有名な作家であるが、きちんと読んだ記憶がない。安部公房の『内なる辺境/ 都市への回路』(中公文庫)の中に出てきたので、読んでみる気になった。ゴシック・ホラー編の短編集である。猛暑の夏につき涼をとることもできた。メモる。

 

 赤き死の仮面: 「赤き死」という恐ろしい致死の感染症[赤き死の感染症は、黒死病と呼ばれたペストと対比できる]が蔓延し、公爵プロスペロー[シェイクスピアの『テンペスト』の主人公]は城塞の中に閉じこもり、外界を遮断する。そして、七つの続き部屋で仮面舞踏会を催す。各部屋はそれぞれ色が異なり、内装と窓が同じ色をもっているが、西端の黒い部屋だけは血の色の窓から赤い光が射していた。中に、赤死病患者を装った闖入者が現れ、公爵が逮捕を命じたが、誰も追うことができずにいると、公爵がそれを追いかけ、自らの短剣の上に倒れて落命する。ほかの踊り手がその闖入者の仮面を引き剥がすと、その下には何もない。踊り手たちは次々に倒れていき、息絶えた。[コロナ感染症が起きた二年前だったらぞっとしたであろう。仮面というのが安部公房的である。]

 

 ウィリアム・ウィルソン: これって解離性同一性障害の話? 主人公は、ハリーポッターみたいな寄宿学校、ブランズビー学院で同姓同名の似通ったクラスメートをもつ。彼とは常に張り合い、憎しみあっていたが、寄宿舎でその寝顔を見てショックを受けてから学校を立ち去り、イートン校を経て、オックスフォードへ進み、ますます悪徳の限りを尽くす。だがまたそいつが出没する。いかさま賭博の場に現れたそいつは主人公の欺瞞を暴き、主人公はヨーロッパじゅうを旅してまわるも、そいつが時として現われ、主人公の耳元に囁く。ついにある日、そいつを殺したら、それは血まみれになった自分であった。巻末の解題には、自己像幻視(鏡像幻視,ドッペルゲンガー)とある。

 

 落とし穴と振り子: 異端審問によって囚われ、投獄され、牢獄の中で死の恐怖を味わった主人公の話。そこには落とし穴があり、板に戒められた主人公の上に半月刀の振り子が迫り、熱せられた壁が菱形に押しつぶされていく。結末は書かない。巻末の解題によると、フランス軍がトレドで見た異端審問の館にあった拷問道具の数々は軍人をも恐怖せしめたとのこと。

 

 大鴉(詩): 鴉の詩なんて禍々しいかんじである。ポー自身の朗読を貼る。

 

 黒猫: 主人公は動物が好きであった。結婚してからも様々な小動物を飼った。その中に黒猫がおり、プルートー、つまり冥界の神の名前、をつけた。よくなついたが、アル中になった主人公はある日その猫の片目をえぐり、それが癒えたら、今度は吊るして殺した。その夜、家に火災が起きて夫婦は焼け出され、燃え残った寝室の壁に、首にロープをかけられた猫の浮き彫りが現われた。ある晩、飲み屋で、やはり黒い猫を見出し、家に連れ帰る。胸の部分だけは白かった。猫はなついたが、主人公の心に重くのしかかった。貧して住むようになった地下室へ降りた時、追ってきた猫に斧を振り上げたところ、それは妻の頭に振り下ろされた。主人公は遺体の始末を考え、壁に塗り込めることにした。警察がやってきたが、何も見つからず、帰りかけたところで、壁の中から奇怪な声がした。警察官が壁を穿つと、その中から妻の死体とともにその頭に乗っている生きたままの猫が現われた。巻末の解題によると、本作の核心はカリギュラ効果だという。[貧困を味わったポー自身を連想してしまう。]

 

 メエルシュトレエムに呑まれて: ノルウェーのロフォーテン諸島の高山ヘルゼッケンの頂にて、荒涼たる景色を見下ろしている。眼下にうねる海水の大渦巻きはメエルシュトレエム(malstrøm)、あるいはモスケーのシュトレエム(渦)と呼ばれていた。その山に案内してくれたもと漁師は、ハリケーンの中、その深淵に呑まれた時の様子を語る。そのもと漁師は、円筒形のものが渦の吸引力に最も大きな抵抗を示すことを思い出し、ロープで樽にからだを縛り付け、渦に飛び込み、助かることができたが、この災難により髪はたちまちすべて白くなってしまったという。

 

 ユーラリー(詩): 不可解。巻末の解題によると、孤独な青年が女性に救われるという弱い男の歓喜の歌、とのこと。

 

 モレラ: 主人公はモレラという女性と結婚した。彼女は博学多識で神秘文学を研究し、主人公を感化した。彼女は次第に窶れ、深紅の死斑が現われ、今際の際に、死ぬけれど、愛の結晶が生まれると言い遺して逝った。彼女が死ぬと同時に生まれた娘は亡き母と瓜二つになり、その知能と知識を受け継いでいた。十年が過ぎたとき、主人公は娘を洗礼させる。やがて娘は死に、納骨堂へ亡骸を運ぶと、娘の母モレラの亡骸は跡形もなく消えていた。巻末の解題によると、モレラという名前は、某天才尼僧に由来し、ヘンリー・グラスフォード・ベルの短編に着想を得たとのこと。

 

