ノーベル賞文学賞を受けたカズオ・イシグロの小説は既にいくつか読んでいるが、これはデビュー作であり、王立文学協会賞を受けている。この作家は長崎に生まれ、五歳の時にイギリスに移住したそうなので、長崎のパノラマが自らの原風景として脳裏にあったのかもしれない。

 不思議なことに、読み始めたら最初の一章くらいまでは既読感があった。作品全体に鬱々とした空気が漂っている。冒頭に、主人公の夫の葬式で帰宅した次女とのぎくしゃくした関係が描かれる。長女は家を出て、ひとりで暮らし、首吊り自殺をしていたことが語られる。主人公の女性は英国で再婚していたのだが、日本における最初の結婚による長女を妊娠していた頃の、戦後の長崎における新婚時代を想起していく。

 それはちょうど朝鮮戦争が行われていた時代のことであった[日本は占領軍の支配下にあり、アメリカ軍のマスコミ操作による価値観の転換、いわば洗脳が行われていた]。主人公は、戦争によって没落した母子と知り合う。追憶は、この母子との対話によってつづられ、おそらく主人公は、あまりにも考え方の異なるこの女性との出会いによってカルチャーショックを受けつつも惹かれているようで、だらだらと奇妙な交友関係を続けている。その女性はアメリカでの生活を考えているのだ。また、その女性の娘に対する放任主義とドライな態度も主人公の考え方を揺さぶっている。

 戦争によって境遇や考え方が変わった人たちがほかにもいろいろ登場する。うどん屋を始めた未亡人、古い考え方を保っている舅(義父)、その父親のことをうざいと思っているふうの夫、共産主義の考えにそまった夫の旧友、夫の部下が支持政党への投票について妻と意見が違って夫婦喧嘩になったこと、など。

 イギリスに暮らす今の主人公は、やはり娘との関係をうまく構築できていないのか、あえて距離を置いている様子である。

 自分が妊娠中に知り合った母子が、自らの赤ん坊を水に浸けて殺した女性を目にし、それ以来、その娘はその女の人の姿を時々目にするのだという。幼い時に見たことのショックはいつまでも尾を引くのだ。戦争の悲惨が滲み出ている。娘は、母親の恋人の、どうしょうもないアメリカ人を嫌っている。猫が好きで、引っ越しにも連れていきたがっているが、母親は許さない。

 主人公の娘が言う: 「子供とくだらない夫に縛られて、みじめな人生を送っている女が多すぎるわ」「それでいて、勇気を出して何とかすることができない。そのまま一生を終わっちゃうのよ」。この小説の主人公はそうしなかったのだろう。

 

[この小説は一部、二部と分かれており、章立てがしてあるが、さほど意味がないように思える。]

 

 米軍の日本占領がまもなく[1952年に]終わるとある。長崎の相次ぐ子供殺し事件が長崎を震撼させていたことについても。

 主人公が、奇妙な友人と稲佐に行楽に出かけた時のこと。アメリカ人女性を連れて、いけすかない婦人とそのでぶの息子について[その男子が木から落ちたのは痛快であった]。友人の娘がくじ引きをして一等を当て、それが子猫の家になった話。

 主人公が、舅と長崎の平和公園などに出かけた話。公園の巨像が、交通整理をしている警官に思えたという話。共産主義の考えにそまった息子の学友でもあるかつての教え子を訪ねた話[一度洗脳された人はほとんど聞く耳をもたない]。洗濯機が普及し始めたことについて賛否両論の話。

 筆者が、主人公の口を借りて述べる。「記憶というのは、たしかに当てにならないものだ。思い出すときの事情しだいで、ひどく彩りが変わってしまうことはめずらしくなくて、わたしが語ってきた思い出の中にも、そういうところがあるに違いない・・・」。奇妙な友人の家を訪ねると、本人は留守で、娘と友人の従姉妹が来ていた。その女性は喪服を着ていて、しばしば葬式があるという。

 その奇妙な友人は、主人公に借金をしたまま、神戸に引っ越し、アメリカに渡るという。借金は郵送するとか言っているが、どうなることやら。そして、その友人は、猫を連れて行きたいという娘の子猫たちを堀割りの水に浸けて殺そうとして、殺しきれず水に流してしまう。それを平気で見ていられるというのは、もしかしたら主人公の内面には、冷え冷えとした残酷な一面があるのではないだろうか。友人の娘は何となくそれがわかっており、主人公のことをうさんくさそうに見たのである。

 終章では、主人公の次女が怖い夢を見ると言う。「漫然と生きている人たちなんて、みんなバカだわ」と言う次女に、主人公は「その話はもうやめましょうよ」ときっぱり言う。[主人公は本音で娘と向き合うことを避けており、娘は心に鎧をまとった母親から遠ざかり、バツがわるそうにしているのである。]

 

 訳者あとがき: カズオ・イシグロの作品のテーマには、価値の転換期における身の処し方があるという。[たしかに戦後はそういう時代であった。]本作では母娘関係がテーマになっているとも。薄暗い回想をしながら、世界を不条理と見る見方に由来しているという。

 

 池澤直樹による解説: カズオ・イシグロの作品は、会話のうまさが印象的だという。そして作品では、過去の自分と今の自分を重ね合わせて考えている。

 カズオ・イシグロは作品中でみごと自分を消すことのできる人だという。戦後まもない日本語を翻訳を通じて再現した訳者のうまさも褒めている。

 また、ここに書かれているのは日本人の心性だと考える必要がない、ともある。

[私は「日本人の心性」が気になったのでいろいろ検索したら、それは「甘え」と「空気」だそうである。KY🟰空気がよめない。まあ、それは西洋人的であるかもしれない。「忖度」もその一つかもしれない。それと、あまり自己主張しない。]

 

▼ANAのサイトより拝借した稲佐山からのパノラマ

 

 Wikipediaにあらすじなどが書かれている。