主日の聖書 旧約聖書 エレミヤ書31章31〜34節 新しい契約 | 生き続けることば

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【中心聖句】

見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる(31節)

 

エレミヤ書30〜33章は「慰めの書」と呼ばれ、バビロン捕囚民の解放と祖国イスラエル・ユダの復興という希望のメッセージを告げています(雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』p.60)

 

今日の朗読は次のような構成になっています(同上)

 

31節    「新しい契約」に関する神の宣言

32〜34節 「新しい契約」の説明

 

この「新しい契約בְּרִית חֲדָשָׁה」は、エジプト脱出の際に結ばれた契約いわゆる「シナイ契約」(出エジプト記20章以下)とは違う新しいものです。

 

ホセア書には「その日には、わたしは彼らのために 野の獣、空の鳥、土を這うものと契約を結ぶ」(2章20節)という聖句がありますが、「新しい契約בְּרִית חֲדָשָׁה」という表現は旧約聖書全体でも今日の箇所といわれています。

 

ただ、注意すべきはこの「新しい契約בְּרִית חֲדָשָׁה」の内容が「(古い)シナイ契約」とどう違うかということについては一切語られていないということです。

 

「シナイ契約」の掟は石の板2枚の上に「神の指で記された」(出エジプト記31章18節)のでしたが、「新しい契約בְּרִית חֲדָשָׁה」においては「わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す」(33節)と書かれているのです。

 

つまり、「新しい契約בְּרִית חֲדָשָׁה」とは「古い契約」の内容を全面的に破棄するのではなく、新たに全く違った方法で契約を結び治すことを意味すると考えてよいのではないでしょうか。

 

33節でもう一つ注意すべき言葉があります。それは冒頭の「来たるべき日」です。これは原文を直訳すると「これらの(הָהֵם֙)日々(הַיָּמִ֤ים)の後に」となります。

 

英語聖書の代表的な版の一つであるRevised Standard Versionはこれをafter those daysとしていますが、何故か聖書協会共同訳はでは「その日の後」と単数で表しています。

 

エレミヤはユダ王ヨシヤの治世13年に召命を受け、エルサレムが陥落してバビロン捕囚が始まるまでの期間、預言者として活動しました(エレミヤ書1章2〜3)

 

彼は捕囚以前から民の背信を指摘し、神のもとに戻らなければ破滅が起こると警告し続けていましたが、ユダの民は彼を無視し、結局は捕囚の憂き目にあうこととなりました。

 

そのような中で彼は「これらの(הָהֵם֙)日々(הַיָּמִ֤ים)の後」を語りました。その時間はそれ以前とは全く異質の時間、神の介入によってのみ作り出される時間なのです。

 

エレミヤは「◯◯年◯◯月◯◯日にこういう事が起こる」と予言をしているのではありません。彼はいつからが「これらの(הָהֵם֙)日々(הַיָּמִ֤ים)の後」なのかについては何も語っていません。彼の言葉はむしろ、希望のないところで神への絶対的な信仰を現した信仰告白というべきでしょう(雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』pp.64〜65)