島村菜津の本はかなり好きだ。ジャーナリストとして尊敬もしている。今回の本はシチリアの取材録なので楽しみに読み始めたのだが、仕事が異常に忙しくなり、電車の中でも気が散って、読書に集中できない。こんな状態がたぶん5月いっぱい続くのだと思う。6月にもツアーがあるし・・・。だが少しずつメモる。

 

 プロローグ 自由という名の男: ひとりの市民として、マフィアの脅しに屈しないと公言したリーベロ・グラッシという人について。彼はパレルモで縫製会社を経営していたが、マフィアにみかじめ料を要求されて断り、脅されたが屈しなかったところ、商工会で孤立してしまった。だが、彼はめげずに、高視聴率番組に出演し、政財界、司法界の腐敗体質を公然と批判した。そして、ダッラ・キエーザ将軍ジュゼッペ・ファーヴァと同様、何者かに撃たれて落命した。1991年のことである。それから30年が流れた。今、マフィアの組織は、島内九県に分布し、パレルモには82あり、構成員総数は1540人である。島内マフィアの総数は3200〜6800と推定されている。

 1992年、マフィア大裁判を実現した2人の判事、ファルコーネボルセッリーノが爆殺された。翌年には大ボスが逮捕された。

 2000年代には各地にマフィアの博物館ができ、消費者はエシカル(倫理的)消費の運動を始め、この草の根運動は世界に広がった。

 

 第1章 町の負のイメージをいかに覆すか: 1993年、マフィアの大ボス、トト・リイーナが逮捕された。彼の故郷はコルレオーネという。筆者はこの町を訪れ、反マフィアのガイド、マリレーナ・バガレッラの案内で、マフィア博物館「合法性のラボ」を訪れる。コルレオーネは、反マフィア運動の地でもあり、それは19世紀末の労働者運動ファッシの代表ベルナルディーノ・ヴェッロから始まったという。彼は農民のために戦い、マフィアの凶弾に倒れた。彼のつくった農業組合には800人の女性が加盟し、農地管理人を通さない共同購入をはじめた。そのために彼は消されたのであった。戦後、この町の大ボスはミケーレ・ナヴァッラ、その殺し屋のルチアーノ・リッジョ、その右腕のトト・リイーナであった。

 町の反マフィア運動は学校教育から始まった。博物館には、パレルモの裁判所から寄贈されたマフィア大裁判の調書のコピーがあった。トンマーゾ・ブッシェッタの調書である。

 ガイドの父方の親戚には、殺し屋のレオルーカ・バガレッラがいたが、縁を切った。

 コルレオーネの宝は、フィックッツァの離宮である。その森はブルボン家のフェルディナンド三世が造営した狩猟の館で、7400ヘクタール(明治神宮の10倍強)もある。

 2017年、トト・リイーナが北イタリアの警察病院で他界した。

 

 第2章 マフィアは情報と戯れる: 筆者はパレルモのマフィア研究者ウンベルト・サンティーノを訪れる。「ジュゼッペ・インパスタート・資料センター」の主宰者である。シチリアのすべての組織が「コーサ・ノストラ」に属しているわけではない。島の南部にはスティッダという組織が縄張りを広げている。

 マフィアの語源について諸説あり。サルヴァトーレ・ルーポの『マフィア 百六十年の歴史』(2018年)によれば、イタリア統一直後のシチリアで生まれた。柑橘栽培について: このブームと国際貿易がマフィアを育てたという。

 マフィアは近代国家誕生の申し子だという話: サルデーニャ王国の行政と関税政策が南部を無視していた。徴兵制などなかった南部において、山賊を利用したマフィアを急成長させた(サルヴァトーレ・ジュリアーノの話)。ファシズム政権のマフィア掃討作戦により、これを隠れた組織になってしまった。作家レオナルド・シャーシャ、映画監督のフランチェスコ・ロージペッピーノ・インパスタートの死と資料センターについて言及。

 80年代はマフィアの抗争が荒れ狂い、多くの人が殺された。これは「マッタンツァ」呼ばれている。マフィアは暴力を行使して経済活動を行なう組織である。

 ピオ・ラ・トッレ議員の死について: 彼は平和運動を起こし、NATOの巡航ミサイル配備に反対し、マフィアによって消されたと思われる。

 

