門井慶喜が2018年、直木賞を受けた小説である。『家康、江戸を建てる』(2016年)を読んだ時から読もうと決めていた。見ていないが、映画化もされた。すらすら読める。時代がよくわかる。

 

 1. 父でありすぎる: 岩手県の花巻における宮沢賢治の誕生。その父、政次郎と家業である質屋のこと。賢治という名前は、叔父の治三郎がつけたということ。1896年に明治三陸地震があったこと。

 赤痢に罹った賢治を父の政次郎が手厚く看病したこと。政次郎の生い立ち、その父の喜助について: 呉服屋だったが落ちぶれて古着屋になり、質屋になった。

 

 2. 石っこ賢さん: 尋常高等小学校に入った賢治のこと: 悪童と野山で遊ぶ。四年生になると石に興味をもち収集する。相棒は妹のトシ。兄妹ともに優秀。エクトール・マロの『家なき子』に影響を受けたこと。父が息子のために標本箱を買ったこと。

 

 3. チッケさん: 賢治、県下の最高学府、盛岡中学校への進学についての葛藤。1904年に日露戦争が始まったこと。入学と入寮。浄土真宗と親鸞聖人のこと。賢治の兄弟姉妹について。佐々木舎監が賢治にとって多少欽慕の対象であったこと。

 

 4. 店番: 中学を卒業する頃、盛岡の私立岩手病院にて肥厚性鼻炎の手術を受け、父が入院に付き添ったが、父もチフス的症状を呈し、入院するはめになったこと。

 退院後、質屋の店番をして、質屋に向いていないことが判明したこと。

 父は、大沢温泉に知識人を集めてしばしば講習会を催し、後援していたこと。日本が第一次世界大戦への参戦を決めたこと。賢治の進学が決まったこと。盛岡高等農林学校に首席で合格。

 

 5. 文章論: 妹トシが目白の日本女子大学に進学したこと。賢治が製飴工場を経営する夢を語ったこと。賢治は卒業後、研究生として学校に残り、土性調査を行ない、仕送りを続けてもらう。トシの手紙に見られる文才について。賢治が左の肺に肋膜炎をおこしたこと。トシが肺炎で入院したこと。

 

 6. 人造宝石: 賢治、母と、トシの看病のために上京する。賢治、人造宝石をつくりたいと考える。トシは兄に作家になれ、童話を書けと言う。賢治はトシにおまえが書けと言う。トシは退院し、医者から小田原あたりでの静養を勧められたが、岩手に戻る。賢治は、日蓮宗に傾倒し、国柱会に入会する。賢治、隣家で療養するトシのもとに足繁く通う。七ヶ月ほど東京に出るが、トシの病気のためにまた花巻に戻る。結核のトシに「風野又三郎」の童話を読み聞かせる。

 

 7. あめゆじゅ: 石川啄木の『一握の砂』に影響を受けたこと。同人雑誌『アザリア』を刊行し、童話を寄稿したこと。またしても上京する。小さな出版社で仕事をするが、うだつがあがらない。文具店で原稿用紙を買い求める。七ヶ月後、トシの病状悪化の報せに、またしても花巻に戻る。賢治、稗貫農学校に就職し、ようやく収入を得る。トシの病状は末期症状を呈し、末期に欲したのはあめゆじゅ(みぞれ雪)であった。

 

 8. 春と修羅: トシの通夜と葬儀、荼毘。その翌月、上京して出版の可否をさぐろうとするも、原稿を弟に託すことにする。弟からは、どこでも断られたという報せが届く。やがて、岩手毎日新聞などに作品が掲載されるようになる。心象スケッチなど。「やまなし」「氷河鼠の毛皮」という童話など。それに出てくるイーハトヴは岩手のこと。自費出版により製本された「春と修羅」「心象スケッチ」について。

 2冊目の本、『注文の多い料理店 イートヴ童話』とその序について: わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、ももいろのうつくしい朝の日光をのむことができます。

 

 9. オキシフル: 賢治、教師の職を辞し、トシが療養した桜の家に住み自活する。売れなかった自著『春と修羅』を200冊買い取る。賢治、喫煙する。肺病が再発する[ニコチンが結核菌を殺すと考えられていた?]。息子を甘やかす父親の業。最後はオキシフルでからだを拭いてもらった。

 

 10. 銀河鉄道の父: 賢治の没後二年の一家、姪や甥も集う。政次郎、雨ニモマゲスの詩を詠む。伯父さんは鉛筆を持ってあそんでいただけだと語る。童話も読む。『宮沢賢治全集 全三巻』を。政次郎が出版したものであった。『銀河鉄道の夜』は未完のままである。

 

 解説 (内藤麻里子): 政次郎に、厳しさと過保護の間で揺れ動く現代の父親像を見出した、と作家が語っている。