今年の一月に多和田葉子の『溶ける街 透ける街』を読んだ。今度は、この作家が第108回芥川賞を受けた『犬婿入り』を読んでみた。文庫には『ペルソナ』と『犬婿入り』が収められている。溶ける街透ける街には、この人の本質が現われていなかったのだなと改めて思った。二つとも、文体といい、主人公の怪しさといい、悪い夢を見させられたような気分になった。しかし、なぜか両方の小説の主人公は自分に似た部分があるような気もしてくる。不気味だ。もうこの人の小説を読むのはやめよう。

 

 ペルソナ: 会話部分に「 」を用いない。まるで樋口一葉の文のようである。ドイツに留学している女性、道子の話。やはり留学している弟と同居している。冒頭にセオンリョン・キムという韓国人の看護夫が性犯罪を犯したと考えられ、院内で問題になり、東アジア人の顔と表情の乏しさについていろいろ取り沙汰される。道子はアジア顔コンプレックスがあるのかもしれない。彼女は、ドイツに赴任している日本人の子女の家庭教師をしており、その家である日リキュールを飲んで酩酊し、掛かっている深井の能面(偽物)を外し、それを顔につけて表を歩く。もはや彼女を東アジア人として見る人はいない。[私はなぜか 007 No Time to Die を思い出した。]

 

 犬婿入り: こちらには「 」が使われている。主人公は農家を借りて私塾を営む三十九歳の女性、北村みつこである。生き様は自然児であり、塾の生徒である団地の子供たちに、姫のお尻を舐めてその婿となった犬の話をしたりして、親たちにへんな人だと思われている。そんな彼女の家にある日、へんな男が同居しにくる。その男は料理や掃除も完璧にこなすが、かなり変態である。やがて子供たちの親から、その男が最近行方不明になったある若い会社員であると言われ、その妻であった女性が確認しにくる。確かに男はその女性の夫であったが、人格も何もかも変わっており、今は、彼女の教え子のひとりの父親と同性愛関係にある。そのうちに彼らは二人で旅に出ることになり、北村みつこは、塾を閉じて、父親の消えた教え子と姿を消す。