 第3章 故郷のために命をかけた二人の判事: 1992年、マフィア大裁判を実現させた二人の判事、ファルコーネとボルセッリーノが相次いで爆殺された。それ以降、七期にわたって首相を務めたアンドレオッティが失墜し、ベルルスコーニも疑惑の渦に追い込まれる。

 この契機となったのが、1983年に逮捕されたトンマーゾ・ブッシェッタの自白である[これについては拙著のコラムにも書いてある]。この事件にヒントを得たロベルト・ベニーニの『ジョニーの事情』というめちゃくちゃ面白い映画が思い出される。ほとんどのイタリア人が見たようだ。

 著者はファルコーネの爆殺現場カパーチを訪ね、現地で地域おこしをする青年たちに取材する。二人の判事は国家的英雄となり、反マフィア運動のシンボルとなった。ファルコーネの妹は nave della legarità という教育プロジェクトを立ち上げ、これはイタリアじゅうの子供たちと若者を啓発する国家的事業となった。

 著者は「赤い手帳」運動を行なうボルセッリーノ判事の弟にも取材した。パレルモの裁判所内に設られている「ファルコーネ・ボルセッリーノ博物館」も訪れた。「パレルモの春」という反マフィア運動を始め、ラ・レーテという政党を結成し、市民の良心を育成する教育を始めたもとパレルモ市長、レオルーカ・オルランドにも取材した。1993年に選挙法が改正されたシチリアには22人の女性市長が誕生した。

 

 第4章 さよなら、みかじめ料運動: 著者は、この本のプロローグで取り上げた、みかじめ料不払いのために殺されたリーベロ・グラッシの妻と娘に取材した。環境運動と反マフィアは同義だという。Addio Pizzo(さよならみかじめ料)協会誕生と、エシカル(倫理的)な消費運動 Consumo critico(批判的消費)の話。「みかじめ料を払うのは尊厳を忘れた市民である」というメッセージを発するため、このようなステッカーを街中に貼った話。

 リーベロの死後、パレルモに生まれた恐喝防止団体 Sos Impresaが生まれた話と、2011年の調査によればマフィアの経済規模は1380億ユーロで、国家予算の7%に相当するという話。

 みかじめ料を払わない企業の商品や店で日々の買い物をすることでで社会を変えるというのは今や世界の潮流であり、消費者と企業の責任である、という話。パレルモのカルサ地区にある老舗 Antica Foccaceria San Francesco の話。今では、Addio Pizzo 協会の加盟店は971軒(2022年)となっている。著者、その事務局を取材する。

 リーベロの事件後、恐喝を受けた人々の相談に乗る人間が必要であるとして、リーベロ・フトゥーロ(自由な未来)という団体が誕生した。著者、その会長に会う。

 反恐喝団体 FAI の話: 入札の不正を糾すための運動について。

 シチリア島におけるマフィアの犠牲者は519人、抗争による死者を加えればその十倍が落命していると書いている。

 著者、さよならみかじめ料旅行社 Addiopizzo Travel に取材する: 島に新しい仕事をつくり、みかじめ料に関わらない経済を育てるという試みで、宿も飲食店もすべてみかじめ料不払いのところを使い、主に修学旅行などの団体客を顧客とするエシカルな旅である。

 パレルモの大聖堂には、地域の子どもたちの教育に尽力し、1993年、マフィアに撃たれたピノ・プリージ神父の墓があり、訪れる。2013年、ヴァティカンはこの神父を列聖した。今度パレルモに行ったら私もぜひ拝みたいと思っている。

 パレルモのサン・ロレンツォ祈祷所の祭壇画、カラヴァッジョの「生誕」は、1969年、おそらくマフィアによって盗まれた。

 パレルモ、バラロー地区のモルティヴォルティという移民たちの経営する食堂について: マザー・テレサの家の向かいにある。私もぜひ行ってみたい!!

