イタリア三大文学のひとつ、ボッカッチョ(1313〜1375年)の『デカメロン』は Luigi Polese Remaggi 先生の授業で、ダンテの『神曲』ともども、原文を抜粋して読んだし、柏熊達生訳のちくま文庫も持っている。だがまだ100話ぜんぶ通読していない。平川祐弘先生の訳もでたことだし、この際、通読してみることにした。

 巻末に、イタリア文学の碩学、平川先生の解説がある。まるで東大で講義を受けているようだ。メモる。

 - 日本の12世紀の『今昔物語』に似ているところがあるそうだ。読まねば。

 - 田辺聖子は『ときがたりデカメロン』 (講談社文庫)というのを書いているそうだ。

 - ボッカッチョの時代は、足利尊氏の時代に相当するが、本質的にモダンである。

 - フィレンツェの人口の2/3が死亡した大災厄を目の当たりにすれば逆に生の歓喜をうたわずにはいられないのは人間の本能的な衝動である、と設定した。

 - エーリッヒ・アウエルバッハの『ミメーシス』の中で、ダンテとボッカッチョについて述べられている。『神曲』が存在しなければ『デカメロン』は書かれなかったであろう、と。そもそも、フィレンツェ市議会の投票で選ばれて、最初に『神曲』の講義を行なったのがボッカッチョであった。ダンテの Divina commedia に対するボッカッチョの commedia umana (人曲)だとは言い得て妙!!

 - 『神曲』や『デカメロン』の文学世界の言論の自由の幅の広さに感心せずにはいられない。焚書の憂き目にあわなかったことを寿ぐ、と先生。

 - ボッカッチョは、宗教者の堕落頽廃よりも原理主義的徹底性が危険であると自覚していた、この点が貴重である、と先生。

 - premiere という動詞について述べているが、premiareではないのかしら?

 - デカメロンは百話それぞれが、Aまとめ部分、B語り手紹介部分、C語り手導入部、D物語部分、Eその日の結び描写、よりなっており、平川先生は、D以外をですます調とし、1行アキをつくった。先生の読者思いの生真面目なサービス精神である[私としては、D部分もですます調でもよかったのではないかと思う]。

 翻訳底本 Giovanni Boccaccio: Decameron, Nuova Edizione, A cura di Vittore Bianca, Einaudi, Torino, 1992 (初版1980年)

 - 本書は『デカメロン』別名を『ガレオット公』という→ランスロットとグィニヴィアの仲をとりもったのがガレオットなので、恋の仲立ちを意味する。

 

 序: 著者が身分違いの恋[フィアンメッタ、つまりナポリのロベルト王の初出の王女マリアか?]に身を焼いて苦しんだ時、物語によって慰められたとある。なので、恋に身を焼く女性たちのために、[14世紀に蔓延した]あのペスト禍の時代に寄り集まった7人の淑女と3人の青年紳士によって、10日間[δέκα ἡμερῶν]に語られた百の話を披露するとしている。

 

 第一日まえがき: 著者による。1348年にフィレンツェは致死の疫病に見舞われた。ペストという黒死病の症状と蔓延状況、感染者の死亡状況、becchino という死体運搬埋葬人についてなどの説明。死者10万人といったら、とんでもない数である[統計では9万の人口が3万となった。なお、今のフィレンツェの人口は40万人である]。聖マリア・ノヴェッラ[平川先生が撥音表記にルを使うのにはなじめない]の教会のミサの後、7人の若い未婚の淑女が集まる。呼び名はパンピーネア、フィアンメッタ、フィロメーナ、エミーリア、ラウレッタ、ネイーフィレ、エリッサとする。パンピーネアがこのような状況なので町を出て田舎に行って陽気に暮らそうと提案する。そこに知り合いの若者3人がやって来る。パンフィロ、フィローストラト、ディオネーオである。女性たちは彼らを誘う。この10人にそれぞれの小間使いを加えた一行は翌朝の明け方にフィレンツェを発ち、2マイル(フィレンツェmigliaでは約5km)ほど離れた予定地に到着する。

