ぼくのピグぬしは土曜日に仕事の研修会に参加してきた。10時から17時まで、疲れたが、面白い話をいっぱい仕入れた。いくつかメモっておく。
講師は、京都検定ご用達の堤勇二氏。
1.京の都のつくりについて; 「上ル」「下ル」は南北のことかと思っていたら、御所に近づく、遠ざかる、という意味だった!! 実際に京都は南に向かって緩やかな傾斜がある。
2.京都御苑は公園みたいな緑地だが、かつてはびっしり公家の家が立ち並んでいた。その中の御所のみが宮内省の管轄。公家には石高により、摂家、清華家、羽林家の3つの家格があった。
3.御所には6つの門があり、天皇のみが使う建礼門、皇后・皇太子のみが使う建春門など、それぞれ用途があったが、道喜門は、川端道喜がほぼ三百年以上にわたり天皇に毎朝「お朝」、つまり朝食を届けた門であった。この川端道喜は今も名の知れたお菓子屋さんで、5月のたんごの節句用のちまきと、裏千家の初釜用の花びらもちで有名とのこと。両方とも目玉が飛び出るほどお高い。
ちまきの画像などはこちらのサイトを参照→http://kyoto-wagasi.com/review/kawabata_doki_timaki_001.html
花びらもちについてはこちら→http://kyoto-wagasi.com/review/kawabata_doki_hanabira.html

その他、御所の詳しい説明と画像はこちらに→http://www.mario-k.net/kyoto_gosho/index.html

4.もうひとつ、京都には「うぶ餅」というお菓子がある。
わら天神の門前菓子で、きなこをまぶした求肥に包まれた餡に甘酒がねり込んである。このお社は安産の神様、木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)を祀っているが、この女神様は、天照大神の孫、邇邇芸命(ニニギノミコト)の妻であり、第一代天皇とされる神武天皇の曾祖母にあたる。桜のように美しかったというこの女神を祀るいちばん有名なお社は、富士山の山頂にある奥の宮(本宮は富士宮市にある)と、桜島の月読神社。
うぶ餅のサイト→http://sasayamorie.com/photo/album/120031

5.今度は白峯神宮について; これは、明治天皇が即位するにあたり、崇徳天皇の御霊を讃岐から京都に遷し奉るために創建した神宮(神宮とは皇族を奉る神社のこと)。なぜならば、「吾日本国の大魔縁となりて、皇をとって民となし、民を皇となさん」という呪いをかけて憤死した崇徳天皇の祟りによって、日本はずっと皇族でない者(つまり武士)が支配してきたが、その呪いを解いて、以後は守護神となってもらおうとしたとのこと。明治天皇が讃岐で勅使に読み上げさせた宣明文はこちらに→http://sasayamorie.com/photo/album/120031
(なんだかNHKの大河でやった「平清盛」のせいで、崇徳天皇のことがやけになまなましく感じられる。)
ちなみに、この神社は、蹴鞠の師範家であった飛鳥井家の敷地に建てられたので、サッカーの守護神ともみなされている。日本サッカー協会、今回、お賽銭、けちらなかった?

その他、琵琶湖疎水の話とか、葵祭・石清水祭の話とか、度量衡の話とか、面白い話は尽きなかったが、またいつか・・・でも「石高」についてだけ、メモしておこう。
※お米1合はひとり一食分の米の量、ひとりの人間が一年間に食べる量は約1000合(100升、10斗)、つまり1石。江戸時代中期の人口は約3000万人、総計石高は3000石、そのうち徳川が700~800石であった。