木村晩翠などが訪れています。

 

有福温泉の3つの共同浴場の中で一番大きな浴場が「御前湯」です。昭和5年(1930)に建てられた薬師堂の前にある大正ロマンを漂わせるレトロ調の建物で、趣のある円柱状の番台を通り、浴室に入ります。浴室は天井が高く、アールデコ調の窓から光が差し込み、明るく狭さを感じさせない造りで、中央に鎮座する深めの湯船には無色透明の湯が源泉かけ流しでこんこんと出ています。そろりと足をつけると、とろみがあり少々熱く感じます。

 

 

江戸末期の木造の三階建ての旅館「三階旅館」の隣にあるのが平成3年(1991)に改築された共同浴場「さつき湯」です。木造の小さくてレトロなお家のようなかわいい外湯です。家庭的な雰囲気があり、木の香りと少しぬるめの湯でリラックスできます。

 

 

温泉街の駐車場の近くにあるのが3つの共同浴場の中で一番お湯がぬるめの「やよい湯」です。ゆっくり時間をかけて体の芯まで温まりましょう。冬場の入浴には最適ですよ。

 

 

坂道や路地裏に細い階段が張り巡らされた温泉街にはところどころに広場や踊り場のようなところがあります。御前湯の前には「愛のオブジェ」があります。オブジェに隠された」ハートの形を7つ全部見つけると「愛が深まる」ともいわれます。

 

 

湯の町神楽殿前の広場には、石見地方の特産品である色とりどりの石州瓦を使った絵馬に願いを込めて結う「瓦ぬご縁結所」があります。瓦の色は6種類で、赤は愛情、青は慈愛。黄色は友情というようにそれぞれ意味があるのでどんな縁を深めたいかで選びます。

 

 

また石畳の階段の分岐には「福灯り」という『福』の文字が書かれた行灯が設置されています。階段を上る前に福のご縁を願いながら行灯を回し、福の字が止まった側の階段が、願うご縁に向かう「福の道しるべ」なのです。

 

 

今日のお宿は「ありふく よしだや」です。有福温泉街の一番高台にある創業250年以上の老舗旅館です。一番のおすすめは敷地内から自然噴出のph9.1のトロトロした化粧水のような美肌の湯が源泉かけ流しで堪能できることです。

 

 

男女別の内湯のタイル貼りの浴槽には無色・無臭で透明な単純アルカリ温泉がコンコンと湯船にそそがれまさしく絹のように肌をつつみます。(階段したの共同浴場「御前湯」よりも適温で肌をつつむ感覚もより滑らかです)

 

 

湯の町神楽殿では毎週土曜日20:30から地元有福神楽団による伝統芸能「石見神楽」が上演されています。客席と舞台が近いので臨場感がはんぱないです。

 

 

日本神話を題材に、独特の哀愁あふれる笛の音、活気溢れる太鼓囃子に合わせて、金糸銀糸を織り込んだ豪華絢爛な衣裳と表情豊かな面を身につけて舞う「石見神楽」は、島根県西部の石見地方に古くから伝わる伝統芸能です。その演目は古事記や日本書紀を題材にした「能舞」や神様をお迎えする「儀式舞」など約30種類にのぼり、受け継ぐ団体(社中)は現在130を超えます。

 

ここ有福温泉の「湯の町神楽殿」では月に数回(土曜日のみ)20:30から地元有福温泉神楽団による伝統芸能「石見神楽」が上演されています。雰囲気のある木造2階建ての一階に舞台があり、収容人員は30人です。客席と舞台が近いので臨場感あふれる神楽が体験できますよ。

 

 

神楽殿から笛の音が流れ、太鼓の囃子が聞こえてくると、その賑わいに人々が集まってくれば、いよいよ「石見神楽」の始まりです。石見神楽の舞子や囃子は、まさしく有福に仕事を持ち、有福に暮らす人々ですので、共同浴場で出会った人が舞子や囃子だったりするのも驚きですよ。

 

舞台の頭上には、天蓋を作ります。神社の御幣はふつう白だけですが、神仏習合が残っている神楽は陰陽五行の関係で緑、赤、白、紫、黄の五色の色紙で御幣を作ります。竹を格子状に組んだ天蓋に大量に作った五色の御幣(紙垂)を垂らし、上に榊(柴)を乗せます。神楽はこの天蓋の四角の中で舞われます。

 

神2人・鬼2人が対決する、八調子という早いテンポでスピード感あふれる鬼舞の代表的な神楽が「塵輪」です。異国から数万の大軍が日本に攻めてくる中に「塵輪」と呼ばれる大悪鬼が多くの人々を苦しめていました。そのことを聞いた第14代天皇・帯中津日子(仲哀天皇)が家臣を従え「天の鹿児弓」と「天の羽々矢」をもって退治するというストーリーです。

 

 

「塵輪」の見どころは神や鬼が着ている衣裳です。まさに豪華絢爛、同じ衣裳はひとつもないという唯一無二のものです。金糸・銀糸をふんだんに使って一鉢ずつ丹念に縫い上げる石見神楽の衣裳は見応えがあります。手縫いのオーダーメイドで、一着300万~500万の価値がある見事な刺繍が施された衣裳を間近で鑑賞ができるので必見ですよ。

 

 

もうひとつの見どころは、八調子という軽快なリズムでお囃子が鳴り響く中、『アイサー』の掛け声とともに、白鬼と赤鬼が、“ざい”という鬼棒で地面をビシッと打ち鳴らしながら軽快でスピーディーに舞う姿は迫力満点です。

 

 

出雲国・美保神社の御祭神で、昔から漁業や商業の神様として崇拝されている恵比須様が、磯辺で釣りを楽しむ様子を舞ったものが「恵比須」です。最初はにこやかな舞で会場のお客も思わずにっこりします。

 

 

興にのった恵比須様が釣りを始めようと撒き餌ならぬ福飴を四方八方に撒きます。めでたい席での定番演目です。

 

 

鯛を釣ろうと頑張る恵比須様のコミカルな動きは面白く、観客の心を和まさせてくれます。最後に立派な鯛を釣り上げめでたい!舞子が地元の高校生というのに驚きです。

 

 

出雲神話で有名な須佐之男命の八岐大蛇退治を題材にした「石見神楽」の代表的な演目が「大蛇」です。天原を追われた須佐之男命が、出雲国の斐の川にさしかかると、嘆き悲しむ老夫婦に出会います。理由を尋ねると、八岐大蛇が毎年現れ、既に老夫婦の娘7人を襲われ、残った稲田姫もやがてその大蛇に攫われてしまうと言います。一計を案じた須佐之男命は、毒酒を飲ませ酔ったところを退治します。その時、大蛇の尾から出てきた剣を「天村雲剣」と名付け、天照大御神に捧げ、稲田姫と結ばれるというお話です。

 

 

大蛇の舞にはかかせない「蛇胴」は、石見地方・浜田の地で提灯を参考に考案されました。骨組みには軽くて丈夫な1年間乾燥させた竹を使用し、特殊な糊で石州和紙を幾重にも貼り合わせています。長さは約17m、重さ12キロにもなり、提灯のように伸縮できるように折り目がついています。とぐろを巻いたり、白煙を吐いたりする大蛇のリアルな動きに大注目ですよ。

 

 

「大蛇」の見どころは何と言っても須佐之男命と大蛇との格闘シーンで、見るものを圧倒します。「湯の町神楽殿」は驚くような狭さなので、たまに大蛇の尾が頭の上に飛んでくることもありますよ。勇壮で迫力のある舞に心奪われること間違いなしです。

 

 

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