 

 第5章 恐怖のマフィア博物館: 著者は、トラーパニ県サレーミパン祭り、サン・ジュゼッペ祭 Tavolate di S. Giuseppe に出かけた。2008年にその町長となった美術評論家ヴィットリオ・ズガルビは2010年、マフィア博物館を開設し、作家レオナルド・シャーシャに捧げた。風力発電のための大型風車と太陽光パネルは景観を台無しにしている。

 

 第6章 押収地をオーガニックの畑に: 逮捕したマフィアから押収した土地でオーガニックの食品 Libera Bottega dei Sapori e dei Saperi della Legalità がつくられている。トリノのチョッティ神父が主宰するカトリック系団体グルッポ・アベレが始めた市民団体「リーベラ」の話。そのブレインには、ダッラ・キエーザ将軍の息子で社会学者のナンドがいる。署名活動により、マフィアからの没収地を再分配するという法律が成立した。国が押収した不動産の半分がシチリアに集中していた。そのような押収地で事業するために2001年、協同組合「リーベラ・テッラ」が誕生した[品目はこちら]。国が押収した1400h.の土地のうち、約400h.をこの組合が有機栽培の農地に変えていた。シチリアは知られざる有機農法の先進地なのであり、427.000h.が有機農法によっている。マフィアというネガティヴなイメージを払拭するためにもそれは必須なことであった。Nando Dalla Chiesa著『La Scelta della Libera』の話。

 コルレオーネの押収地では「Pio La Torre」という生協連が、1947年の虐殺事件に因む名をもつ Porterra della Ginestra というアグリツーリズモを営んでいるという話[ぜひ今度泊まってみたい!!]。

 

 第7章 食品偽装と震災復興: 食品偽装と不正に補助金を受けることで儲けるアグロ・マフィアの話。「運命に逆らったシチリアの少女」という映画の話[ぜひ見てみたいと思い、amazonにポチった]。マフィアの家に育った少女が自分の日記をボルセッリーノ判事に提出したが、判事が爆殺されたと知り、投身自殺した実話。

 著者は、カステルヴェトラーノのパルタンナ村で、オリーヴの生産組合をつくったニコラに取材する。押収地に向かう海岸地帯にはアフリカ難民があふれていた。

 地震の被災地では、マフィアが復興支援金や公共事業にからんでマフィアが儲けている。これまで恐喝を受けた人々を300人ほどもサポートし、警察の捜査にも協力してきたリーベロ・フトゥーロの団体が、灰色企業をサポートした嫌疑で、反マフィア団体の公式リストから除外され、会長のエンリーコはハンストを決行して15kg痩せた。マスコミの餌食になったことで疑われ、それによる「予防的押収」を認める法律は見直されねばならないとこの会長は言う[誰かを陥れようとすれば恣意的な情報操作をするという状況は、わが国でも高市さんが被害にあいそうになった・・・これは現代社会全体の問題であろう]。

 唯一の希望は、マフィアにお金の流れない消費を消費者が心がけるということである。

 

 第8章 もう、そんな時代じゃない: パレルモの北西部、サッカー・スタジアムの先にあるラ・ブラチェーラ La Braceraというピッツェリアの話。この店は、彼らをゆすりにきたマフィアを逮捕した。ガンベロ・ロッソにも、シチリアで最も魅力的なピッツェリアと評された[私には値段が高めに思われるが、小麦粉も地産である]。その店の裏手には、カステルノーヴォ宮という貴族の屋敷で国に寄贈されてから放置されたままなのだそうだ。経営者の息子は、こういう物件を活かしたいと言う。また、彼らはマフィアを相手に裁判を起こし、みかじめ料を払っていた過去も明るみに出たが、今ではきっぱり断っているとのこと。

 カターニア県カルタジローネのユーデカ JUDEKA という有機栽培のワイナリーも取材した。フラッパート種でつくった赤のスプマンテ、飲んでみたい。泊まれるようなので、それも試したい。この姉弟は隣の農場のマフィアに嫌がらせをさせられ、警察に届け、一審で勝利した。今の若者は泣き寝入りなどしないのだ。

 イタリア政府は、2023年から4年間、20億ユーロの予算を投じて若者の有機農法への転換を促進するとし、シチリアの有機ワインはイタリア全体の34%に達したことが報道された。

 

 エピローグ 民主主義とエシカル消費: あら、フェデリーコ二世はシチリアではなくて、イエジで生まれたのだけれど・・・。

 マフィアの組織犯罪は、幅広い分野における不正システムの一部である。

 パレルモでは、カフェ・ソスペーゾならぬツアー・ソスペーゾにより、シチリアのモニュメントを見たことのない子どもたちに文化遺産を見せ、島の食文化を楽しめる小旅行を贈ろうという動きがある。

 

 私はシチリアに通いすぎたなあと思っていたが、この本を読んで、芯から変わりつつあるシチリアをきちんと見てみたくなった。エシカルな旅をしてみたくなった。