 快活で機知に富んだディオネーオが愉快に過ごしたいと言うと、パンピーネアもそれに同意し、一日毎に主宰権をもつ人を定めようと提案する。フィロメーナはその主宰者のために月桂樹の枝葉で冠をつくる。その日は朝食の前後を自由に楽しんだり、昼寝したりして過ごしてから、涼しい芝生の上に円陣をつくって座り、銘々お話をすることとなる。第一日目の話題は自由となり、先ずパンフィロが指名される。

 

 第一話: チェッパレッロ Cepparello[撥音表記のルはなじめない]という悪徳と欺瞞に満ちた代書人は小柄なためにチャッペレット Ciappelletto と呼ばれていたが、仕事先のブルゴーニュで病臥する。彼を泊めていた兄弟は懺悔のために立派な老修道士を連れてくる。次から次へととんでもない偽りの懺悔をしたチャッペレット氏は清らかな聖人とみなされ、盛大な葬儀をあげてもらい、立派に埋葬され、人々に崇められ、奇跡をおこしたという。

 

 第二話: ネイーフィレが語る。パリに住むユダヤ人のアブラハムは、友人である大聖人からキリスト教に改宗するようしつこく勧められる。アブラハムは、ならばローマへ行ってからだと、ローマ入りし、堕落した聖職者たちをつぶさに観察する。パリに戻ると、悪魔の巣窟のようなローマで法王以下の聖職者たちは皆キリスト教を潰そうと励んでいるにもかかわらず、キリスト教はますます栄えているので、断然改宗の決意を固めたとアブラハムは話し、ノートルダム聖堂で洗礼を受けたという。

 

 第三話: フィロメーナが語る。バビロニアの君主サラディンは財政難に陥り、ユダヤ人の大商人メルキゼテックからうまく取り立てようと考え、この商人にユダヤ教、イスラム教、キリスト教のうちどれが一番真実の法かと尋ねた。商人は、三人息子それぞれに似通った指輪を遺贈した大金持ちを例にあげ、その遺産相続の訴訟がなおも続いているのと同様、三つの宗教の法についても未解決なのだと切り抜けた。商人はサラディンに融資し、サラディンは後にそれを返済し、その商人を側近に取り立てた。

 

 第四話: ディオネーオが語る。トスカーナのルニジャーナのベネディクト会修道院での話。ある若い修道士が若い娘を僧房に連れ込んで戯れる。修道院長がこれを見咎めたことに気づいた修道士は、外出したふりをする。修道院長は彼の僧房に入り、娘を見つけると情欲のおもむくまま、娘を上にして楽しんだ。修道院長はその修道士を呼びつけて叱責しようとすると、逆に、女を上にするという会則をまだ知らなかった、と謝られ、許すこととなった。その後ふたりは娘をまた呼び出したに相違ない。

 

 第五話: ディオネーオの話に淑女らは赤面する。次はフィアンメッタの番である。ピエモンテのモンフェッラートには、絶世の麗人で美徳に優れた侯爵夫人がいた。侯爵が十字軍に出征した留守を狙い、フランス国王が下心をもって夫人を訪ねる。夫人は雌鶏のみを使った様々な料理で王をもてなし、女は外見や飾りが違っても中味は同じだと答え、王の誘惑をうまく躱した。

 

 第六話: エミーリアの話。ある異端審問役の修道士が裕福な鴨を見つけ、私腹を肥やそうとした。これにまんまと引っかかった男は袖の下を渡して減刑してもらえたが、さらに「一を捨つる者は、百倍を受く」という福音書の一節[マタイ伝19章29節]を引いて、修道士らがスープの上澄みだけを貧乏人に施すという偽善を突き、見逃してもらえることとなった。

 

