平成最後、令和最初のGWを神話の国「出雲」へとドライブ③「出雲編」 | サラリーマンおやじのさえずり小鳥っぷ(小旅行)

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出雲神話ゆかりの古社の中でもひときわの存在感を放つ、縁結びでもっとも有名な神社「出雲大社」に新天皇即位の令和元年(2019)5月1日に参拝することになろうとは気づかずに予定を組んでいたのです。当然のことながら大勢の人が参拝されるであろうと予想し、車ではなくホテルでいただいた「一畑電車フリー乗車券」を使って行動することに。6:30の朝食をすませ。足早に7:23松江しんじ湖温泉駅発に乗車します。途中「川跡駅」で大社線に乗り換え、終点「出雲大社前駅」を目指します。

 

 

一畑電車は松江と出雲大社を約1時間で結ぶ山陰唯一のローカル私鉄で、通称「ばたでん」と呼ばれています。「RAILWAYS  49歳で電車の運転士になった男の物語」という中井貴一主演の映画で、2010年頃舞台になった電車です。行きの車両は元東急電鉄の1000系で平成25年(2013)まで東横線と東京メトロ日比谷線の直通運転で活躍していた列車です。運行開始にあたってオレンジに白帯のカラーにラッピングされています。

 

 

川跡駅で大社線に乗り換えると、乗車車両は「しまねの木」号になりました。元京王電鉄5000系の車両「出雲大社号」の内装を平成26年(2014)に島根県産の木材を使用した車両に改装された車両です。

 

 

木製のパーティションが設けられ、荷物置きもあります。プライベートな空間が確保されています。ラブラブカップルには最適です。おひとり様はこれから行く出雲大社でご縁を結んでからまた乗車しましょう。

 

 

出雲大社のお膝元にある一畑電車の終着駅「出雲大社前駅」はレトロモダンな西洋建築の駅舎で、アーチ状の天井やアールデコ調の装飾を取り入れ昭和5年(1930)に建てられました。有形文化財に登録されています。

 

 

出雲大社前駅から徒歩10分ほどのところに「出雲大社」、正式には「いずもおおやしろ」と呼ばれます。祀られているのは大黒主神、須佐之男命の子で因幡の白兎の神話でも知られる慈悲深い神様であり、別名大黒様です、創建は『日本書記』によると斉明天皇5年(659)とされます。

 

出雲大社には南北一直線の参道に合計4つの鳥居が並びます。なかでも参拝の表玄関とも言えるのが、境内南端に位置する二の鳥居「勢溜の鳥居」です。一の鳥居はコンクリート、二の鳥居は木、三の鳥居が鉄で四の鳥居が銅でせきていて、素材が異なることに意味はないとのことですが、4つすべてくぐって“しあわせ”という話もあります。

 

 

神門通り南端、道路を跨ぐ一の鳥居“石鳥居”は高さ23mあります。石鳥居から八雲山を背景に佇むの勢溜の鳥居まで、南北500mあまりにわたって続く通りが門前のメインストリートで、出雲大社第80代宮司・千家尊福公より「神門通り」と命名されました。

 

 

江戸時代に整備された広場「勢溜」の大鳥居は出雲大社の参道入口です。かつて大きな芝居小屋があり、人々の勢いが溜まる場所であったことが名前の由来です。シンボリックな木製の大鳥居が木々の緑に馴染んでいます。振り返れば一の鳥居や280本の松並木の門前町が見渡せます。

 

 

一礼して勢溜のを鳥居をくぐり、境内に目を転じると、鬱蒼と茂る木々にはさまれ神社仏閣では珍しい下り参道が続きます。

 

 

ほどなくして右に現れるお社が日常の罪や穢れ清めてくれる祓戸神が祀られた「祓社」です。2礼4拍手後に手を合わせ、心に中で「はらえ給え、清め給え」と3回唱えてから1礼をします。ここで身をきれいにした上で拝殿への参拝に臨みます。

 

 

さらに坂を下り、御本殿背後の八雲川から流れる素鵞川をまたぐ祓橋を渡ると鉄の三の鳥居の先に松の参道が延びています。立派な松は、江戸時代初めに松江藩主・堀尾忠氏の奥方が、祈願成就のお礼として松の木1000本を奉納したことが始まりで、4列の新旧の松並木により3本の参道に仕切られています。真ん中は神様の通り道なので、鳥居をくぐった後は、清らかな気持ちで左側からお参りをします。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が、『知られざる日本の面影』で書かれているとおり、まさに神の国と感じられる場所です。

 

 

松の参道を抜けると左右に現れるのが、出雲神話にちなむ大国主神の像で、左に「因幡の白兎」に基づく“御慈愛の御神像

 

 

右に若き日の大国主神が荒波に乗ってきた「幸魂奇魂」から縁結びの力を得るシーンを描く“ムスビの御神像”があり、撮影スポットとしても人気です。これからお参りする御祭神の素顔に思いを馳せます。

 

 

手水舎で手と口を清めて、いよいよ荒垣内へ。最後の銅の鳥居をくぐるとすぐ向こうに拝殿と御本殿が威容を見せます。銅の鳥居の初代は毛利輝元が寄進し、現在の2代目は寛文6年(1666)にその孫毛利綱広が寄進しました。

 

 

拝殿では神様への感謝の気持ちをこめて参ります。火災により昭和34年に建て替えられています。

 

 