 アモンティリャードの酒樽: 主人公はフォルトゥナートという男に一千回もひどい目に遭わされ、復讐を心に誓う。カーニバルで彼に再会した時、アモンティリャードの大樽を買ったと告げる。その真否を確かめようと、彼は主人公の酒蔵にやってくる。二人は松明を持ち、地下墓地へと入る。延々と進み、一番奥の狭い部屋があり、そこへ彼を誘い、壁に打たれた鎹から垂れた鎖で彼を縛り付け、その部屋の入口に主人公は石材とモルタルで壁をつくって閉じ込め、その手前に人骨を積み上げた。半世紀経った今でもその人骨は動かされていない。

 

 アッシャー家の崩壊: 主人公は、少年時代の友人アッシャーから手紙をもらい、会いにきてくれというので屋敷を訪れる。アッシャー家は名家だが、分家は続かず、直系のみが生き残っていた。友人は心気症を患い、その妹も不可解な病に冒されていた。友人はギターを爪弾き、「幽霊宮殿」という狂詩曲を聴かせてくれた。ある夜、彼は妹が亡くなり、遺体を地下室に二週間安置すると言うので、棺に入った亡骸を地下牢のような地下へ運ぶのを手伝った。主人公は兄妹が瓜二つの双子であることに気づく。それから一週間ほど経った時、嵐のような突風が吹き荒ぶ夜、彼が主人公の部屋を訪ねてきたので読書する。そして、異様な絶叫が聞こえてきたと思ったら、友人は妹を生きたまま埋葬したと話し出す。古風な扉がゆっくりと開くと、そこには死装束をまとった友人の妹が立っており、兄にしがみついた。兄は事切れて床に横たわり、主人公は屋敷を逃げ出した。振り返ると、真っ赤な満月から激しい閃光が放たれ、館は崩れ、湖はその瓦礫によって埋もれた。

 

 早すぎた埋葬: おぞましい事実の歴史を読むのは刺激的である: ナポレオンがロシアで敗れ、厳寒のペレジーナ川で大軍を壊滅させた屈辱、リスボン大地震ロンドンの疫病聖バーソロミューの大虐殺カルカッタの「黒い穴」事件、など。そして一個人の味わう苦悶として、生きながら埋葬されてしまった事例をいくつか挙げている。それに続き、強硬症(カタレプシー)を患った主人公自身の経験を語る。眠りにおちると生き埋めの概念によって恐怖に苛まれるのだ。そこで、自分の家の納骨堂を、内側から脱出できるように改造したり、水や食料も用意した。だが、ある時、真っ暗な土の中に埋葬されて目覚め、喚き声を上げた時、それは狩猟の旅に出て、帆船の寝棚で眠ったことを思い出し、それ以来、強硬症が治ったという。恐怖を起こすな、眠らせておかなければこちらが食い殺される、と結ぶ。

 

 ヘレンへ(詩): パリスによってトロイに誘拐されたヘレネのことかしら?

 

 リジーア: ポーの初期傑作の一つとされている。先ずは、一人目の女性、リジーアの美しさと博識と知性をうたいあげる。彼女は僕の妻となり、その死に際して、彼女の愛情の強さを思い知る。彼女の死後、僕はイングランドのさびれた場所にある僧院を買い、そこに後妻を誘う。ぼくはその二人目の妻を悪魔のごとき憎悪をもって嫌うようになり、リジーアのことを思い出す。結婚して二ヶ月後、妻が倒れ、部屋の中やまわりで音がすると言い出す。彼女の飲むワインのグラスにルビー色の雫が落ち、その四日後、僕は死装束の彼女の遺体とともに部屋にいた。阿片のせいか、その遺体にしばしば生気が甦り、僕は遺体を蘇生させようと努力する。それが繰り返され、最後は遺体が立ち上がる。妻の金髪はリジーアの髪のように黒くなり、瞳も黒くなり、リジーアのように背が高くなっていた。

 

 跳び蛙: 王様と七人の大臣は皆太っていて冗談好きであった。王には低身長症の道化師が仕えており、彼は「跳び蛙」と呼ばれていた。道化師はやはり低身長症の少女トリペッタと親友となる。王は仮面舞踏会を催すことにし、道化師とトリペッタに案を出させる。道化師は飲めない酒を無理やり飲まさせられ、王にお許しくださいと跪いた少女に王は酒杯をぶちまけた。道化師の歯噛みするギシギシという音が響く。道化師は、王と大臣たちをオランウータンに扮装させるというアイデアを出し、メリヤスのシャツとズボンにタールをたっぷり塗り、麻糸を貼り付け、鎖で繋いだ。扮装した王たちは真夜中の宴のクライマックスを待った。広間のシャンデリアは取り外してあったが、それを吊るす鎖を下ろし、道化師はそれに王たちを縛った鎖を引っかけて吊り上げ、松明で火を点けた。王たちは燃え上がったが、救う手立てはない。その時から道化師と少女トリペッタは姿を消した。[これもやはり、虐待され、屈辱を受けた者が復讐するという主題である。]

 

 この文庫本の巻末には、「数奇なるポーの生涯」が付いている。とても頭がよかったが、両親を早く失い、養父に引き取られ、多感な少年期にイギリスの寄宿学校に入れられた。愛情不足とお金不足。愛する美人が次々に病死していき、賭博で借金をつくり、大酒を飲んだポーの人生は、まるで小説そのものである。それにしても1800年代のアメリカの大学生が奴隷を雇っていたとは。

 

 ポーもさることながら、翻訳者の河合祥一郎の力量がすごいと思った。この人の訳した洋書をまたいつか読んでみたいと思った。とりあえず、アリスかな。