ビハール号事件
1944年(昭和19年)、スマトラ島東方沖合にて、イギリス商船・ビハール号の船員65人が殺害、斬首され、その後、海に投棄されたという事件。
軍艦に乗っていた軍人ではない。
民間船に乗っていた民間人の無差別大量虐殺だ。
犯人は「利根」という日本籍の船。
つまり日本人が犯した犯罪である。
利根は「サ号第一号作戦」と称して、帝国軍命令の下、西欧諸国を排除すること、侵略を円滑に進捗させることのために海賊行為を繰り返していたのである。
防衛省防衛研究所には、昭和19年3月「利根」の「航海日誌」と「戦闘詳報」が存在するという。
これにより利根の行った行為の内訳が判明するはず、なのだが、「航海日誌」には捕虜を処刑したという記載のみがないという。
意図的にか?
では「戦闘詳報」についてはどうか。
こちらも、ビハール号発見以後のページが、あたかもはさみを入れられたたように、すっぱりと切り取られているという。
公文書原板を損傷させてでも、事実を葬り去りたい人が、この世に存在するということだ。
こういう文化なのだ、いつまでたっても、我が国の深層にある「常態的な意識」とは。