神宮球場 ヤクルトー広島1回戦 野沢腰痛 | 脱腸亭日常 ~MY TESTAMENT of trifling beetle~

脱腸亭日常 ~MY TESTAMENT of trifling beetle~

名誉も金も、素晴らしい音楽を作り人々を感動させようという気持ちもない、極めて不心得なアマチュアミュージシャンであり、アマチュアアーチストtrifling beetleの遺書。
HP https://www.music-scene.jp/triflingbeetle/

 

 

大人の隠れ家とか。

住所・電話番号、ホームページなどの情報が、食べログにもグルメ雑誌にも乗りまくっているんですね(笑)。

 

 

 

1978年4月1日 神宮球場 ヤクルトー広島1回戦

 

小説を書こうと思い立った日時はピンポイントで特定できる。

1978年4月1日の午後一時半前後だ。

その日、神宮球場の外野席で一人でビールを飲みながら野球を観戦していた。

(中略)

そしてその回の裏、先頭バッターのデイブ・ヒルトン(アメリカから来たばかりの新顔の若い内野手だ)がレフト線にヒットを打った。

バットが速球をジャストミートする鋭い音が球場に響きわたった。

ヒルトンは素速く一塁ベースをまわり、易々と二塁へと到達した。

僕が「そうだ、小説を書いてみよう」と思い立ったのはその瞬間のことだ。

晴れわたった空と、緑色をとり戻したばかりの新しい芝生の感触と、バットの快音をまだ覚えている。

そのとき空から何かが静かに舞い降りてきて、僕はそれをたしかに受け取ったのだ。(『走ることについて語るときに僕の語ること』文春文庫、49~50ページ)

 

 

 

1978年4月1日、ヤクルト対広島一回戦。

 

つまり両チームにとってのこの年の開幕戦。広島の先発高橋里志がヤクルトの先頭打者ディヴ・ヒルトンに左中間二塁打を打たれて始まった試合。ヤクルトファンである、若かりし頃の村上春樹は、ビールを飲みながら神宮球場スタンドでこの試合を観戦していたという。

そしてヒルトンの二塁打が出た瞬間、小説家になろうとひらめいたというエピソードは超有名だ。

ヒルトン、懐かしい。

自分的には、この年の日本シリーズ対阪急戦の第4戦、九回2アウトからの逆転2ランが記憶に残っている。

このシリーズはヤクルトの初日本一だったが、初戦の、阪急のというか、日本の絶対的エース・サブマリン山田を打ち込むヤクルト打線に底知れぬ迫力というか、勢いを感じたのは自分だけではなかろう。

第7戦では足立からはなったポール際への大杉のいわくつきのホームラン。

上田監督の長時間の抗議は語り草だが、この大杉、上田監督退場後、そのあと回ってきた打席では山田から、今度は文句のつけようがないとどめのホームランをレフトスタンドに放り込んでいる。

役者がそろっていたな。

 

 

 

野沢腰痛

 

サザンの野沢氏が腰痛についての本を書いている(笑)。

そうそう、昔、あれ2002,3年頃だったかな、死ぬ思いでサザンの神戸ポートピアでのライブチケットを入手したことがある...

正確には自分が取ったんではなく女友達がとってくれたのだ。

で一緒に行ったのだが、何という暑さなのか。

海傍の野外コンサートでの恐ろしさをまじまじと体験。

で、その時、腰痛で野沢毛ガニは欠席しますと桑田さんが発表していた。

腰痛とは言わなかったかな?

病気で、とか何とか言っていただけかも。

うろである、コロナ後遺症で(笑)。

 

大森はとっくに創価学会問題でバンド辞めさせられていたし、特に目立つメンツでもないけど、なんか寂しかったな。

あと、演奏中に興奮して咳の上に立ち上がった客とスタッフとがガチで殴り合うこともあった。

スタッフ負けじと応戦してたで。つまり客を集団で囲んでよー見えやんようにして殴ってたで、客を(笑)。

 

帰りがまた地獄で、駅までの道のり、電車に乗り込んで京都に帰ってくるまでの道のりが本当につらかった。