第6巻はローマの政体について、である。

 

 1. 訳文が欠けている。おそらく原文が欠けているのであろう。

 2. イタリア語訳では、2が欠けており、2の訳文は1となっている。この段階でローマの政体について述べる理由: ほとんど全世界がわずか53年ほどでローマの単一支配下に入ることになったが、それがどのような政体で成し遂げられたかを知ることは最重要である。あらゆる事柄の成功あるいは失敗の主たる原因は政体にある。

 3. ギリシア人の政体については過去も未来も記述は容易であるが、ローマ人の政体については容易ではなく、入念な注意と研究を要する。政体については一般的に3種類あるとされている。王政、貴族政治、民主政治、である。だが、これは間違いで、その全ての特性をひとつにしたものが最良である。このほかに、王政と類似する独裁政治、僭主政治、貴族政体と似た寡頭政体があり、民主政体も同様である。

 4. 王政は、恐怖と力によってではなく、理性によって統治されるものである。貴族政治は、最も思慮ある人々による統治である。民主政治は、神々、両親、長老を敬い、法に従うことを父祖伝来の慣習とし、多数の者にとって正しいと思われるものが勝つ政体である。よって政体は、3種に加えて、専制、寡頭、暴徒支配の6種類がある。政体の成長について: 独裁制が矯正されて王政となり、それが悪へと変化して僭主となると貴族制が生じ、それが退化して寡頭制となり、それに民衆が激昂すると民主制が生じ、それが無法化して暴徒支配となるのが自然の流れである。

 5. これを要約すると、人類が滅亡したあと、生き残った人間の群れの中では肉体的および精神的に傑出した者が指導者となり権力をもつのは自然のなりゆきである。社会関係という理念が起こると独裁、善、正義、およびその反対の概念が生まれる。

 6. 人々の間に善や正義といった概念が生じ、高貴な振る舞いによって賞賛される人に支配されている人々はその力を恐れず、その決定に満足して従う。こうなった時、その指導者は独裁者から王となる。

 7. ひとたび絶対的権力を得た者が、過剰のために欲望に屈するようになると、妬みと憤激を呼び起こし、謀反が形成される。

 8. 人々は独裁者を転覆させた人たちを指導者とするが、それが世襲されると、貪欲へと堕落し、寡頭制へと変容し、やがては転覆させられる。

 9. 民衆を支持者として、悪しき指導者を追い払った人は、政体を民主制へと変える。だが世代を経ると、特に裕福な人たちが権力を渇望するようになり、野獣化された大衆が再び独裁者を見い出す。これが政体の循環である。

 10. リュクルゴスの立法について: リュクルゴスは、このような政体の変化が起きるのは必然であるから、単純な一原理に基づく政体は不安定だとし、各政体の長所を統合した。それらが牽制しあい、最も長期間にわたり、スパルタでは自由が守られたのである。ローマは経験と失敗により教えを引き出し、リュクルゴスと同じ目標に達し、今日最良の政体を所有することとなった。

 11. ローマの政体は、ハンニバル戦争の時には最良で完全な形態に達していた。ローマにおいては3つの政体が国の統治に関わっている。すなわち、執政官の絶対権力は独裁制的で王政のように見え、元老院は貴族制のように見え、民衆の権限を見ると民主制のように思われる。これら三要素が決定に影響する領域は次の通りである。

 12. 執政官はローマに滞在しているときは国家のすべての問題の決定を行なう。護民官以外の全ての行政長官はその下に置かれる。すべての国家事業の責任を負い、民会を招集して法案を提出し、決定事項を統括する。戦争についてはほとんど絶対的な権限をもつ。戦費を国庫から出費する権限をもつ。

 13. 元老院はまず財産権をもつ。すなわし歳入と歳出を意のままにする。監察官(ケンソル)が5年毎に行なう公共建築物の修理と建設の許可を与え、その支出決定も元老院が行なう。国家調査を要する犯罪の司法権は元老院にある。国内において、個人および都市が和解、非難、援助、保護を要するとき、元老院がこれに配慮する。和平交渉、戦争の降伏、布告をするのは元老院である。ローマに来た使節の扱いは元老院による。

 14. 名誉を授与し、刑罰を課す権利は民衆のみがもつ。特に最高位の官職にあるものについて、である。民衆のみが死刑の宣告をする。慣例として、死刑宣告を受けた人は、自由意志で自らに追放を課すこと[つまり亡命]が許されている。官職を授けるのも民衆である。民衆は法律の承認あるいは否決を行なう。戦争と講和について審議し、同盟条約、講和条約などすべてを批准するのもしないのも民衆である。このように民衆の役割は最大であり、政体は民主制であるといえる。