いよいよ大国主神のお住まいである本殿への参拝ということで八足門前から2礼4拍手1礼にて参ります。出雲大社は『古事記』に記される大国主神による国譲りの代償として造営された神殿とされています。現御本殿は高さは、千木の先端まで約24mと神社建築では最大ですが、平安時代、貴族の子供の教科書である『口遊』という書物には“雲太、和二、京三”と東大寺大仏殿や平安京の大極殿をしのぐ48mの高さがあったという記述されています。平成12年からの調査で、八足門前から宇豆柱が発掘され、実在したことが実証されました。宇豆柱とは、1本が直径1.35mの3本の太い杉柱を金輪で一本に束ねた直径約3mもの巨大な柱で、その柱9本で高層に立ち上げ、長さ1町(約109m)もの階段を設けた古代神殿でした。

 

 

八足門前には宇豆柱の発掘跡の3っ丸の印が赤く床に描かれ、(けっしてミッキーマウスではありません)古代神殿の巨大さがうかがえます。

 

 

大国主神は神殿奥、西側向きで鎮座されていて、瑞垣の外周を反時計に回り西側へ、神様に対面して参拝できます。十九社は旧暦10月(神在月)、全国から集われた神々が宿所とされるところです。期間外は扉が閉まっていますが、遠方の神々を拝む遥拝所となっています。

 

 

大国主神と併せてお参りしたいのが、大国主神の親神にあたる須佐之男命を祀る「素鵞社」です。御本殿背後の小高い場所に鎮座し、まるで大国主神を見守るような姿です。

 

 

稲佐の浜の砂を軒下の箱におさめ、同量の砂を持ち帰って庭にまくと地固めになるとの信仰もあります。

 

 

また出雲大社の人気物といえば、境内のいたるところで目にするウサギの愛らしい石像。大国主神が傷ついたウサギを助けた神話にちなみますが、ポーズは様々で一番人気はハートを持ったウサギとか?

 

 

境内での参拝の締めくくりは、素鵞川を隔てた西側にそびえる出雲大社教の祭事や結婚式、祈祷が執り行われる「神楽殿」です。正面に架かる大注連縄は平成30年7月に架け替えられたもので、長さ13m、重さ約4.5t、拝殿の約2倍もあり、形は雲をかたどっていて張り方も一般的な神社とは逆向きです。これは伊勢神宮が日の昇る方向に対し、出雲大社は日が没する方向のため、あるいは現世に対する幽世を表すなどといった説があります。

 

 

最後まで神秘に包まれた出雲大社を後にして出雲大社前駅から一畑電車で次の駅「浜山公園北口」を目指します。乗った電車が、かわいいラッピングで包まれた「ご縁電車しまねっこ号」でした。実はこの2104Fは車体修繕で2019年5月12日で運行終了することが決まっています。平成25年(2013)に島根県がスポンサーになり「ご縁電車 しまねっこ号」としてラッピングを行いました。

 

 

車両外観、内装ともにピンクを基調にし、島根県観光キャラlクター「しまねっこ」をはじめ、島根にちなんだ8っのモチーフ「しめ縄・銅剣・銅鐸・水引・雲・勾玉・ウサギ・ハート」を描いています。

 

 

浜山公園北口から案内看板に従って歩くこと約10分のところにあるのが「島根ワイナリー」です。ワインの醸造工程の見学が出来る他ワインの試飲が無料で楽しめます。

 

 

しかしおいしいワインを試飲するなら「バッカス」での有料試飲です。特にプレミアムシリーズに「横田」は中国山地の奥出雲町(旧横田町)の自社農園「横田ヴィンヤード」で造られた高品質ワインです。

 

 

試飲を楽しんだ跡は松江市内に戻るため再び一畑電車に乗り込みます。今度の電車はしまねっこ号と同系の元京王電鉄5000系の2103号車で白を基調としドアをオレンジ色のデザインにしています。

 

 

内装もイベント対応車として、宍道湖をはじめとする風光明媚な沿線風景を車窓から楽しめるように座席配置を宍道湖側に向けて固定できる二人掛けソファー型シートに変更しています。内装には本木材や木目調デコラを多用し暖かみのある仕様となっています。

 

 

終点の松江しんじ湖温泉駅からホテルの駐車場に戻る前に歩いて少し情緒あふれるお堀端の通り「塩見縄手通り」を歩きます。塩見縄手は松江城の北側、堀川沿いにある閑静なエリアで、武家屋敷や松並木が並ぶしっとりとした雰囲気の街並みです。「縄手」とは縄のように一筋に延びた道もことをいい、かつて上・中級武士の屋敷が建ち並んでいた場所で500mほどの通りの中ほどに塩見小兵衛の屋敷があったことからこの辺りを塩見縄手と呼ぶようになりました。黒板塀の侍屋敷と掘端に連なる老松が見せる風景は美しく「日本の道100選に選ばれています。

 

 

またこの通りには、「怪談」の著書、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が明治23年(1890)、英語教師として松江市内の尋常中学校に赴任し、翌年武家の娘であった小泉セツと結婚して塩見縄手の武家屋敷でくらした「小泉八雲記念館」とそこに隣接する「小泉八雲旧があります。明治24年(1891)の約五ヵ月間、セツ夫人と新婚生活を送った武家屋敷です。

 

 

ホテルに戻って今宵のお宿「ありふく よしだや」に向けて出発です。松江中央ICから山陰自動車道で出雲IC、そのまま国道9号線で有福温泉を目指します。