カメレオンとメーテル 新竹取物語 1000年女王 | 脱腸亭日常 ~MY TESTAMENT of trifling beetle~

脱腸亭日常 ~MY TESTAMENT of trifling beetle~

名誉も金も、素晴らしい音楽を作り人々を感動させようという気持ちもない、極めて不心得なアマチュアミュージシャンであり、アマチュアアーチストtrifling beetleの遺書。
HP https://www.music-scene.jp/triflingbeetle/

 

まずくて有名だった、新橋の伝説的牛丼店。

 

 

こちらはなんというか。

正直うまそうにない外見。

でもうまい。

見た目は大事でしょ。

 

 

 

 

大工町寺町米町仏町老母買ふ町 あらずや つばめよ

「田園に死す」 寺山修司

 

 

 

 

メーテルレジェンド宇宙交響詩メーテル

銀河鉄道999外伝新竹取物語 1000年女王銀河鉄道999

 

松本零士の描く世界は、幼い頃の自分を、確実にがっつりととらえて、そして離してくれなかったのだ。

寝ても覚めてもヤマト、ヤマト。

あるいは999。

いつからだろう、ガンダムがそれに成り代わったのは。

 

連載開始当時の1980年から見て近未来となる1999年を舞台に、1000年周期で地球に大きな災害をもたらす惑星ラーメタルの最接近という天文スペクタクルを交えながら、地球人の少年・雨森始とラーメタルから派遣された1000年女王であるラー・アンドロメダ・プロメシュームこと雪野弥生の交流を描いた作品。

またこの機に乗じて地球移住をもくろむラーメタル人と地球人達との戦いも描かれる。

 

産経新聞」(当時の題字はカタカナ表記の「サンケイ」)の朝刊と「西日本スポーツ[注釈 1]1980年1月28日から1983年5月11日までの月曜〜金曜版に1ページずつ連載されていた。

1000回(全1000ページ)。

なお、連載が休みとなる日曜版では「1000年女王ひろば」という読者投稿コーナーを設け、読者から寄せられた意見やイラストを掲載していた。

漫画版、テレビ版、映画版ではキャラクターデザインや性格の設定に異同があり、ストーリー展開もそれぞれ異なる。

 

1978年から1981年にかけてヒットした『銀河鉄道999』を受けて、フジサンケイグループ東映が松本零士に原作を提供してもらい、産経新聞では漫画連載、フジテレビでは『999』の後番組としてテレビアニメシリーズ放映、映画版公開時にはニッポン放送でラジオドラマ放送など、グループを挙げての盛んなメディアミックス展開を行なった。

 

宣伝も盛んに行われたことから、「宣伝女王」と揶揄されることもあった。

映画版は、後に多くのアニメの製作で行なわれることとなる製作委員会方式の先駈けである。

しかし、先に『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』で爆発的なブームを巻き起こしていた松本アニメブームはこのとき既に陰りを見せており、アニメファンの注目は同時期の『機動戦士ガンダム』へ移行し、『999』ほどの人気は得られずにこのプロジェクトは終了した。

 

著者は本作について「この『1000年女王』はメーテルの母親プロメシュームの物語と明言。つまり999』の前史

 

本作の後日談で『999』の前日談となるアニメ作品『メーテルレジェンド』(2000年)と、その続編『宇宙交響詩メーテル 銀河鉄道999外伝』(2004年)もある。

 

ガンダムほどParallel化してはいないし、ややこしくなく、ミッシングリンクもたやすく埋めれそうだったが、宇宙交響詩メーテル 銀河鉄道999外伝から本編へと連なり行くプロジェクトは、資金回収に失敗したことを受けて、現在もとん挫したまんまだ。

外伝の尻切れトンボ感を何とかできたらいいなと。

てか、外伝ラストに宇宙戦艦ヤマトの後ろ姿がはっきりと映っており、あれは壮大なる伏線だったと聞いた。

 

 

 

加瀬あつし作「カメレオン」といえば「矢沢栄作」である(笑)。

1997年7・30日号第322話「YAZAWA友情物語」において徹郎とメーテルのコスプレエピソードを披露。

「メ、メーテル、ボクの戦士の銃はもうコチコチだよ~」

というこのセリフ(笑)。

いや、チャレンジャーですね。

そうしたら案の定これを見た松本零士が激怒。

講談社と加瀬あつしに猛抗議したという。

まずい人にケンカを売った感じ、相手を見なきゃね(笑)。