 第七話: フィローストラトの話。ヴェローナの領主カン・デッラ・スカーラが盛大な祭りを催すとのことで、大勢の芸人や宮廷人が集まったが、突然中止とし、彼らには旅費を支払って引き取ってもらう。だが弁士ベルガミーノには何の沙汰もなく、宿代などの経費がかさみ、手持ちの衣装で支払いをしていたが、ある日、食事をしているカン・デッラ・スカーラに、プリマッソという法学者にして詩人が、クリュニー修道院長の大盤振る舞いに与ろうと出かけるが、襤褸をまとっていたため、修道院長がにわかに吝嗇となり何も振る舞われないので、手持ちのパンをかじっていたが、プリマッソが誰であるかを知るに及び、非礼を詫びて十分にもてなしたという逸話を披露し、自分に対する非礼をカン・デッラ・スカーラに気づかせた。

 

 第八話: ラウレッタの話。ジェノヴァにどけちの資産家がいた。グリエルモ・ボルシエーレという宮廷人がこの資産家と会い、新居を見せられ、何か目新しいものを広間の壁画に描きたいからおしえてほしいと言われ、『気前の良さ Cortesia』(擬人化したもの)と答えた。その資産家は以後、鷹揚に振る舞うようになったとのことである。

 

 第九話: エリッサの話。さる貴婦人が聖墳墓に巡礼した帰途、キプロス島に寄り、暴漢に襲われた。キプロス島の国王は無気力で臆病であり、自分に加えられた恥辱にも耐えていた。貴婦人は直訴しても無駄だと聞かされたものの、国王の御前に参り、どうしたら王のように忍耐強くなれるかおしえてほしいと言上する。以後、この国王は断固とした措置で治安の改善に努めたとのことである。

 

 第十話: ボローニャの年老いた名医アルベルト先生は、美しい寡婦マルゲリーダ・デ・ギゾリエーリに恋して夢中になる。その婦人とほかの女たちはこれを冷やかそうとしたが、逆に韮や葱のおいしいところは葉ではなく球根部分であるという話をして彼女らをたしなめて恥じ入らせた。

 

 第一日結び: 女王は翌日の女王にフィロメーナを指名し、新しい女王は翌日の話の題目を、悪運に苛まれた人が幸福な結末を迎える話、とする。だが、ディオネーオはそのような題目に縛られない特例を認めてほしいと申し出て皆に了承される。皆は夕食をとり、歌や踊りを楽しみ、散会となり、各自就寝する。

 

 第二日まえがき: 昨日同様、昼寝のあと、樹蔭に集まり、話を始める。

 

 第一話: ネイーフィレの話。トレヴィーゾで貧しくも善良なアッリーゴが死ぬと、ドゥオモの鐘が鳴り響いたことから聖人であったという騒ぎになる。そこにマルテッリーノらフィレンツェの物真似を得意とする三人がやって来て、その聖人を見るために足萎えのふりをして近づくと聖人の遺体の上に載せられて麻痺が治るふりをする。たまたま彼を知っていた人がそいつは人を担ぐのが好きな奴だと暴露したので、マルテッリーノは怒った市民に半殺しの目にあわされる。暴徒から引き離されたものの今度はポデスタの判事に窃盗犯として尋問される。彼は判事に、いつどこで盗られたかを言わせるようにさせ、それらの偽の告訴が彼らにトレヴィーゾに着くより前であったことを証明したものの埒があかないところ、フィレンツェの名士が介入して釈放されることとなった。

 

 第二話: フィローストラトの話。アスティの商人リナルドが仕事でボローニャに来た帰途、三人の盗賊に身ぐるみ剥がれてしまった。下男にも逃げられた。彼はいつも聖ジュリアンを堅く信仰していた。カステルグリエルモに向かったが、城門は既に閉まっており、裸同然の格好で、城壁の上に張り出している家の下で震えていたところ、そこに住む寡婦のもてなしを受けることとなる。この女性はフェッラーラのアッゾ侯爵に囲われており、お風呂も食事も準備していたのにその晩にやって来るはずの侯爵が急用で来られなくなったのであった。リナルドは熱いお風呂に入れてもらい、ご馳走をふるまわれ、その奥方と愛し合うことができた。翌朝には市内に入り、下男を見つけ、三人の追い剥ぎは別件で逮捕され、リナルドの持ち物はすべて戻ってきた。戻らなかったのは、追い剥ぎたちには覚えのない靴下どめだけであった。

