長岡駅で新幹線から信越本線に乗り換える時、いつも壁に掛かっている「米百俵」のポスターが気になっていた。小泉純一郎もと総理が「米百俵の精神」を謳って流行語になったこともあった。なので、ふと思い立って、山本有三の書き下ろした劇の台本を手に取ってみた。薄い文庫本である。

 1830年(明治3年)、戊辰戦争に敗れて食べるものにも瀕していた長岡藩の侍たちは、三根山班から救援物資として米が百俵届いたものの、大参事の小林虎三郎がそれを分配せず、学校設立の資金にするという話を聞き、大参事のもとに詰め寄る。そして結局、藩の再生には、人材の育成が大切だという話を聞かされ、納得する。しかもその学校には、百姓や町人の子供も通うことができ、学資金を用立てる育英財団をも設立した。小林虎三郎のヴィジョンを長岡という一地方に埋もれさせておくのはもったいなかった。からだが弱かったのが惜しまれる。