来日するイタリア人たちが少なからずこのドラマを見たというし、エミー賞やゴールデングローブ賞(映画ではなくドラマだからアカデミー賞はありえないけれど)を受けたというので、見たくなくても見ずばなるまいと思い、ディズニー➕を契約してみた。アカウントを作成し、PWを設定するだけで、とても簡単であった。PCでも見られるし、i pad でも、テレビでも見られる。

 思ったとおり、外国人ジェームズ・クラヴェルの原作、外国人の美術の産物である。真田広之は自分もプロデューサーとなり、時代考証、美術など、日本からスタッフを呼び寄せ、かなりチェックしたと言っていたが、それでもやはり奇妙な場面はいくつかあった。学者による監修が必要だろう。だが、日本の時代劇を見慣れない人にとっては、映像は美しく(谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』を思い出した)、様式美にあふれており、見応えのある作品なのだと言えるだろう。イントロの映像にある石庭の美しいこと!! 日本への憧憬を誘うことは必定。

 史実はほとんど無視されており、そのために配役名も、家紋も、微妙に違えている。作家はそのぶん自由に書いた。だからストーリーはオリジナルであり、按針役の出番と、アンナ・サワイのせりふがとても多い。コロナ禍の中、カナダで撮影したそうだが、外国人が喜ぶように、女忍者的な殺し屋、遊女、石庭、斬首、切腹、不義密通、侍の嫉妬、海辺の露天風呂、茶道、忍び、などの場面が盛り込んである。以下、はて?と思ったツッコミ箇所、疑問を列挙してみる。

 1. 藁の円座は板の間では使うが、畳敷の書院では使わないのが普通。江戸城でも座布団など使っていなかった。

 2. 謁見の間、つまり上段の間における畳の敷き方が、縁を縦にしてあるのはおかしくはないか? 畳の縁は階級を示すので床間に対して横向きであったはず。気になったので画像検索したら、縦向きもありのようだ。それもありなのか?

 3. 日本人は縁側では履き物は履いていない。そこから草履をはいたまま下りてくるのはへん。だから縁側の床板が汚れていたし。そもそも屋敷に玄関がない!! ふつうは玄関の式台まで下足は履かず、三和土で履いたものであるが。

 4. 武将が逮捕された異人を聴取する時、石庭の上に座らせたりしないと思う。そもそも石庭は瞑想するためのもので、ふつう禅寺の方丈の前にあるもの。

 5. 按針が賜った武家屋敷は、茶室ではあるまいし、アプローチに飛び石がある。塀も茶庭みたいに竹づくり。普通の武家屋敷は土塀でしょう。

 6. 落ち葉の方が江戸に行っていたというのは不思議。この太閤様の後家(淀君に相当)は決して大坂城から動かなかったのに・・・。

 7. 虎永(家康に相当)、その配下の藪重ら、高齢の武士に総髪の人が多い。女性のメイクも現代的である。ナチュラルだからそれはわるくない。

 8. 神仏習合は当然だとして、戦国時代に火葬したかしら?

 9. 書院づくりであったと思われる江戸城の謁見の間が板敷きって、ありえる? 天井も格間ではない。

 10. 高台院は長生きだったのに、大蓉院(高台院に相当)はこんなに早く病死するの?

 11. 切腹は、ふつう謁見の間でしたりしないのでは?

 12. 「黒船」という呼び方は幕末のものかと思っていたら、室町時代から大きな外国船のことはそう呼んでいたようだ。

 13. 石田三成は五大老の一人ではなかったはず(五奉行の一人)だが、このドラマでは、石田三成と思われる石堂がそうなっている。

 14. 床机には、武人座りと文人座りがあるとのこと。

 15. 血糊の付いた刀をすぐに鞘に収めることについての疑問を検索してみた。

 16. 座敷に上がった侍が帯刀していることが腑に落ちなかったので検索してみたら、大小のうち、長い方は玄関で預け、脇差は右手に持ち替えて、座敷に入り、右側に置いたとのこと。この映画のお城には、番所も見当たらない。

 

 シーズン2と3が予定されているようだが、関ヶ原とか、大坂の陣のような場面になるのでしょうか? 

 西洋人にとっては、この1600年という時代に、一人のイギリス人水先案内人(舵手を按針と言った)が、将軍と関わった事実、極東でカトリックとプロテスタントが火花を散らしたという事実は、興味深かったのではないだろうか。次に日本で撮影ということになれば、富士山も映るだろうし、脇役の俳優陣ももう少し見栄えのある人を使えるのではないだろうか。

 なお、モデルとなった三浦按針(ウィリアム・アダムス)は帰国できずに、平戸で他界したようだ。このドラマではともにリーフデ号に乗って豊後に漂着したヤン・ヨーステンのことは言及していない。