 

 第三話: パンピーネアの話。フィレンツェにいたテバルドという騎士が急死し、その莫大な遺産を相続した三人の嫡出子はそれを蕩尽してイギリスに移り住み、金貸で儲けるとフィレンツェに戻り、再び散財を始めた。しばらくはイギリスで金貸をする甥のアレッサンドロの仕送りを当てにしていたが、債務のために逮捕されてしまう。一方、甥は、イギリス国内で王と王子が仲違いをしたために貸し金の抵当を失い、イタリアへ戻ることにした。ブリュージュの城門を出たところで、やはりイタリアへと向かう若い修道院長とその一行に出会い、道連れとなる。ある小村で一泊することとなったが、宿が不足しており、アレッサンドロは修道院長の部屋の櫃の上に寝ることとなる。夜更け、その修道院長が彼と共寝したいと言い、もしかして衆道趣味かと思いつつ肌着を脱ぐと、修道院長は女性であることが明らかとなり、結婚の誓いをするはめになる。男装の修道院長は実は英国王の娘であり、法王に謁見し、アレッサンドロとの結婚を認めてもらい、法王の祝福を受けた。新婦は帰途、フィレンツェでおじたちを釈放し、借財の片をつけ、アレッサンドロはコーンウォール伯領を拝領し、やがてはスコットランドを征服してその国王となったとのことである。

 

 第四話: ラウレッタの話。アマルフィ沿岸部の町ラヴェッロの御大尽ランドルフォ・ルーフォロは資産を増やそうと船を買い、オリエントで買い付けをしたがキプロス島で買い叩かれ破産しそうになった。それで海賊向きの軽舟を買い、トルコ船を襲って富を得たが、シロッコを避けるべく停泊した入江で強欲なジェノヴァ船に襲われ、捕虜となる。だが嵐のような高波が起こり、ケファロニア島の北側で遭難し、箱にすがって漂い、コルフ島の女に救出される。その箱の中にはたくさんの宝石があり、ランドルフォはそれを袋に入れて、ブリンディジ、トラーニを経て、ラヴェッロに帰還することができた。コルフ島の女や帰途世話になった人々にお礼を送り、残りの金で余生を過ごしたという。

 

 第五話: フィアンメッタの話。アンドレウッチョという若者が馬の買い付けにナポリにやって来る。商談でちらつかせた彼の財布を狙うシチリア女が、たまたま知り合いの老女が彼と昵懇であると知るや、策を弄して彼を家に招き、彼の異母姉を装い、騙して泊まらせる。アンドレウッチョが寝る前に用を足そうとしたところ、便座の板が外れて汚物の溜まった小路に落下する。家の扉を叩くが相手にしてもらえず、騙されたと知る。臭い体を洗おうと海に向かったところ、二人の男に見咎められそうになり、隠れるが見つかり、ドゥオモに埋葬されたフィリッポ・ミヌートロ猊下の墓荒らしに加担させられることとなる。二人は彼を石棺に入れ、金目のものを外で受け取るが、高価な指輪はアンドレウッチョがせしめていた。二人は蓋のつっかえ棒を外して逃げ、アンドレウッチョは閉じ込められたが、棺に入ろうとする次の泥棒の足を引っ張り脅かした。墓泥棒は逃げ去り、彼は指輪を手に無事に帰還することができた。[これはPolese教授の授業で原文で読んだがとても面白かった。]

 