 15. 政治的力の分配について述べたので、各部分が反対あるいは協力する権限について説明する。執政官が出征するには、民衆と元老院の支持を要する。元老院の決定なしには軍隊に糧食も衣服も給料も供給できない。一年の任期経過後、その司令官を召喚するか留任させるかの決定権は元老院がもつ。司令官の成功を祝うか否か、つまり凱旋式の決定権は元老院がもつ。よって、執政官は元老院も民衆も軽視できないのである。

 16. 元老院は民衆の声を尊重せねばならない。国政に対する犯罪への調査について、元老院の決定は民衆によって批准されねばならない。ある法案を提出する場合、その承認あるいは拒否の権限をもつのは民衆である。つまり、護民官が拒否権を行使すると、元老院は何も決定することができない。ゆえに元老院は民衆に心を向けざるを得ない。

 17. 民衆は公的、私的の両面で元老院議員を尊重せねばならない。全イタリアの公共建築物に関する契約が監察官によって与えられ、民衆によって取り扱われる。その請負契約とその支払いの決定権は元老院にある。つまり公共財産について、すべての決定権は元老院にあり、それに関わる訴訟の裁判官は元老院から選ばれる。

 18. 3つの部分は、危機的状況にあっては団結して働く。それゆえにこの国家はその政体の独自性のために無敵である。危機から再び解放されると、[三権分立が]うまり牽制しあう。独裁官と執政官の違いは、リクトルの数が前者には24人、後者にはそれぞれ12人ずつつく。執政官は計画実行に元老院の協力を要するが、独裁官は、護民官を例外として、専制的な絶対権をもつ。

 19. ローマ軍団について: 執政官が選ばれると軍団司令官(4都市の24人)が任命される。うち14人は5年間軍隊経験のある者の中から、10人は10年間の軍隊経験者より選ばれる。他の兵士について: 騎兵は46歳までに10年間、歩兵は16年間、軍務に就く義務がある。所得が400ドラクマ以下(最低所得)の人は例外とし、海軍の役務に回される。緊急の場合、歩兵の兵役は20年間とする。官職に就くには10年の兵役経験を要する。

 執政官が軍隊を招集するには、民会で日にちを公言し、すべてのローマ市民はそれに出頭せねばならない。それは毎年行われ、カピトリウムの丘で、4つの軍団のために軍団司令官が4つのグループに分けられる。

 20. 軍団の分割と割り当てが行われた後、各軍団に均等に兵士が割り当てられる。それは軍団ごとに歩兵4.200、大きい戦争に際しては5.000、騎兵は財産額に応じて監察官により各軍団に300ずつ選ばれる。

 21. 登録が終わると、軍団司令官が新兵を集め、上官への服従の宣誓を行わせる。同時に執政官は、同盟都市に同盟軍を組織するよう命じ、諸都市は応じる。

 軍団司令官は宣誓後に軍団を解散し、日を改めて、最も貧しい兵士を軽装兵 veliti、若者を第一戦列兵 astati、壮年期の者を第二戦列兵 principi、最高齢者を第三戦列 triariの4グループに分ける[軽装兵が騎兵とともに戦闘を開始する]。triariは600人、astatiおよびprincipiは各1.200人、残りがvelitiとなる。

 22. 最若年兵は剣、槍、小円盾 parma(直径約90cm)で武装する。投げ槍の枝は約90cm、穂先は約20cmで、最初の突きで曲がるので敵は再利用できない。

 23. 第一戦列兵は完全武装が要求される。長盾 scutum、剣 spada iberica、2本の投げ槍 pila、青銅の兜、脛当てをつける。兜には約45cmの深紅あるいは黒の羽飾りをつける。普通の兵士は青銅の胸当て pectorale をつける。10.000ドラクマ以上の所得がある者は鎖状の鎧 lorica をつける。triariは投げ槍の代わりに長槍をもつ。

 24. 百人隊長 centurio について: 功績に応じて選ばれた10人の百人隊長が、それぞれさらに10人を選び、すべてが百人隊長と呼ばれ、筆頭者は作戦会議に加わる。彼らは同数の副官 optio を選び、各階層は10の中隊に分けられ、各中隊から最も勇敢な者が軍旗手に選ばれる。また各中隊には2人の指揮官が置かれ、それぞれ右翼と左翼を指揮する。百人隊長には無謀と果敢さよりも、沈着冷静な判断力と決死の覚悟が期待される。

