平成最後、令和最初のGWを神話の国「出雲」へとドライブ⑤「石見・雲南編」 | サラリーマンおやじのさえずり小鳥っぷ(小旅行)

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「ありふく よしだや」さんで7時の朝食をとり、8時出発で世界遺産「石見銀山」に向かいます。今日の行動予定は午前中石見銀山を見て、午後から奥出雲葡萄園に寄り一路帰途にについて430km先の中間地点「ニューびわこホテル」へ走ることです。江津西から山陰自動車道にのり、仁摩・石見銀山ICでおります。

 

2007年7月世界遺産に登録された石見銀山は、1526年、博多の豪商神屋寿禎に発見されて以来、1923年の休山までの約400年にわたって採掘された日本を代表する鉱山遺跡です。かつて世界二大銀山のひとつとして大航海時代の16世紀、石見銀山は日本の銀鉱山としてヨーロッパ人に唯一知られた存在でした。16世紀半ばから17世紀はじめには、世界の産銀量の約3分の1をを占めた日本銀のかなりの部分が石見銀山で産出されたものでした。石見銀産で産出された銀は高品質で石見銀山の所在する佐摩村にちなんでソーマ銀と呼ばれ流通しました。

 

世界遺産の登録エリアは、約900もの間歩が残る仙ノ山を中心とした「銀鉱山跡と鉱山町」銀を積み出した「港と港町」これらを結ぶ「街道」のすべてが対象で総面積は約530haに及びます。歩き方としては銀山地区と大森地区にわけ、まずは銀山地区「龍源寺間歩」までの片道約2.3kmの山道を歩きます。緩やかな上り坂なので時間がなければ電動タイプのレンタサイクルで移動するのがおすすめですが、これだと遊歩道が歩けないので、じっくり観光したい方は歩きましょう。自然に満ちた散歩道です。

 

この時間ではすでにレンタサイクルは借りる人でごったがえしていて、石見銀山世界遺産センターに車をおいてシャトルバスで先ずは大森バス停で下車します。石見銀山公演からスタートです。

 

 

銀山地区は16世紀から20世紀にかけて銀生産の全作業が行われていた場所で、現在は緑深い森の中に坑道跡や精錬所跡、寺社などが残ります。最盛期には1万3000軒もの住居が並び、約20万人がここで暮らしていました。通りには焼きだんごやさんもあります。

 

 

一気に龍源寺間歩まで歩きますが途中には「豊栄神社」があります。慶応3年(1867)までは洞春山・長安寺という曹洞宗のお寺で洞春というのは毛利元就の法号です。永禄4年(1561)に山吹城内に元就が自分の木像を安置し、元亀2年(1571)には長安寺を建立し、ご神体として祀られています。

 

 

川のせせらぎを聞きながら歩いていきます。

 

 

石見銀山には大小合わせて600箇所を超える間歩があることが分かっています。龍源寺間歩は代官所直営の間歩「御直山」のひとつです。江戸時代前半大久保間歩(870m)に次いで開発され、昭和18年(1943)まで200年以上にわたり銀や銅を産出しました。永久・大久保・新切・新横相の間歩とともに5ヵ山と呼ばれていました。周辺に見られるシダはヘビノネゴザというオシダ科のシダで、貴金属を好む性質を持ち、金銀山発見の手掛かりになったといいますよ。

 

 

間歩の壁面には当時のノミの跡がそのまま残っており、また20余りのひ押し掘り(鉱脈に沿って掘り進んだ横穴)や垂直に100m掘られた竪坑を見ることができます。横幅2尺高さ4尺を、1日5交代で10日で10尺掘ったと伝えられています。

 

 

岩盤の隙間に板のように固まっている鉱物の層(鉱脈)を追って掘り進んだ小さな坑道を「ひおい坑」と言います。

 

 

垂直に掘られた坑道を「竪坑」といい、龍源寺間歩に溜まった水を約100m下の永久坑道へ排水したと言われます。

 

 

全長600mのうち平成元年に157mのところから通り抜け用に設けられた新しい坑道(栃畑谷新坑)が設けられ観光用に公開されています。新坑には石見銀山絵巻の一部を展示しています。

 

 

出口を出てすぐの山の中腹に佇む「佐毘売山神社」があります。全国一の規模の山神社で100段の石段を上った先にあるお社は文政2年(1819)に再建され、現在修復中です。鉱山の神である「金山彦命」を主祭神とし、山神さんと呼ばれて親しまれています。この奥に江戸中期以降に開発され、良鉱石を多く産出した「新横相間歩」があります。ここからの道中にはいくつかの間歩があるので周りを見渡しながら歩きます。

 

 

入口から斜坑となり、川の下を横切って延びる特殊な坑道の「福神山間歩」の前から遊歩道に入ります。

 

 

大久保長安の元で銀山の採掘経営を務めた「吉岡出雲墓を通り

 

 

銀山川を渡って「新切間歩」を覗きます。正徳3年(1713)水抜き鉱として掘られましたが享保年間(1716~36)に鉱脈にあたり盛山になりました。

 

