先日、NHKの歴史秘話ヒストリアで邪馬台国の女王卑弥呼と、その遷都説についての紹介があり、とても興味深かったのでここにメモることにする。
番組サイト→http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/204.html

番組は3つの部分より構成されていた。
1.奈良県の纏向(まきむく)遺跡の紹介: 1971年より180回の発掘調査がなされ、遺跡は3世紀前半にさかのぼること、その規模は2×1.5kmに及び、2.6kmの運河をもつこと、推定人口は約7000、中心部に300の柱穴をもつ高床式の大型建造物(12.4×19.2m)があり、そこからは九州から関東にかけて広範域の産地に由来する土器、2769ケの桃の種が出土し、535ケの麻の種が出土したことが判ったとのこと。桃は中国では不老長寿の食べ物とされており、昔よく遠足に持って行った不二家のネクターは桃の飲み物で、ネクターとはギリシアの神々の飲み物のことだなあ、と思い返してしまった。また、麻は、幻覚作用をひき起こすために使われたのかもしれないとのこと。

2.九州の伊都国の遺跡の紹介: これは九州福岡県の西にある糸島半島の平野部にあり、広さ60h. 2世紀にさかのぼる集落の遺跡で、高床式の建物跡や運河の工法が3世紀の纒向遺跡と酷似しているとのこと。特に、この国の王の墓と考えられる平原(ひらばる)遺跡の墓と、伊都国歴史博物館におけるその再現模型と出土品が注目に値する。
まず、その墓の棺は風化しているが、木製のカマボコ型であったと思われ、副葬品に耳璫(ピアス)があることから被埋葬者は女性であったと特定される。そして、2世紀末の制作と考えられる銅鏡が40枚(すべて割られていた)出土しているのは、当時としては最多とのこと。そのうち、亡骸の頭部近くに置かれていたものは、直径46.5cm、約8kgの巨大なもので、太陽の光を象ったと思われるデザインは、伊勢神宮の八咫鏡(やたのかがみ)と共通しているとのこと。そもそも古事記に記されている八咫鏡の八咫とは、直径2尺(46cm 前後)のことで、神話によれば、天照大神が岩戸に隠れた際に制作されたものである。
糸島市のサイト; 王墓と副葬品の紹介→http://www.city.itoshima.lg.jp/site/bunkazai/hirabaru-iseki.html

3.最後は、これら2つの遺跡は、女王卑弥呼が伊都国から大和に遷都したという説の紹介である。2つの都市遺跡の酷似に加え、3世紀以降、平原墳墓と同じ様式(カマボコ型の木製棺、鏡の副葬品をもつ等)の墳墓が纏向周辺に出現していることも根拠のひとつである。
そもそも魏志倭人伝(3世紀末に書かれた中国の史書『三国志』の第30巻)によれば、2世紀末の倭国では30カ国が70~80年にわたり相争っていたが、3世紀には邪馬台国に王を共立し、その王は鬼道を以て君臨したとのこと。そして伊都国の位置は、女王の都、邪馬台国よりはるか西方に位置していたとも記されていることから、伊都国は邪馬台国ではあり得ない。
なお、平原古墳は、没後に生地に埋葬された卑弥呼のものである可能性もあるとのこと。