 第六話: エミーリアが語る。フェデリーコ2世の息子マンフレーディの死により、シチリアはアンジュー家のシャルルの支配下に入る。それによりシチリアの太守であったアッリゲット[これに相当する実在の人物は Corrado Capece というマンフレーディ麾下の総隊長]は失脚し、その夫人ベーリトラはリパリ島へ亡命し、次男を産む。さらに実家のあるナポリを目指したところ嵐にあい、ポンツァ島で避難している時、海賊に船と子供達を奪われ、鹿の親子と洞窟で暮らして時が過ぎた。数ヶ月後、マラスピーナ侯爵を乗せた船がやはり嵐を避けてこの島に寄港し、野生化したベーリトラ夫人を見つけて、鹿の親子とともに救出する。一方、海賊らは夫人の息子と乳母をジェノヴァの貴族ドーリアに奴隷として売り飛ばす。長男の方は十六歳になるとガレー船に乗り込み、トスカーナのルニジャーナに至る。ここでマラスピーナ侯爵に仕えるようになり、寡婦となって出戻っていた娘と愛し合うようになる。森の中で愛欲に耽っていた二人は父親に見つかり、それぞれ投獄され、獄中で一年を過ごす。その頃、アラゴン家のペドロ王がジョヴァンニ・ダ・プロチダと謀ってシチリアで反乱を起こし、それを耳にした獄中の長男は、自分の素性を明らかにする。侯爵はそれが嘘でないとわかると、二人を結婚させ、母親と再会させる。長男はその祝宴にドーリア家で奴隷となっている弟を呼びたい、父アッリゲットの消息を知りたいとも言う。この話を聞いたドーリアは仰天し、娘を弟の方に嫁がせることとする。また、彼らの父アッリゲットはシチリアの反乱によって獄中から解放され、ペドロ王に厚遇されているという。一家はパレルモで再会し、幸せに暮らしたという[なお、この話から19世紀にオペラがつくられた]。

 

 第七話: パンフィロの話。バビロニアのスルタン[先生の訳語はサルタン]の娘アラティエルはすばらしい美女であった。ガルボ[現モロッコ]の国王に嫁ぐ旅の途上、マジョルカ島の北で嵐にあい船が大破して砂浜に打ち上げられたところをペリコーネという城主に助けられる。城主ペリコーネは葡萄酒で彼女を酔わせて共寝する仲になったが、城主の弟マラートが、ジェノヴァ人の船主兄弟に協力させて兄を殺し、彼女を誘拐して懇ろになったものの、船主兄弟に海に突き落とされた。その兄弟は女をめぐって殺し合うが、船がキアレンツァ[ペロポネソス半島の北西部]に着くと、彼女の美しさが噂となり、モレーアの太子に所望される。さらにアテネの大公が噂を聞いてキアレンツァにやって来て彼女を見ると狂わんばかりに惚れ込み、太子のもとに腹心の刺客を送り、大公妃のいるアテネではなく別の場所へと拉致する。キアレンツァでは太子殺害が発覚し、アテネに軍団が差し向けられた。アテネでは防衛のための援軍を率いて東ローマ皇帝の息子と甥がやって来たが、皇帝の息子も彼女に夢中になり、アイギナ島へと拉致し、一休みしてからキオス島で淫蕩な暮らしを送っていたところ、トルコの王ウズベックに襲われ、女を奪われる。そのウズベックは今度、カッパドキアの王に攻められ、女を年老いた忠臣アンティーオコに託す。彼と女は言葉が通じたので、高齢ながらも添い寝するが、やがて死病にかかり、女はキプロス島の商人に託され、いっしょに暮らすようになる。そこでアラティエルは商人の留守中、父に仕えていた紳士と出会い、悲惨な顛末を打ち明ける。こうして遂に彼女は両親のもとへ帰ることができ、その紳士の作り話を諳んじて、ヴァルカーヴァ[谷掘り]の修道院で聖クレッシ[san cresci は聖なる大きくなるもの]に仕えていたがエルサレムへの巡礼とともに東に至ったと説明する。彼女は八人の男と一万回共寝したものの、処女として改めてガルボの国王に嫁した。イタリアの諺: "Bocca basciata non perde ventura, anzi rinnuova come fa la luna."