 25. 騎兵も10の騎兵中隊に分けられ、各中隊には3人の曹長 decurioと副官が選ばれ、筆頭曹長が中隊全体を指揮する。騎兵の武装について。

 26. 軍団はいったん解散されて決められた日に、原則として2人の執政官はそれぞれ違う場所への集合を指定する。同盟軍も同様に集まり、12人の指揮官 praefcti が同盟軍の組織と司令を行なう。まず精鋭部隊 extraordinarii を選ぶ。同盟軍の歩兵数はローマ軍と同じで、騎兵は3倍であり、騎兵の1/3、歩兵の1/5が精鋭部隊となる。

 これらが準備されると軍団司令官は陣を張る。次にその配置の概念を述べる。

 27. 陣営全体を見渡す場所に本営 Praetorium (執政官のテント)が選ばれ、白い軍旗が立てられる。そこから約30mを側面とし、約3.480㎡の四角い広場をつくる。各執政官は6人ずつの軍団司令官をもつ。その陣から約15m離れた外部に馬、ラバ、荷物のための空間を設ける。

 28. 軍団の野営地の設営について: 騎兵と歩兵のテントの設営。

 29. 各テントの配置について。

 30. 同盟軍のテントの配置について。

 31. 本営の左右には軍団司令官のテントがあり、その後ろ側には財務官 quaestor の幕舎と軍需品のためのテントがあり、両脇には精鋭部隊が配される。こうして、野営地全体は都市のような外観をもつ。柵はすべての側面で36m離れており、ゆったりとしている。その広い空間は有用で、敵の火や槍の襲撃を防ぎ、戦利品など、いろいろなものの保管にも使える。

 △下のサイトより図

 

 32. 2人の執政官が1つの野営地に統合されているときは、その形態は長方形となり、面積は2倍に、外周は1倍半となる。

 33. 野営地の設営後、軍団司令官たちは、いかなるものをも盗まない、拾得物はすべて軍団司令官に届ける、という誓いをすべての居住者立てさせる。軍団司令官に仕えるのは交代。各軍団司令官は歩兵部隊3部隊を自由に使用できる。歩哨は4人で構成される。歩兵中隊は交代で執政官のテントの歩哨を務める。

 34. 塹壕と柵の建設は、ローマ軍と同盟軍が2つずつ受け持つ。合言葉について。

 35. 夜間の歩哨は、歩兵中隊が行なう。騎兵隊は巡察する。

 36. 巡察は、歩哨に非がないかどうかを確認するのが義務である。

 37. 歩哨が義務を怠ると、軍法会議が催され、有罪となれば、棍棒と石で殴り殺される。殺されなかった場合でも故郷には戻れない。よって夜警の違反はほとんど起こらない。窃盗、虚偽の報告などの場合も同様である。

 38. そのようなことが多数の者にかかわる場合、過失者の中からある人数の代表を籤で選ばせで棒で撃ち殺す。残りの者は大麦を食べさせられ、柵外に陣をしく。

 39. 手柄をたてた兵士に対する褒賞について。日給と穀物支給について。

 40. 陣営を引き払う場合について: まず執政官と軍団司令官のテントを片づけ、すべてのテントを解体する。行軍組織について: 移動のしんがりは騎兵が行なう。2つの軍団は1日毎に先頭としんがりを交代する。

 41. 行軍して野営地に近づくと、軍団司令官と決められた中隊長が場所を調査し、執政官のテントの位置を決めると短時間で測定が行われ、設営が開始される。道路の地取りがなされ、目標の槍が打ち込まれる。

 42. 野営に関して、ギリシア人は場所そのものの堅固さを重視したので、自然の地形に合わせていろいろな形を採用した。一方、ローマ人は画一的で誰にとっても馴染みのある陣営をもつことの便利さを優先した。

 43. ほとんどの歴史家が、良い政体の模範としてスパルタ、クレタ、マンティネイア、カルタゴのそれを挙げている。アテナイのそれは一時的なものであり、テバイのそれは、エパミノンダスとペロピダスという個人の気質と能力によるものにすぎない。

 44. アテナイの政体については、テミストクレスの優れた政治の後、運命の逆転を体験する。アテナイの民衆は船長のいない船に似ている。嵐の中、大海を渡りきって港に入ってからしばしば難破する。民衆がすべての意向を処理しているからである。

 45. 学識ある古代の著作家、エフォロス、クセノフォン、カリステネス、プラトンがクレタの政体とスパルタのそれは同一であり、称賛に値すると主張しているが、ポリュビオスの意見は異なる。まず両者は似ていない。スパルタには土地所有の規定があり、公共の土地を均等に所有する。金銭の所有は認められていないので、その多寡に関する野心は政体と無関係である。スパルタの王権は終身であり、終身の長老たちにより、政治行政が行われる。