 

さらに歩くと銀山開発にかかわった領主や代官らの信仰を集めた真言宗のお寺「清水(せいすい)寺」があります。推古天皇の時代の創建とのことです。

 

 

少し遊歩道から奥まったところに「清水谷精錬所跡」があります。明治27年(1894)に起工し、翌1895年に完成した当時のお金で約20万円の巨費を投じ、最先端の技術を駆使して造られた大型精錬所の遺跡です。現在は高さ33m、幅100m。8段の壮大な石垣など基礎部分が残っていてさながら城跡のようです。苔むした石垣が時の流れを感じさせます。

 

 

最後に銀山川遊歩道の出入り口近くの「大久保長安の墓」を訪れます。大久保長安が自分の名からニ文字とって建立した大安寺跡にある墓所です。石見銀山で最大規模を誇る大久保間歩を開発し、シルバーラッシュをもたらした初代銀山奉行の墓碑です。

 

 

ここからはさらに歩いて江戸時代の風情が残る「大森地区」の町並みめぐりになります。17世紀から19世紀半ばにかけて石見銀山の政治経済の中心地となった場所で約800mの町並みに代官所跡、地役人旧宅、武家屋敷、銀山運営に関する建物が並びます。一帯は重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。写真は観世音寺の境内から撮った赤い石州瓦がつらなる町並みです。

 

 

旧河島家は大森代官所に務めた役人を地役人といい河島家は代々大森の地で地役人を務めたのち、総括役まで昇進した上級武士の家です。武家屋敷の特徴をよく残した造りです。

 

 

向かいには明治23年に開設された旧大森区の裁判所で現在は「町並み交流センター」になっています。館内には法廷が一部復元されています。

 

 

江戸時代には代官所があったところで明治35年に建てられた邇摩郡役所を利用した「石見銀山資料館」までくればあとは「大森代官所跡バス停」から世界遺産センターまでシャトルバスで戻ります。

 

 

松江自動車道も三刀屋木次ICを降りて山間の道を走ると、数々の神話と縁の深い奥出雲の山あいに広がる複合農園「食の社」に到着します。この一画にワイナリー「奥出雲葡萄園」があります。島根県雲南市木次町というスサノオノミコトの八岐大蛇退治で有名な斐伊川はこの町流れています。スサノオが大蛇退治のために強い酒を仕込んだと伝わる御室山も葡萄園やワイナリーのすぐ後ろです。御室山自体が御神体、まるでワイナリーを見守っているかのような場所にあります。

 

 

木のぬくもりを生かしたワイナリーは周囲の景観に溶け込み、ワイナリーの前のきれいな芝生の庭でくつろぐのもいいですね。庭カフェでは母体の木次乳業のに日登ビン牛乳もいただけます。

 

 

ワイナリーの右手には葡萄園という名のとおり、広々としたブドウ園が広がります。ワイナリーの始まりは1983年、経営母体である木次乳業がヒマラヤ、ロシア、日本それぞれの野生山ブドウの交配種の流れを引く「小公子」でワインを造ろうということからです。

 

 

レストランからは御室山が眺められ、地元食材をふんだんに使ったプレートランチがいただけます。

 

 

売店は小さく、レジカウンター横にこじんまりと試飲コーナーがあります。

 

 

お昼ごはん目指してJR木次線に沿って南下し、国道314号でさらに南に車を走らせ八川駅に到着です。その駅前に一軒だけ佇むのが味自慢のそば屋「八川そば」です。創業は1984年、地元産のそば粉(横田小そばと信濃品種ばどのブレンド)を使った手打ちそばです。店入口すぐにそば打ち台があり、麺棒で軽く打ちながら延ばすという八川郷に古くから伝わる打ち方に特徴があり、強いコシのあるそばが打てる技とのこと。

 

 

店の一番人気は「ざいごそば」です。そばは地粉につなぎを加えた二八そばで、その上にとろろ、葉わさび、きんぴら、ゼンマイ、ワラビ、山椒がのって賑やかな冷やかけそばです。これにつゆをかけて食べる。山菜をおかずに風味豊かなそばが楽しめす。「ざいご」とは田舎もんという方言でこの素朴さが旅愁をさそいます。

 

 

店内は64席と広いものの行列ができていてたっぷり1時間半は待つことになった。その待ち時間の間に八川駅に停車するトロッコ列車「奥出雲おろち号」を見に行くことに。奥出雲葡萄園の最寄駅・木次駅から広島県の備後落合駅まで山深い「神話の里」を走るトロッコ列車です。鮮やかなブルーに彩られた客車2両とディーゼル機関車の3両編成です。

 

 

最後に「奥出雲おろちループ」を走って帰路につきます。とぐろを巻くヤマタノオロチをイメージして建設され、国道314号坂根・三井野原を11の橋と3つのトンネルからなる二重ループです。シンボルの「三井野大橋」は、ヤマタノオロチが炎を吹いたように見える赤い橋になっています。(写真)