この本は、たぶん30年以上前に読んだが、あの頃はまだ古代ローマ史にも西洋古典にも馴染んでおらず、ましてや「死」や「老い」について思いを巡らすこともなく、だらだらと冗長な歴史小説だなあという印象をもったことしか覚えていない。今こうして読み返してみると、すばらしい!! の一言しかない。ハドリアヌス帝とともに広大にローマ帝国のあちこちを旅する臨場感すら味わうことができる。ユルスナールがこの小説を二十歳代で着想してから、あたためあたため五十歳代半ばにしてようやく世に出すことができた力作であることに思いを致した。
書庫に戻す前にいくつかメモを残そう。
- ハドリアヌス帝は1月24日生まれ、つまり水瓶座である。私も水瓶座だから、好奇心が旺盛で、旅が好きで、芸術や建築に関心があり、読書も楽しむ、芸術的観点から美少年を好む(?)、という傾向をよく理解することができる。
- スエトニウスが、古文書管理官として多くの史料を閲覧できたこと、ハドリアヌスの妻サビーナのサロンに出入りしていたことなど、枝葉のエピソードが面白い。
- アンティノウスの祭壇と神殿についてのくだりを読みながら、ユルスナールにティヴォリの遺跡でアンティノウスの墓苑が見つかったのだと教えてあげたい気分であった。彼女は、ファラオ姿のアンティノウスの彫像などはカノプスの池の「神殿」にあったと書いているが、あれは神殿などではなく、宴会場だったのだ。ユルスナールは、ピラネージの版画を見ながら、その墓苑をイメージしたようだ。
- 本には、皇帝の生涯で最も貴重な出会いは、アッリアノスとの邂逅だとある。そのうちにもう一度「アレクサンドロス大王東征記」を読むことにしよう。
- エトナ登頂のくだりも感情移入できた。
- パンテオン、ティヴォリの別荘、これは私も大好きな遺跡である。
- アンティマコスの『アルゴナウティカ』がハドリアヌスの琴線に触れたとあるが、訳されていない。しかたないからアポロニオスで我慢しよう。
- バイアの皇帝別荘はキケロのもちものだったとある。今年の7月、ポッツォーリでキケロの別荘「アカデミア」が出土したという報道があった。ハドリアヌス帝はバイアで亡くなり、そこにまず埋葬され、ローマに移葬されたのである。バイアとポッツォーリはすぐ近くだし、あの一帯はぜんぶ皇帝別荘なのだ。
- イェルサレムの反乱鎮圧の部分は印象的である。これ以降、ユダヤ人のディアスポラが始まったのだから。
- 晩年には秘密警察の暗躍がハドリアヌス帝の命をしばしば救ったとある。
- アッリアノスは、黒海のへび島=アキレウスの島についての報告を送っている。このような楽しみを共有できる友人を持てたことは、ハドリアヌス帝にとってかけがえのない喜びであったことだろう。
- ユルスナールも参照したディオン・カッシウスの『ヒストリア・アウグスタ』、これも書棚にあるので、そのうちに再読してみよう。
ハドリアヌス帝自身による詩の一節を覚えておこう。
「小さな魂、さまよえるいとおしき魂よ、汝が客なりしわが肉体の伴侶よ、汝はいま行き着かんとする、青ざめ、こわばり、露わなる場所に、昔日の戯れも もはやかなわで。いましばし、共にながめようこの慣れ親しんだ岸辺を、もはや二度とふたたび目にすることのできなくなる事物を・・・目をみひらいたまま、死の中に歩み入るよう努めよう・・・」
“Piccola anima smarrita e soave, compagna e ospite del corpo, ora t’appresti a scendere in luoghi incolori, ardui e spogli, ove non avrai più gli svaghi consueti. Un istante ancora, guardiamo insieme le rive familiari, le cose che certamente non vedremo mai più… Cerchiamo d’entrare nella morte a occhi aperti…“..
(ラテン語: Animula vagula, blandula, hospes comesque corporis, quoe nunc abibis in loca pallidula, rigida, nudula, nec, ut soles, dabis iocos...)