ニューコーク 電冷ショーケース | 脱腸亭日常 ~MY TESTAMENT of trifling beetle~

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基本毎日更新。名誉も金も、素晴らしい音楽を作り人々を感動させようという気持ちもない、極めて不心得なアマチュアミュージシャンであり、アマチュアアーチストtrifling beetleの遺書。
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同僚の言った一言に腹を抱えた自分。

 

「誰のおかげで食べているのかっ!!

元かみさんに言われましたがな」

 

(笑)

 

 

ニューコーク

 

20世紀マーケッティング史上最大の失敗事例といわれている。

1985年4月、カンザス計画として、それまでのコカ・コーラの味をリニューアルするという壮大な計画が発表。当時のロベルト・ゴイズエタはタブーへのチャレンジと声高に謳いあげた。コカ・コーラの調合は「聖なる牛」といわれて、そのレシピは銀行の金庫に保管されている、不可侵なものである。

これほど秘密なものを、根底から変えるという、まあ暴挙。

で、実行したのだ。

「ニューコーク」と命名されて、鳴り物入りで市場へ。販売開始。

最初だけ物珍しさで盛り上がったが、当然消費者からの膨大なるクレームが殺到することになる。

その数一か月で約8,000件!前のほうがよかった。

このクレームの殺到、今でいう大炎上に耐えかねて、7月、「クラシック」と命名されたかっての味へと還ることになる。

カンザス計画は大失敗に終わったのだ。

このニューコーラはその後も細々と販売継続、92年には「コークⅡ」となり、2002年7月、ひっそりと完全終了。

 

 

 

 

 

 

電冷ショーケース

 

アイスクリームの普及に一役買ったのが電冷の商品ケース。

それまではドライアイスを使った魔法瓶ストッカーが主流だったが、昭和30年頃よりこの電冷ショウケースが登場、普及。

これは当時、十数万するもので、多くはメーカーからの賃与を各小売店が店頭に置いていたものだった。

ここに、他メーカーの商品を入れることを「宿借り」というが、これが広まり、当然問題になりもめる。

この解決のために「日本アイスクリーム協会」が設立されたという。

 

奥開きタイプ平型ショーケースという、懐かしくてポピュラーだったあのケースがほとんどで、ガラス扉であるために、商品が上から見れる。

これは昭和35年より導入、消えたのはいつ頃か。

いや、今も現役だ、一部で。

これが現在は、リーチイン&オープンタイプが主流となっている。

 

ところで、メロンボール型の入れ物に入ったシャーベット、懐かしいあれだが、あれは井村屋だということに、さっき気が付いたのだ(笑)。

何と、発売されたのは昭和38年!

いまだ現役。

 

 

メロンボールとアンミラとあずきバー、小豆缶、たまごアイス、缶詰めプリン、あんまん・肉まんが同一線上にある不思議。

おにぎりもなか、バイバイバーも井村屋だ。

 

 

 

 

 

こちらはおっぱいアイス(笑)。

高知ローカル商品だって。

直球ドン真ん中

 

さすが高知県(笑)。

こういう並外れた恥ずかしいセンスには、ただひたすら脱帽。