これは以前、劇場に行こうかしらと思った映画であるが、ずっと失念していた。NHKBSPでやったので録画しておいて見た。さほど面白くなくて眠くなったが、最近、日本が消滅してしまったという設定のSF小説(多和田葉子)も読んでいたし、カズオ・イシグロ、安部公房など、SFには少し興味はあった。

 

 この映画、冒頭部分に大半が説明されているので、瞬きもできない。地球が、異星人スカヴの侵略を受け、月を失い、地震と津波で破壊され、核兵器を使ったことで放射能汚染され、人類は地球に住めなくなったという設定だ。

 以下ネタバレ。

 人類は土星の月"タイタン"へ移住することとなり、仮住まいとして"テット "という宇宙センターをつくり、ジャック(J49: トム・クルーズ)は地球の海水を採水するプラントの警備をしつつ、監視機器のドローンのメンテナンスをする任務をおび、本部のボス(サリーという中年女)から指令を受けつつ、相棒の女性ヴィカと宇宙船のようなところで暮らしている。彼の記憶は五年前に消されていた。[映画のタイトルは、イタリア語のOBLIO(忘却)を語源とする造語なのだろう。]

 だがジャックは脳の一部に記憶のかけらを残していた。墜落した宇宙船を捜索していた彼はスカヴという敵が自分を殺さずに捕獲しようとしていたと感じる。彼は残骸の中から古代ローマの叙事詩の本と植物を持ち帰る。相棒とは異なる女性[後でそれが自分の妻のジュリアだとわかる]の夢も見る。

 ある日、地球の廃墟を調査中、エンパイア・ステート・ビルの残骸を認めたり、緑に囲まれた別天地[何だこりゃ?]で憩ったりする。その時、何か飛行物体が墜落し、それを確認しに行くと、そこに数人の人間が入った棺桶装置みたいなものを見出し、そのうちの一つを持ち帰る。蓋を開けると中の女が生き返り、ジュリアだと名乗る。彼女に、60年前に地球と月が破壊されたことを告げる[棺桶装置の中にいると歳をとらないようである: 鮮度維持装置なのね]。

 ジャックは好奇心を抑えきれず、ジュリアと件の墜落地点に戻る。だがそこで彼は襲撃され、捕獲される。目覚めたジャックは、自分を捕獲したのが宇宙人ではなく、同じ人間であると知らされる。彼らは宇宙センター"テット"を核で破壊しようと考えていた。そこのリーダー(モーガン・フリーマン)はジャックたちを逃す。二人は白いバイクのようなものに乗ってエンパイア・ステート・ビルの残骸に至り、ジュリアは自分はジャックの妻だと告げる。そこがプロポーズの場であったのだ。

 二人は宇宙船に戻り、ヴィカを連れ出そうとするが、彼女は抵抗し、ドローンに射殺される。二人は飛行体に乗って逃亡し、それをドローンが追撃し、二人はパラシュートで脱出し、砂漠のような所に降り立つ。ジャックはそこで、自分を狙う自分そっくりの男と対峙する[たぶん二人ともクローンね]。ジュリアが腹を撃たれ、救急道具を取りにジャックが宇宙船に戻ると、何とそこでは、死んだはずのヴィカがしらっとして彼を出迎える[これもクローンね]。

 ジャックは砂漠へ引き返してジュリアを手当てし、例の森の中のアオシス的山小屋に連れて行く。ジャックはリーダーのもとに戻り、テット攻撃に協力することにするが、それがテット側に知られ、複数のドローンから襲撃される。多くの人間が殺され、リーダーも瀕死の状態。ジャックはリーダーに、自分がテットに爆弾を運ぶと言い、ジュリアはその核爆弾といっしょに棺桶状ケースに入る[カミカゼだ!!]。

 宇宙のテットに向けてジャックは飛ぶ。飛びながら、オデッセイを運転している当初の任務に就いた時のこと、核爆弾を切り離した時のことを思い出す(服の色が黒っぽい方が昔)。テットに近づいたジャックは嘘発見器に怪しまれるもテットに入る。

 テットの司令者に、ジャックは古代ローマのホラティウスの話をする。棺桶から現われたのはジュリアではなく、リーダー(モーガン・フリーマン)で、テットは核爆弾でこっぱ微塵になる。

 一方、ジュリアの入った棺桶は緑のオアシスにあり、いつのまにか彼女は娘と庭いじりをしている。そこへジャック[またしてもクローンね: J52とあるから、52番目のクローンということ?]と、生き残った人間たちが戻る。

 

 [こんなふうにクローンで何度も人生のやり直しができるという考えは少しぞっとする。人類の少子化対策として、そのうちに、クローン人間生成が合法化される日もくるかもしれない。同じ顔の人間があちらこちらにいるというのはとても不気味だ。死んだはずの親が、実家にいて「おかえり」などと微笑んだら、どうしたらいい? 煉獄さんの言葉が思い出される。「老いることも、死ぬことも、人間と言う儚い生き物の美しさだ。老いるからこそ、死ぬからこそ、たまらなく愛おしく尊いのだ」。 ]

 

 ※劇中に出てくる「橋の上のホラティウス」の一節を銘記しておく: "Per un uomo quale fine migliore che affrontare rischi fatali, per le ceneri dei suoi padri e per i suoi dei immortali" (直訳: 人間にとって、先祖の遺灰のため、不死なる神々のために立ち向かうよりも良い最期があるだろうか) ※このホラティウスは、エトルリア王ポルセンナの攻撃を受けて戦った(前509年)古代共和国ローマの指揮官ホラティウス・コクルスのことであり、彼のことを詠んだ古代詩がある。

 

 ちなみに、映像を見ながら、あら、ヘッドアップディスプレイ(HUD)はもう一般車に普及しているわ、などと思った。アマゾンでも売っているし。