 

 第八話: エリッサが語る。フランス王と息子が出征中、王はアントワープ伯に統治の全権を託した。妻に死なれた彼は、女王に言い寄られるが、それを拒むと女王は怒り、彼に強姦の罪をなすりつけ、永久追放の刑に処した。彼は貧民に身をやつし、息子と娘を連れてイギリスに渡り、物乞いをして暮らした。たまたま英国王の元帥が娘を見て引き取りたいと言い出し、引き渡す。今度はウェールズで別の元帥に子供を所望され、手放すと、自分はアイルランドに渡ってある騎士の馬丁に雇われた。成長した娘は元帥の息子に惚れられる。元帥の息子は恋煩いで死にそうになり、正式な嫁となることで一命をとりとめる。一方、別の元帥にもらわれた息子は、ペスト禍によりめぼしい男子が根絶やしになったこともあり、娘の婿となる。パリを後にして18年目、アントワープ伯は身分を明かさずに子供たちに会いに行く。娘のところでは孫たちになつかれ、馬丁として仕える。英国王がフランス王の戦争に援軍を送ることになり、息子と娘婿とともに出征する。重病に罹ったフランス王妃は伯爵の冤罪について懺悔する。こうしてアントワープ伯は旧の栄誉に復することができた。

 

 第九話: フィロメーナが語る。パリの宿屋に居合わせたピアチェンツァの商人が、妻の貞淑さを自慢するジェノヴァ商人ベルナボに賭けを挑む。彼は、櫃の中に隠れてベルナボの妻の寝室に入り込み、いくつかものを盗み、夫人の左胸の黒子を見る。騙されたベルナボは下男に妻の殺害を命じるが、夫人は下男に命乞いをして生き延び、男装してカタロニアの商人の船に雇われ、アレクサンドリアへ至る。彼女はそこで才覚を以てスルタンに気に入られる。アークリ[アッコ]に様々な商人が集うた時、彼女はヴェネツィア商館で自分の持ち物が売られているのを見て、その由来を尋ね、自分が夫に殺されそうになった顛末を知る。彼女はその顛末をスルタンの御前で語らせ、自分がその妻であることを明かす。ピアチェンツァの商人は処刑され、夫人は名誉を回復することができた。

 

 第十話: ディオネーオの話。ピサのある判事が若くて美しい女を妻にした。だが、聖人の祝日に男女は交わりを慎まねばならないとして月に一回くらいしか妻に接しなかった。避暑に出かけた海で妻は海賊に攫われる。海賊は彼女を妻とし、暦などに関係なく慰めた。ピサの判事は身代金を用意して海賊のところに行くが、妻は戻ることを拒む。判事は精神錯乱に陥り、しばらくして他界した。

 

 第二日結び: 月桂冠は次の女王ネイーフィレの頭に載せられ、女王は金曜にはお祈りを捧げ、土曜にも洗髪やいろいろとやることがあるのでお話を休みとし、日曜日に場所を移ることとし、日曜日の昼寝の後に集まって「智恵を働かせて欲しかったものを手に入れた話、取り戻した話」を話題とすることを告げる。

 

 第三日目まえがき: 日曜日の日の出過ぎ、一行は二千歩ほど離れた別の館に移る。すばらしい場所に皆大満足し、三時過ぎに集まる。

 

 第一話: フィローストラトの話。マゼットという青年が唖のふりをして尼僧院に庭師として雇われ、九人の尼さんの相手をさせられて疲労困憊し、唖が治ったことにする。尼僧院長は彼を管理人に取り立て、彼が老いるまで尼僧院の「農場」を耕し続け、尼僧院長の死後、金持ちになって郷里に戻った。

 

