(その1)のつづき。

 18節ではまず、韓国における慰安婦一般について検証している。それは、呼称こそ違え、朝鮮王朝時代から今日に至るまで性売買をする女性は存在し続けており、特に1960年代は、20代女性の12人に1人がこれに従事していた。1950年に勃発した朝鮮戦争でも兵士の士気高揚のため、公的に行なわれていた。著者はそれぞれ、一日の平均労働回数、所得、貯蓄額なども検証している。

 20節ではいよいよ日本軍の慰安所についての記述が始まる。それは1937年に設置されたというが、それ以前すでに公娼制は存在し、既存の遊郭が軍専用のものとして指定され、管理されるようになったということである。利用する兵士は許可証を提示して代金を払い、慰安婦は月に2回性病検査を受け、経営者は帳簿を提出せねばならなかった。史料は、彼女たちの高収益を実証している。

 これらの慰安婦の「強制連行説」は、日本人の吉田清治が1983年、『私の戦争犯罪』という本を出版し、チェジュ島で慰安婦にするための女性を連行したと告白した[朝日新聞が検証せずにこれを頻繁に記事にした!!]ことに始まる。出版後の調査で、これは嘘であることが判明したが、これが広まり、戦時期に軍需工場労働に駆り出された女子挺身隊と混同されて、20万人に人数も誇張されていった。筆者ら研究者が検証した人数は、慰安所で支給されて着用が義務付けられていたコンドーム消費量(32100000ケ)や兵士の人数280万人(兵士150人につき慰安婦1人)などから推定するに、約18000人である。

 これらの慰安婦は、ビルマ[現ミャンマー]など東南アジアの戦地のためにも募集された。彼女たちの暮らしぶりについても、1944年、米軍に捕まって尋問された時の記録や、慰安所の帳場人の日記が引用されている。彼女たちは高所得の労働者だったのである。ビルマで働いた慰安婦、文玉珠(ムン・オクチュ)の回顧録(amazonで買える: 文玉珠―ビルマ戦線 楯師団の「慰安婦」だった私)も紹介され、彼女の郵便貯金の原簿も添付されている。彼女は前借金を清算してからは、母国の母に送金し、貯金もしつつ、ワニ革の鞄やダイヤモンドも買うほどの人気慰安婦なのであった。さらに、酔った日本軍人が彼女を揶揄したところ、その軍人の取り落とした軍刀で兵士の胸を刺して殺してしまった。だが軍事裁判では無罪判決が下りたという。なお、彼女も同僚5人も1年ほどで朝鮮に帰郷している。前借金を返せば廃業と帰国の自由はあったのである。

 21節では「解放後の四十年間、慰安婦問題は存在しなかった」としている。娼婦は一般的な職業であったから。だが、吉田清治の嘘をきっかけに、強制連行される少女のイメージが出来上がり、挺対協[正義連と改名]が慰安婦運動を展開して「反日種族主義」を煽り、世界各地に慰安婦像を設置し、「性奴隷」という言葉を広め、韓国政府がこれをバックアップしたのである。日本政府は、河野談話、慰労金支給、パク・ウネ政権との間に2015年、合意を取り付けたが、ムン・ジェイン政権はこれを破棄した。筆者らは、挺対協の運動は、学術的に見て、いかに実証からほど遠い虚偽に基づいたものだと暴露し、「反日種族主義」という病根を批判している。

 

 韓国国民が総選挙で後押ししたムン・ジェイン政権が、親日称賛禁止法なるものを制定させようとしている。どうなってしまうのだろう? 独裁化? 共産化?

 コウTVの動画を貼ります。イ教授たちが殺されませんように!!

 

 キムチわさびさんのような若者の存在はK国にとって救いです