安部公房ファンのオットが、これも読むべきだと言った。安部公房的な一連の作品とは異なる初期作だ、と。メモる。

 

 最初の土地は、主人公の少年久木久三が育った巴哈林(パハリン)という町である。満州の北にある小さな入植地である。もしかしたら架空の地名かもしれない。既にソ連軍に占領されている。そこで久三はソ連の兵士らといるが、翌日出るという南行きの列車に乗ることを考え、密かに荷造りしている。それは鉄嶺[奉天の近く]まで直行、とある。久三は兵士たちの持ち物から役立ちそうなものを失敬し、未明に脱出する。町は八路軍に占領されており、9時まで戒厳令がしかれている。駅に列車がないので探すと引き込み線の奥にあった。貨車に乗り込む。

 久三の素性について: 父は二十年ほど前、北九州からこの地に渡ってきたが、久三が生まれてまもなく死に、母は工場の寮母として働き、彼を育てたが、1945年8月にソ連が参戦し、母が流れ弾に当たり負傷し、やがて他界する。翌年三月末、八路軍が進駐してきたが、久三は通信技術者として残留した数人のロシア兵に匿われていたのであった。

 貨車に隠れていた久三はロシア兵たちに見つかるが、彼らは久三に特別旅行者証明証を渡し、見逃してくれた。列車が出る。その車内で、得体の知れない義眼の男、汪と知り合う。大興安嶺が間近に見えるというから、満州の北部である。不慮の出来事が起こり、列車は引き返すことになる。大半の乗客は四時間歩いて長春を目指すことになったが、久三は汪に言われて列車に残る。列車は後退したが、また猛スピードで戻り、線路に乗り上げていたトラックに激突した。久三と汪はそこから逃げる。

 二人は、零下45度の中を逃げる。暦の上では春でも満州北部は寒いのだ。その逃避行の寒さと厳しさの描写が壮絶である。ウォトカをすすりながら、眠らないように殴り合って極寒の荒野を徒歩で進む。狼も出る。二週間ほど歩いて瀋陽(シンヤン)を目指すという。飯盒で雪や氷を溶かして水にして飲む。汪は改めて、高石塔だと名乗る。負傷して壊疽をおこした高の小指を切り落とす!! しらみがわく。飢えで気が狂う。高は、手の痛みをヘロインでしのぐ。飢えて狼か山犬を食べようと睨み、狼も彼らを狙う。

 高は、自分のチョッキを久三に着せる。中にはどうやら阿片が詰まっているようでずっしりと重い。

 馬車が通りかかり、交渉して乗せてもらい、中旗に向かう。一晩あけて、二人は廃屋の中で目覚める。国府軍に拾われ、瀋陽(シンヤン: 今は奉天)まで送ってもらうことになる。

 二人はある町の壊れた噴水の所にいる。近くには犬の屠殺場があった。久三は一人になり、ヘロインをなめたりしていた所を殴られる。目を覚ました時には、例のチョッキが盗まれていた。犬殺しの浮浪児と口をきく。その浮浪児に食べ物などをもらい、日本人がいるという場所に連れて行ってもらう。瀋陽の街であるようだ。日本人のいる留用者住宅にはしかし、入れてもらえず、乞食扱いされる。市場で、日本人とおぼしき男を見かけて声を掛ける。その人のアパートのような所に連れていってもらい、眠る。日暮れにそこから沙城(シャチョン)という海岸の町へ移動し、その男と仲間の船に乗せられる。船の中で久三は高と再会する。彼は久三の名を名乗り、なりすましていたのだが、嘘がばれて袋叩きにされたようで、船の機関室に近い物置に監禁されて虫の息であった。久三もそこにいっしょに監禁され、けもののように鉄の壁を叩きはじめる。

 小説はここで終わっており、久三が日本に上陸できたかどうかはわからない。安部公房自身、生後間も無く満州に渡り、そこで成長し、戦争末期の1943年に東大の医学部に入るが、家族が心配で満州奉天で開業医をしていた実家に戻る。敗戦で家を逐われ、翌年、引き揚げ船で帰国したのだ。

 ところで、ヘロインについて高が、「薬をやるから人間が駄目になるんじゃない、人間が駄目だから中毒になるんだ」と言っていた。宜なるかなと思う。

 読んでいてひじょうに恐ろしかった。極限状態の描写が凄まじい。こんなふうになって人間生き続けられるものだろうか?  安部公房のリアルな筆致に参った。