 第二話: パンピーネアが語る。ランゴバルド族の王アギルルフは先王の未亡人となったテオドリンダ[ボッカッチョはTeudelingaとしている]を妃とした。その王妃の馬丁が王妃に恋をした。王の振りをして王妃の寝台に入り込もうと企て、成功する。彼が退出してから王が王妃を訪ねると、今夜はどうした? 先ほど帰ったばかりなのに、と王妃が驚いたので、王は誰かに寝取られたことを悟ったが、事を荒立てまいとうまいこと言って退出し、間男を探しに郎党たちの住む長屋に入って、片端からそれぞれの心臓の鼓動を調べ始めた。件の馬丁の心臓がまだ高鳴っていたので、目印のために鋏で長髪の片方を削ぎ落とした。だが翌朝、御前に集まった郎党たちは皆、髪が半分切り落とされていた。馬丁が皆の髪を切り取っておいたからである。

 

 第三話: フィロメーナが語る。フィレンツェの羊毛商人に嫁いだ名門貴族の娘がいた。彼女は夫は自分には不相応だと考えるうちに、さる貴族の男性に惚れ込んだ。彼と親しい修道士に懺悔として、その貴族の男が自分に言い寄って困っていると話す。修道士が男を諌めると、その男は申し開きをし始めたものの、その夫人の心中を察してまわりをうろつくようになった。彼女の夫がジェーノヴァに出かけると、またもや修道士に、その男が夫の留守に夜這いしてきたと話す。男は修道士から諌められたふりをして、事情を理解し、夜明け前に夫人の邸に忍び込んだ。ふたりは修道士に感謝し、快楽に快楽を重ね、その後も再会を重ねた。

 

 第四話: パンフィロが語る。フィレンツェに敬虔だが愚鈍なフランチェスコ会の第三会員[平信徒]がいた。彼がフランス帰りの若い修道士と親しくなり、家に招いたりするうちに、その修道士は彼のうら若くぴちぴちした妻とお互いに欲望を疼かせた。修道士は男に贖罪を勧め、日没から早朝まで板の上で空を見上げながら主の祈りを繰り返し、じっと贖罪に努めた。その間、修道士は妻と楽しみ、彼女は、彼が夫に贖罪をさせたおかげでわたしたちは天国に行けた、と満足した。

 

 第五話: エリッサの話。ピストイアに裕福だが吝嗇な騎士がいた。彼はミラノのポデスタ(市長)に任命され、しかるべき馬を手に入れたいと望む。名馬を持っているジーマというお洒落な若者は、それを譲る条件として、御前で奥方と話をさせてほしいと申し出る。ジーマは人から声を聞かれないほど離れた広間の一隅で奥方を口説く。心が靡いたのを見極めると、奥方に成り代わって、騎士がミラノに発った後は楽しみの限りを尽くそうと語る。その間、奥方は一言も口をきかなかったので、ジーマは騎士に「私は大理石の像と話をしただけであった」と告げた。こうして騎士は妻の貞操を疑うことなくミラノへと発ち、ジーマは奥方のもとに足繁く通ったという。

 

 第六話: フィアンメッタの話。ナポリの貴族が、他の人妻に惚れ込んだ。だがその女は身持ちが堅く靡かない。その男は彼女が嫉妬深いことに思いを致し、別の女に執心である振りをすることにした。海浜で休暇を過ごしている時に頃合いを見計らい、彼女の夫が自分の妻に言い寄っており、その土地の温泉宿で逢引きを手配していると告げる。自分であったら、そこには自分が行って誰と寝たかを明らかにし、復讐するだろう、と。その逢引きの宿にはしかし自分で出かけ、暗い部屋で人妻を抱く。その人妻は、寝た相手が自分の夫だと思って不実を責めに責めたところで、男は自分の正体を明かす。彼女は怒って泣いたので、宥めて慰め、終いには、夫よりも恋人の方が甘美で心地よいことを思い知らせ、懇ろな仲になることができた。

 

