伊藤ー轢き逃げ | 脱腸亭日常 ~MY TESTAMENT of trifling beetle~

脱腸亭日常 ~MY TESTAMENT of trifling beetle~

名誉も金も、素晴らしい音楽を作り人々を感動させようという気持ちもない、極めて不心得なアマチュアミュージシャンであり、アマチュアアーチストtrifling beetleの遺書。
HP https://www.music-scene.jp/triflingbeetle/

 

 

ネガティブバイアス

 

好印象から悪印象への推移は早く、その逆へと戻すことは非常に大変である。

 

 

 

 

 

伊藤ー轢き逃げ

 

キャンディーズ解散後1979年5月18日午後11時半頃に杉並区天沼の八幡通りを歩行中に後ろから来た乗用車にはねられ全治10日の怪我。

車はそのまま逃走した。

 

ひき逃げである。

最初、蘭ちゃんが人をひいたのかと、正直、思ってしまった。

原チャリとかで(笑)。

ごめんなさい、被害者だったんですね。

同じ「伊藤」でも、健太郎の方は、正真正銘、おのれでひき逃げやったけどね。

 

後年ダンナの水谷豊が監督した作品「轢き逃げ 最高の最悪な日」はこのことがヒントか?

もしくは、水谷豊の頭の中にどこか「伊藤健太郎ひき逃げ事件」があったとは言い切れないのだろうか(笑)?

 

なお蘭ちゃん、休業期間中運転免許の取得したそうだ(笑)。

あと恐山に行っていたこと邂逅したとか(笑)。

その後の「ヒポクラテスたち」でのいきなりの復帰。

アレも衝撃だったな。全然フツーの女の子じゃないやんって(笑)!

最後はモノクロの葬儀写真での出演。

でもかなりうれしかった!

また見れる~っ!!って。

 

日大二高出身。

忙しすぎて日芸中退。

この日大二、1980年頃、スイッチピッチャーがいて話題になったことを覚えている。

確か手塚とか言ったかなぁ。

荒木大輔の時代にも猛烈な打撃のチームで早実と互角に渡り合うことも。

甲子園へも来ている。

雨中再試合になった八幡大付属(現・九州国際大付属)との一戦。

左投手を何とも思わない左バッターがぞろりとそろっていた。

そしてやまびこ打線の池田と名勝負を演じた、記憶に残るチームだ。

あれ以降甲子園が遠いけど、久々に来てほしいな。

日大桜ヶ丘も、ね。

 

伊藤蘭のことから脈絡ない話になったっす。