 46. クレタの場合は逆である。土地は力に応じて取得することができる。金銭の所有は必要なもので、利欲は公認されている。支配者は一年交代し、民主的である。よって、この2つの政体は区別されるべきである。次にクレタの政体は称賛に値しないと考える理由を述べる。

 47. 各国家は習慣と法を基礎としている。それらが優れている時、個人の生活は敬虔で思慮深いものとなり、都市の公的な性格は民度の高い正義に適ったものとなる。逆もまた然り[ぜんぜん関係ないが、ふと韓国のことを思い浮かべてしまった]。クレタ人よりもずるい人を見つけることはできないし、彼らのものほど不正に満ちた政治的行動は見つけられない。

 48. スパルタの場合、リュクルゴスは民心の一致をはかり、国土の安全と自由を守るべく、神のものとも言えるほど立派な法を制定した。だが、隣国の征服、ギリシアにおける覇権などについてはまったく配慮していなかった。つまり、外交政治においても配慮があってしかるべきであった。個人に簡素を旨としたのとは逆に、対外的には最も強欲であったのである。

 49. こうしてスパルタはメッセニア人を奴隷とするべく戦争を始めた。スパルタはペルシアの侵入に対してギリシアの自由のために戦って勝利したが、ギリシア支配のための資金を得るために、アンタルギダスの条約を結んだ。ここでスパルタの法では、ペロポンネソスの外への遠征のための軍需が賄えないという欠点を露呈させた。

 50. より大きなことを目指し、より多くを征圧支配するには、スパルタの政体には欠点があるが、ローマの組織はより優れていることを容認せざるを得ない。ローマが短期間のうちに全世界を征圧することに寄与したのは豊富な資金であった。

 51. カルタゴの政体はよく工夫されていた。王、貴族的な元老院、主権を有する民衆がおり、全体的にはローマやスパルタの政体に似ていた。ハンニバル戦争当時、カルタゴの政体は堕落しており、既に民衆が最大の決定力を持っていた。一方、ローマは壊滅的な敗北にもかかわらず、最大の決定権を持っていたのは元老院だったので、最終的には勝利を収めることができたのである。

 52. カルタゴの海軍は優れていたが、陸軍には騎兵に多少配慮したのみであり、陸軍はローマの方が優れていた。カルタゴは外国人傭兵を使ったが、ローマ軍は市民で成り立っていた。全てのイタリア人は、体力と精神力でカルタゴ人やアフリカ人よりも優っているが、それは若者の育成という国家努力によるものである。

 53. ローマ人の葬儀、葬送演説、故人の肖像について: 功名のあった故人の葬儀を見ることは若者にとってどんなにすばらしい光景であることか。

 54. 葬送演説により、故人の名声は不滅となり、若者の功名心に拍車をかける。

 55. ホラティウス・コクレスが捨て身で祖国のために戦った例え話。

 56. 金儲けに関する習慣・慣習制度もローマの場合がカルタゴよりも優っている。ローマの場合、賄賂や不正は恥ずべきものとされているからである。公職に関わる贈収賄はローマでは死罪に値する。また、ローマ人には神々への畏怖があるので、多額の金を扱う人々は正しい行動を維持し、横領する罪人は滅多にいない。

 57. 存在しているものはすべて消滅と変容に向かう。政体も然り。その堕落には、外からによるものと内からによるものがある。自由と民主主義、実際は最悪の暴徒支配[衆愚政治だと私は思う]である。

 58. ハンニバルはカンナエの戦いに勝った後、8.000人のローマ人を捕虜とし、身代金を受け取るためにローマに使者を送った。1人につき3ムナによって釈放されるというのがカルタゴ側の提案である。ところが、ローマの元老院は、この身代金の支払いを拒否し、軍隊に対して、敗れたら救いへの希望はない、勝利か死かだ、という掟を打ち立てた。ハンニバルにとって、勝利の喜びは、ローマ側には断固とした気概があることを知った驚きと落胆ほど大きくはなかった。

 

ローマ軍とその陣営についてとてもわかりやすい動画 

 

 

 

 

▽2004年にポリュビオスの「歴史」の訳本が2種類出版された。その一方。

 

▽私が所有し、参考資料にしてきたのはこれではなく、Oscar Mondadori の Polibio "Storie" (分かり易いイタリア語訳)ですが、いちおう念のために貼ります。