 第七話: ラウレッタの話。フィレンツェの貴族の若者テダルドはある人妻と深い仲になったが、突然わけもなく疎遠にされて傷つき、絶望してアンコーナに赴き、貿易商のもとで仕事をするようになった。だがキプロス島で再びその人妻のことが思い出され、巡礼者に身をやつしてフィレンツェに戻る。そこでは自分の兄弟四人がテダルドが死んだと喪に服し、愛しい人妻の夫が殺人の罪で投獄されていた。だがテダルドは実の犯人たちの立ち話を聞いて冤罪であると知り、彼を救出することにする。その人妻に会って聞くと、懺悔した修道士に不倫の罪で地獄の業火に焼かれると脅かされて彼を避けたのだという。彼は人妻に修道士たちの欺瞞と腐敗を物語る。そしてシニョリーアに出向いて実の犯人を告発し、人妻の夫は釈放される。テダルドの四兄弟は間違った告発をしたことを詫びて許される。そしてしばらくして後、殺された男の身元は、行方不明になっていた傭兵隊の兵士であったことが判明した。

 

 第八話: ラウレッタが語る。トスカーナのある僧院で、女色に目のない修道士が僧院長となる。彼は粗野で愚鈍だが金持ちの百姓フェロンドと仲良くなり、その美人の妻に情欲を覚える。彼はフェロンドを薬草入りのぶどう酒で眠らせ、埋葬し、暗い地下牢に監禁し、そこが煉獄だと思わせ、嫉妬深いことは罪だと打擲する。その間、修道士はフェロンドの服を着て、その妻のもとに夜這いを続けた。近所の人はフェロンドの亡霊がさまよっているのだと思った。そのうちに女が妊娠したので、僧院長は再び彼に薬を飲ませて墓穴に戻す。彼が目覚めて騒ぎ、墓蓋を持ち上げたので彼は生き返ったものとみなされた。フェロンドは煉獄で矯正されたのでもはや嫉妬深くはなくなっていたから、僧院長にお目にかかることができた。

 

 第九話: 女王ネイーフィレが語る。南仏のルシヨンの伯爵の侍医の娘ジレットは伯爵の息子ベルトランに惚れていた。その若者がパリへ勉学に行った。そうこうするうちにフランス国王が難病を患っていると知れ渡り、父を失っていたジレットが女医として治療に出向くこととなる。八日間で治すので、うまくいったらベルトランを夫にしたいと申し出て、そのとおりとなるが、ベルトランは彼女の身分に不服でフィレンツェへの軍務についてしまう。彼女はベルトランに使いを出すが「あの女がこの指輪を嵌めて、私の子供を腕に抱くような日になれば、一緒に暮らすだろう」との応えを受けた。ジレットはフィレンツェに赴き、夫が惚れているという娘の家で事情を話し、夫の指輪を手に入れ、娘になりすまして双子を身ごもることに成功する。しばらくしてベルトランはジレットのいなくなったルシヨンに戻り、ジレットは出産を済ませてからルシアンに戻り、万聖節の祝宴の場で指輪と子供たちを披露する。こうしてジレットは妻として認められ、敬愛されるようになったとのことである。

 

 第十話: ディオネーオが語る。チュニジアの富豪の娘アリベックが、神に仕えたいと思い、エジプトのテーベの砂漠に赴く。その奥地の僧房でルスティコという隠者にやり方を尋ねる。彼は"il rimetter il diavolo in inferno"とおしえ、神に仕えることは甘美で楽しいことだとわからせるが、度が過ぎてルスティコは憔悴する。そうこうするうちに彼女の実家で火災があり、皆焼け死んで、彼女が全財産を相続することになり、放蕩によって自分の財産を蕩尽した若者が彼女を見つけ出して妻とすることにした。彼女は神への奉仕["il servire a Dio"]から引き離した新郎を恨んだが、他のご婦人方に、新郎もやはり神に奉仕してくれるに違いないと諭した。このフレーズは格言として人口に膾炙した。

 

 なんだか不倫ネタが満載ですね。修道士も修道女もコケにされていますね。ディオネーオだけでなく、淑女たちも楽しそうです。