7日目、我々の旅は2週間なので今日は折り返しだ。フェッラーラを発ち、ラヴェンナへ。直通鈍行の地方列車 Regionale がある。1人7,3€。列車内に自転車を吊るせるようになっている(有料)。イタリアの車両は日立レール製が多い。
紀元前1世紀にアウグストゥス帝が帝国海軍の二大軍港のひとつ、クラッセを建設し、5世紀にはミラノからラヴェンナに西ローマ帝国の首都が移された。西ローマ帝国滅亡後、5世紀末から6世紀にかけてイタリア全土を支配した東ゴート族の王テオドリックもここを首都とした。だがこの大王の没後、東ローマ帝国が旧西ローマ帝国の再征服を企てて対ゴート戦争を行ない、540年、西ローマ帝国支配のための総督府をラヴェンナに置いた。今日、ユネスコの世界遺産となっているモニュメントの大半はこの時期のものである。
予約したホテルは駅前の街路樹を300mほど西に歩いて突き当たるローマ通りに面して建つ旧貴族のVilla、Palazzo Galletti Abbiosi。下の公共部分は実に豪勢。我々の客間は白とベージュですっきりゆったり。荷物を預けて旧市街へ。ホテルから市心に向かうあたりはダンテ地区と呼ばれており、Piazza Garibaldi の隣に建つ市民劇場も Teatro Alighieri という。その広場の左手の小路の奥にダンテの墓が見え、観光客が群がっている。『神曲 Divina Commedia』で知られる詩聖ダンテは、生地フィレンツェを逐われてこの地に匿われて暮らし、没したのであった。その西隣にはダンテの暮らした家、そのすぐ南隣の聖堂は、ダンテの葬儀が行われたフランチェスコ教会で、後陣のクリプタには真水が溜まっており、モザイク床のプールの中を金魚が泳いでいる。ラヴェンナは潟の上に発達した町なので、subsidenza (沈下)により、地下から水がしみ出しているのだ。その聖堂前の Piazza Caduti per la libertà には観光局もある。ここから北上して町の中心 Piazza del Popolo へ。さらに北上して Mercato Coperto へ。中世からあった市場だが、現在のようにリノベされたのは2019年なので、私も見るのは初めてである。カフェで一息入れ、お昼はここにしようと決意する。だが先ずは、市の北西部にあるサン・ヴィターレ聖堂とガッラ・プラキディア廟を見に行くことにする。ここでラヴェンナのモザイクをほとんど見られる総括切符を購入: 1人25€。洋品店でらくそうなプリントのズボンを購入。2005年に見たことのある古代ローマのドムス Dodus dei Tappeti di Pietra (1人6€ )を見てから、メルカート・コペルトに戻る。各店舗で買ったものを店内のテーブルで食べることができるが、高級レストランなみの値段であることが後でわかった。空間はすばらしいのでオットは写真をたくさん撮っていた。予約時間が決められていたので、ドゥオモ横のネオン洗礼堂へ。さらに司教座博物館へ。思いがけず、ベルニーニ作という磔刑図を見つけた。後で調べたら、工房の作品だった。ドゥオモも覗いたが、18世紀の建築でありがたみは乏しかった。
ホテルに戻り、チェックインしてひと休み。夕方に、サント・アポリナーレ・ヌオヴォ聖堂を訪れる。アリウス派であった東ゴート族の王テオドリックが建てたもので、後世にモザイクが改ざんされている。キャンバスのトートバッグも購入。夕食はメルカート・コペルトの北側がレストラン地帯なので探したが、お目当ては閉まっていたり、冷房がきいていなかったりで探すのに苦労し、我々のためだけにクーラーをつけてくれるという BABALEUS というお店に入る。食事はどれも美味しかった。
なお、ラヴェンナの町ではそこかしこでダンテの『神曲』をDLできるようになっており、読みながら散歩、ということらしい。モザイクとダンテの町なのだ。
8日目、このホテルの朝食はすばらしい!! この館の貴族の末裔 フランチェスコさんが親切で、頼まないのにパンを持ってきてくれたり、お菓子をくれたりする。お料理も果物もふんだんで、パーティがしたいくらい。オットが朝9時から日本とオンライン会議だったので、10時過ぎに、午前中しかあいていないアリウス派の洗礼堂へ。これはチケットの自販機がある。2€。
そのあと、ホテル近くのバス停からバスでクラッセへ。30分〜1時間の頻度。まず、サント・アポリナーレ・イン・クラッセ聖堂へ。我々のホテルは無料の自転車貸し出しがあるから、自転車で行こうかと思ったのだが、炎天下5kmなのであきらめた。2018年に公開された考古学博物館との共通切符9€を購入。国鉄の踏切を超えてすぐ右手である。クラッセは初代皇帝アウグストゥスがつくった帝国の2つの軍港のひとつであり、今も発掘が行なわれているが遺跡は閉鎖されていた。博物館の展示はよく勉強できるようになっていたが、閑古鳥が鳴いていた。クラッセ駅の近くのレストラン Brutto Anatroccolo (みにくいアヒルの子) でランチ。昼間からピッツァが焼かれ、地元の人々で大繁盛していた。駅の自販機で切符を買い、帰りは列車に乗る。あっという間に着いた。すべての地方列車がこの駅に止まるわけではないから要注意。
少し昼寝をしてから、テオドリック王の宮殿跡、S. Maria in Porto 聖堂、駅の地下道をくぐり、船溜りに出てからテオドリック大王の墓廟へ。ヴェネツィアの支配下、15世紀に建設されたブランカレオーネ砦の内側の公園を覗き、ホテルに戻る。
夕食はダンテの家と棟続きのレストラン Cà de Vinへ。ラヴェンナに来たら、一度は食べたり飲んだりしたい店である。大満足。
9日目の朝、朝食の時、フランチェスコさんにさよならの挨拶をしたら、プレゼントだとブレスレットを2つ持ってきてくれた。MEDGORJE と書いてあるので何かしらと調べたら、聖母マリアが顕現したボスニア・ヘルツェゴビナの小さな町であった。前のフランチェスコ教皇はここへの巡礼を認可したとのこと。
そういえば、このホテルの Wifi PWは Carpe diem (その日をつかめ、つまり今日を逃さず楽しめという意味)だった。ローマ詩人ホラティウスの詩句ですね。
