マツタケ
松尾芭蕉の故郷伊賀上野は、京都伏見稲荷山と同じく、マツタケの名産地だった。
古い資料なんかを読むとマツタケは古来より日本人にとってかなり特別なキノコだったことがわかる。
室町の頃からマツタケが人の生活に深い関りを持ち始め、江戸でより一層、人々の身近へと寄ってきたようである。豊臣秀吉は、花見、茸狩りを楽しんだという。秀吉が葬られている阿弥陀ヶ峯は、かってマツタケ山であった。
江戸時代になると、上方では松茸市が立ち、マツタケが八百屋で売られていた。
この時代より、日本人の松茸好きが一般化。
しかしながら、まだまだ庶民の口にはなかなか入らないほど高価なものであったらしい。
松茸の名産地
江戸時代の俳諧論書「毛吹草」には
龍安寺山、大和、伊賀、丹波、紀伊日高が挙げられている。
「和漢三才図会」によると
駿河、遠江、山城が挙げられている。
「国花万葉記」によると
嵯峨、龍安寺山、醍醐、山科、北山が挙げられている。
昔は龍安寺山産が最高級品とされていた。
それ以外は「田舎松茸」と呼ばれていたという。
その後、嵯峨産、北山産、山城産、稲荷山産などの評価が高く、逆に丹波産は傘色が黒く、味が劣り、下品と酷評されていたという。
今とは真逆の評価だなぁ。
近年はかなり珍重されているのに。
結婚は性欲を調節することには有効だが、恋愛を調節することには有効でない。
芥川龍之介「侏儒の言葉・結婚」
大月市のヤマユリ
「やまゆり」というと、なんか柔らかく優しいイメージを持つ人が多いようで、福祉施設に冠を施したところなどが、全国的にやたら多い。
何年か前に相模原障害者施設殺傷事件として有名になった施設も「津久井やまゆり園」だった。
従前より、やまゆりといわば神奈川、というイメージが強かったが、山梨県大月、甲州なんかも新たなやまゆりの名産地といえる。
さて、ヤマユリは日本固有のユリである。
昔、丹沢一帯は、日本最大のヤマユリ大群生地帯だったと聞く。
東名高速で神奈川を通ると、法面に植えこまれたであろうやまゆりの群生が見られる。
あれを見るたびの「ああ、関東に戻ってきたんだな」という感慨にふけることができる。
やまゆりをシンボルフラワーとしている都道府県、市町村は多い。
さてさて、園芸やまゆり独特な現象に帯化というものがある。
帯化(石化、綴化)とは、本来「点」のように小さな生長点が「線」状に変化、その結果、生長の軌跡である茎は、棒状ではなく幅広の帯状になること。
キク科植物には発生しやすく、たとえばガーベラの鉢植えを観察すると、かなり高い確率で花茎が帯化した変異品を見付けることができるといし、タンポポの帯化品は一時テレビなどで取り上げられたようだ。
遺伝子変異、細菌や昆虫により成長点が傷ついたためなどといわれている。
帯化すると一株に100~200くらいの花が付くこともあるそうだが、前述の如く、この現象は野生では見られない。
園芸では珍重されることが多く、帯化した山百合は、帯化ヤマユリとも呼ばれる。
千葉県佐倉市の川村美術館自然散策路、山梨県大月市の安楽寺には帯化やまゆりがよく見られるという。
やまゆりはかなりにおいがきつく、イノシシの絶好の標的とされるという。
猪はやまゆりの根が大好物らしい。
なのでこういう惨劇も。
2004年、大月市のヤマユリ畑にイノシシが侵入して、一晩で1000球以上の球根を食い散らかした。
そもそもやまゆりのユリの根は食用。
福島県須賀川市長沼町の老舗店、あがつま菓子店ではやまゆりようかん、やまゆり饅頭、やまゆり大福などを製造販売しており、知り合いからいただき食してみたところ、これが掛値なく、マジうまいのだ。
このやまゆりが絶滅危惧品種と指定されて時が流れたが、全国各地では、やまゆりの自生を促す復活のための能動的活動なんかもそこそこ行われていたりする。
(小俣虎雄氏はやまゆり復活事業のパイオニア?)
全国やまゆりサミットという組織もあったようだが、現存だろうか?
八王子市の高尾山ではやまゆりの里復活プロジェクトが計画、実施され、北海道福島町は、やまゆりの自生の復活に成功下というニュースがあった。
最後に、横浜植木株式会社(旧横浜植木商会)がゆり輸出業のパイオニアである。